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05 生徒会長とは
「ちょっと一旦、状況を整理してみよう」
スバルたちは体育館の脇に移動し、そこで改めて情報の共有を図ることにした。
「ナガヤマの奴は、一体何を考えてるんだ?」
「逃げてるってことだけは、確実」
ダテが言った。
「じゃなきゃ全校放送無視したり、女子に隠れて体育館出て行ったりしないでしょ。なんか、バカンス行くとかふざけたこと言ってたみたいだけど」
彼女の口調には、静かながらも怒りに満ちたオーラが漂っていた。
「アイツ、状況分かってないのかな。このまま書類返せなかったら、文化祭中止にされるかもしれないって……先生たちにムリ言って借りて来たの、アイツ自身なのに」
「逆に、それが狙いだったりして?」
ヒカリがまたとんでもない予想を口にし始める。
「一旦生徒会室の方行ったのも、本当は窓とか出口が全部閉まってるか確かめるためだったりして。スペアキーまで使えなくなってるんだし」
「流石にそんな……いや有り得るか。こうなると、もう何が起きても不思議じゃないな」
「自分で準備してきた文化祭を、自分でわざわざ中止に追い込むって」
ダテは心底呆れた風だった。勿論ナガヤマに対してだろうが。
「だとしたら、相当手が込んでるよ、これ。何が目的?」
「それが分かるなら苦労しないな……」
ナガヤマという男は、基本的に何を考えているか分からないところがある。普段からずっとニコニコしていて滅多に怒ったりもしないからだ。それでも彼が信頼を集めるのは、ひとえにその多才さと有能さゆえだが、対決するとここまで厄介だとは思いもしなかった。
「……そういえば、モリカワ何処行ったんだ?」
スバルは周囲を確かめてみて、初めてその場に後輩男子の一人が来ていないことに気付く。他の面々にも訊いてみるが、どうやら体育館に移動してきた時点でいなかったらしい。
「アイツまで行方不明かよ、勘弁してほしいな」
「あ、違うよ遅れてきたみたい」
「おーい、モリカワ!」
生徒会でナガヤマに最も懐いている後輩男子は、しかし尚もとぼとぼとスローで歩いて来るだけであった。落ち込んだようにずっと下を向いたりしていると、元々ちっこい体がより一層縮こまって見えるため、こちらを妙に不安にさせてくる。
「おい、急にしょぼくれてどうしたんだよ。今まで何処にいたんだ」
「キザワ先生とずっと話してたんです」
モリカワは俯いたまま言った。どうやら一人だけ、生徒会顧問のところにいたらしい。
「ユーさん、もしかして疲れてるのかもしれないって」
「なんだって?」
「これ、先生から預かったんです。生徒会広報の最終号らしいんですけど」
モリカワが取り出したのは、ナガヤマが毎月生徒会の名義で発行している広報誌の、いわば原本だった。ナガヤマが生徒会室のパソコンで毎月末これを編集しているのはメンバー全員が知るところであり、キザワ先生のチェックを受け問題なしと見做されれば、安物のわら半紙でその後大量複製され、ホームルームで全校生徒に配布されるのが通例だった。
「アイツ、もう完成させたのか」
「けど、中身が普段とちょっと違ってるんです」
最終号と題されたその誌面は、次の様な書き出しになっていた。
『――生徒会での一年間を振り返ってみると、苦労の連続でした。自分の思ったように物事が進まず、悩み立ち止まった日もありました。僕の描いていた理想の生徒会像にはまだ届きそうにありません――』
「ぼく、ユーさんがこんな悩んでるなんて知らなくて」
「待て待て、落ち着けって。泣くんじゃない」
瞳を潤ませ始めたモリカワを一同が懸命に宥めだす。が、彼が不意に感極まってしまうのも無理はないと思う程、生徒会長ナガヤマ・ユウイチの心情吐露はナイーブだった。
例えばそこには、生徒会として設置した意見箱への投書を活かせず、形骸化した校則の一部変更や削除すらも実現できなかったことへの苦い後悔が綴られていた。
意見箱、いわゆる目安箱設置は、生徒会長になったナガヤマの最初の施策だった。
最初の頃は、投書もかなりの数が届いた。明らかに実現不能なものもあったが、ナガヤマは『実情に沿った文言の修正』『事実上機能していない校則の削除』が想像以上に多く寄せられている点に着目し、まずはこれらを実行しようと決めた。
学校側が一方的に定めながら「わたしたちは何々します」と何故か生徒たちの自主的宣言の体にされた生徒心得、何十年も前の倫理観に基づく家庭内での過ごし方まで事細かに指示指定した事実上無視されている校則。それらが実態にそぐわないことを問題提起し、変更を求める全校投票を実施しようとしたが、叶わなかった。投票行為それ自体が一切認められず、理由が示されることすらもなかったのだ。
ある時などは『男女の区別なく制服を選べるようにしてほしい』と匿名の投書が来たこともあった。不謹慎かもしれないが、自分たちの身近にもそうした人間がいる事実そのものにまず大半のメンバーが素直に驚いていた。それでもナガヤマは、生徒からの要望ならばと学校側に交渉を試みようとした。
案の定、この要望は即時却下された。『年度途中の変更を認めれば不公平を生じる』との理由である。とはいえナガヤマも予想はしていたのか、ならばせめてと校内で保管する予備制服の枚数を細かく調べ上げ『異性装の体験教室だけでも実施したい』と掛け合った。すると今度は『ふざけていると思われる可能性がある』との理由でこれも却下された。
