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12
前期リーグ戦、何日目かの朝。今日の雲はかなり分厚く、重苦しい。十中八九、試合の途中に降り出すだろう。
そんなことを考えていた鷹彦の視界に、ゆらりと入ってくる人影が一つ。
「……本当はもっと晴れた青い空の下で言ったらカッコが付くんでしょうけど」
鷹彦の隣に並び立った青真は、灰色の空を一瞬だけ見上げた。
「宝田さん前に、所詮俺には限界があるって言いましたよね」
ざ、とスパイクが僅かに砂を蹴って、真っ直ぐに相手を射る瞳の黒が鷹彦に正対する。
「なら俺は、何度だって超えてやりますよ、その限界ってやつを」
何も言えなかった。
十二歳の、そのあまりに率直な闘志に、返すべき言葉が、それに相応しい言葉が、何一つ思い付かなかったから。
それだけじゃ、なくて。
その眼に宿った昏い光に、少年の聖性に、全身をぞくりと震えが走った。
鷹彦の返事を待つでもなく、踵を返したその背中を眺めながら、あのあと朝になって返ってきたメッセージを思い出していた。
『青真は俺と違ってしっかりしてるから、俺みたいにタカちゃんのことイライラさせたりしないと思う』
『青真のこと頼むな』
「ほんと、マジきしょいわ、あいつ」
――なんで今、思い出したのか。口の中だけで呟いた言葉は、無自覚だった。
「今日こそは、降られそうだなあ」
声がして傍らを見やると、さっきまで青真のいた場所に、平原がいた。
「だから俺の心読まないでくださいよ」
「何の話だ」
横並びのまま互いの眼を見ることもなく、雨雲が僅かに流れるその一刻を沈黙が覆った。
「俺は分かったかもしれないんだが、タカ」
「……何がっすか」
「お前は弾希が大学に行ったこと、理解できないと思ってただろ」
「……」
目線を上げも、合わせもしない横顔を撫でた風が、もう随分生暖かい。
「あいつはどっかで、お前のこと待ってたんじゃないのか。お前が、野球の世界に戻ってくること」
「本格的に何すかそれ。マジならだいぶきしょいっすよ」
雨を降らせる前の熱を孕んだ風が音を立てて通り過ぎて、目を細める。自分の今の本来の表情を見られずに済んだと思った。
案の定、小雨というレベルでなく雨はグラウンドを襲った。
少年野球の大会日程はただでさえタイトだ。主催側としては消化できる試合は予定通りに消化したいだろう。とりあえず、試合は続行されている。雨は轟音と共に、銀色に透き通った水のカーテンをグラウンドに、ベンチに引く。
その人がいるマウンドを見る。僅かに不明瞭になった輪郭が、一度だけ肩を上下させて息をついた。
スクリーン越しに、帽子の下から覗く表情にやけに鮮明に焦点が合う。僅かに見える髪を伝って顎に落ちる水滴がいつか自分の腹の上に見た光景に、無表情の奥で睨み上げるような視線の黒い光がさっきの言葉に重なる。
――『なら俺は、何度だって超えてやりますよ、その限界ってやつを』
ただ、雨に打たれていた。頬骨を滑り落ちていった雨粒に、涙が混ざってもそれを拭いもせずに立ち尽くしていた。
頭上に広がるのは雨を落とす曇天の灰色のはずなのに、その中に鷹彦が見たのは、痛いくらいの、青だった。
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