差別や不公平を気にする人達が、一方では疑似体験の場すら認めないなんて支離滅裂だ……ナガヤマがそう愚痴るのを聞くまでも無く、スバルたちも学校側の本音にある程度気付きつつあった。理由があるから駄目なのではなく、駄目という結論を死守したくて、学校はあれこれ理由をこじつけているに過ぎないのではないか、と。
そうして意見箱にはいつしかひとつの投書もされなくなり、使用済みティッシュや落ち葉が突っ込まれはじめ、存在すらも忘れ去られて遂には撤去された。
『――二年生のころ、僕は生徒会本部になんて入りたくないと思っていました。決められた枠にそってしか活動しない生徒会活動に疑問を抱いていたからです。しかし先生の勧めもあり、僕は生徒会長になりました――』
ナガヤマの複雑な心情を読み上げるスバルの声が、体育館裏に響く。女子バレー部が何故かいつまでも帰って来る気配が無いので、周囲は異様に静かだった。その空気感がまた一段と、メンバーの気分を重たくさせているようにスバルは感じられた。
「……言いたい事は分かるんだけど」
最初に疑問の声を上げたのはダテだった。
「生徒会なんて正直、そういうモンじゃない? ありきたりな委員会活動のまとめ役というか延長線というか……会長の熱意は凄かったけど、むしろあいつ頑張り過ぎじゃない?」
「熱意持って委員会やってる人とか、ほぼほぼいないしねぇ……」
「それはナガヤマ自身が、一番よく分かってると思うよ」
スバルは考えるより先にナガヤマを擁護していた。
「思い出したけどアイツ、小学校でも児童会長やってたんだよ。多分、生徒会がどんなのかも何となく分かってたと思う。それでも結局やる羽目になって、だからせめて一生懸命やろうとしたんじゃないかな」
スバルが初めて本格的にナガヤマと言葉を交わしたのは、小学五年生の時のことだ。とある学校行事で福島県を訪れていた際、大きな地震に見舞われたのだ。内陸部というのもあり幸いそれ以上の危険はなかったが、大切な祖父の形見の御守りを失くしたことに気付いたスバルは集団行動を優先させられ探しにもいけず、途方に暮れて半泣きになっていた。そんな中、当時まだ殆んど面識の無かったナガヤマが声をかけてくれたのだ。
彼はその御守りの特徴と、確実に手元にあったタイミングをスバルから聞き出すと、今すぐトイレに行きたいと偽って先生たちに散々怒られながらもその場を抜け出し、それから五分もせずスバルの御守りを見つけ出して戻って来たのである。
当時、ナガヤマという存在は直接面識のない者でさえ、天才とか秀才の代名詞として誰もが名前ぐらいは聞いた事があった。だから彼が児童会長と知った時は説得力を覚えたし、中学で生徒会長になると聞いた時もスバルは一切疑問を持たなかった。
マントを羽織った三文芝居などしなくとも、ナガヤマ・ユウイチとはスバルにとっては既にヒーローであり、生徒会長というのはそういう存在だと信じていたのだ。
「……ユーさんに生徒会を勧めた先生って、誰なんですかね」
モリカワがボソッと呟く様に言った。ちょっと恨めしそうな声音すら籠っている。
「その人が余計なことをしなきゃ、ユーさんこんな苦しまずに済んだかもしれないのに」
「さあなー……本人に訊かなくちゃ分からないが」
スバルは敢えてはぐらかしたが、今日のことで何となく想像はつく気がした。
責任感か、はたまた罪悪感か。少なくとも何かしらの負い目のようなものを自覚していると仮定すれば、あの驚くほど協力的な姿勢にも説明がつくからだ。思えば生徒会による提案は、結果としてどれ程弾かれようと顧問チェックの段階でNGとなったことはほぼ一切なかった。あの人はあの人で、ナガヤマのため尽力してくれていたのかもしれない。
ダテの指摘は正論だった。選挙で選ばれた全校生徒の代表――そんなイメージとは裏腹に、生徒会が自分たちで何かを決められたことはそう多くない。仮に決めても効力を発揮しない。所詮は委員会活動の延長で、権力など皆無だからだ。
活動周知のため広報誌の発行を始めても、大半の生徒は関心を示さない。選挙で選ばれたのだからと生徒目線に寄り添って問題提起をすれば、学校側に大半はウヤムヤにされてしまって意見は通らない。意向を反映出来ないのに、発表名義は常に自分たちのものになる。
生徒会とは、生徒会長の存在意義とは一体何なのだろう?
「それでも、こんな投げ出し方は駄目だよ……」
ダテは言った。
「見つけて説得しないと」
「見つけるって言っても、もう手がかりが……」
スバルはその時はたと気が付いた。基本中の基本だった筈なのに、何故失念していたのか。ナガヤマ自身が、スバルの御守りを発見した時に言ってくれていたではないか。
「――『探しものは、その人の行動した範囲にしかない』」
「えっ、急になに?」
「みんな教えてくれ、ナガヤマが今まで現れた場所って、何処と何処だ!?」
書類返却期限まで残り三〇分弱。
スバルは周囲の助力を請うて、今度こそ賭けに出ることにした。だがそれはスバルにとってナガヤマとの勝負ではない。むしろ数年越しの、いわば恩返しであった。
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