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 後ろを歩く鷹彦が、そうと悟られないよう控えめにキョロキョロしているのに気付き、その無表情を綻ばせはしないけれど、青真はなぜか少し満足げだった。  青真の兄である弾希とは少年野球時代からの付き合いではあったが、彼の家に遊びに行くなどという展開には一度もならなかった。高校に上がると寮生活が始まり、その機会は完全に失われたのだった。だからこそ鷹彦は、初めてグラウンドで会ったあの日まで、青真の存在すら知らなかったわけだが。 「……なあ今更だけど、まずくないのか? 指導者がこんな、特定の選手の家に上がるなんてさ」 「今の宝田さんは、コーチとしてうちに来るんじゃないですよ。兄貴の友達に遊んでもらうくらい、別に珍しいことじゃないでしょう」 ――友達、ね。 「俺は別に、市川と友達になった覚えはない」 「本人の弟の目の前で、よくそんな冷たいことが言えますね」 薄いオレンジ色の光と影の中、どちらからともなく歩く速度を落とし、立ち止まる。 「……お前と市川って、ほんと似てないな。お前の兄貴は、投げる球の速さから信じられないくらい頭の回転のとろい奴だったのに。お前は、反抗的ってわけじゃないのに、こっちが言われたくないことを、そうとはっきり分かって口にしてる」 ……そのくせ、時々こうやって何も言い返しもしなくなる。 「俺が市川を友達と思ってないことなんて、とっくに気付いてたくせに。それにお前、『お兄ちゃん大好き♡』ってタイプでもないだろうが。本当はお前も、兄貴のこと……」 「ねえ、もう着いてますから。ここです、うち。家の前でいつまでも喋ってんの間抜けなんで。早く入って」 言われて自分たちの前にそびえる、全体的に白でまとめられた外観の一軒家を見上げる。いかにも子供が生まれるのに前後して建てました、という可愛らしい雰囲気が、二十年近い年月によって滑稽な古臭さに成り果てた、そんなごく普通の家だった。  白い外壁の上でアクセントになっている、黒い玄関ドアが青真の手によって開けられ、鷹彦はとりあえず、玄関のたたきの上に立つ。 「ちょっと、待っててください」 言い残して青真は先に家の中へ入っていく。 「……そう。春休みから来てる、コーチ……うん、だから……兄さんの……そう」 言葉が途切れ途切れに聞こえてくる。話している相手は、誰か家族だろう。やがて所在なげに重心を移動させながら立つ鷹彦のもとへ、全く表情を揺らさずに歩いてくる青真と、その後ろから、バタバタと中年の女性がついてきた。 「あら~、鷹彦くん久し振りね~!」 青真の――弾希の母親。 「……お久しぶりです」 こうして直接話す機会は、親が子供の野球にまともに関わっていたそれこそ少年野球時代ぶりであろうが、中学高校時代も、彼女はさすがに試合なんかは観に来ていたはずだ。 「あの市川弾希」の親だ。来ない方が不自然だろう。  そのはずなのに。鷹彦はその母親のことを、覚えていない、と思った。  頭を下げながら、誰も似てない家族だな、と考える。自分の心許ない記憶がそうさせるのかは分からないが、人当たりは良いがせっかちさが見て取れるこの女性は、顔など見た目はともかく弾希とも青真とも似ていない。 「ほんとにどうも、弾希がお世話になりましたねぇ」 「あ……はい」 青真とその母に続いて廊下を進みながら、鷹彦は正体の分からない違和感にとらわれた。ちらりと垣間見えた青真の横顔に僅かな翳りが差して、そのわけに思い至る。  、でよかったんじゃないのか、今のは。 「もう、鷹彦くん連れてくるって知ってたら、もうちょっとマシなもの用意したのにぃ」 母親に文句を垂れられながら、青真はそれに応じるでもなく黙々と食器をテーブルに並べている。 「本当によかったんですか? 夕食まで……」 「いーのいーの。偶々お父さんが急に遅くなるって言ってね。余らせるくらいなら食べてってもらった方がありがたいくらいなのよー……はい、どうぞ、こちらにおかけください」 また頭を下げ、示された椅子に座りながらテーブルの上で湯気を上げる料理を見やる。並んでいるのは煮魚とか、和え物とかで、確かに若い客人が来るときに出すものではないと、青真の母が嘆くのも無理はなかった。 「ホントにごめんなさいね~。こんなかわいげのない普通の日の食卓で。お恥ずかしい」 「とんでもない、すごく……おいしいですよ」 頬を染めて恐縮する母に応えたその台詞は本心だった。  それをこのガキは、こんなムスッとした顔で……  本人にムスッとしているという自覚はないだろうが、年齢に不釣り合いなほど不思議に整った顔の上で、この表情の乏しさはどうしても目を引く。  ――まあ、市川も似たようなもんだったけど。  あいつの場合、ムスッとというか、もっと陰気に俯いて座ってるのが大半だったが。寮生活をしていた時など、毎日食卓を共に囲んでいたはずだが、弾希は何かをうまいと思って食べたことがあるのかと、疑問に思うくらいだ。  思えば本当に、下ばかり向いている男だった。  そのぶん一球を投じるその瞬間にだけ見せる、打者を――何なら味方キャッチャーをも射竦めるただ真っ直ぐ前を見据える視線が、異様なまでに際立って薄気味が悪いのだ。  そして今、目の前に座る少年の愛想のない様子に、見たくもない面影を見ている自分に嫌気が差していた。  青真はそんな調子で、食事の間殆ど言葉を発しなかった。母親と自分ばかりが話している微かな居心地の悪さ。  お前が、俺と話したいからって家まで連れてきたんだろうが――まあ、悩み相談なら、後で母親の目のないところで話すつもりなんだろうが。  無欲に口に食物を運んでいるように見える青真だが、盛られた白飯もおかずも冷静に見ればかなりの量なのに、それが結構なスピードで消えていっている。  ――眩しいねえ、成長期。  ただぼんやりと眺めていたつもりだったのに。そんなスピードと量が食えるのが不思議なくらいの控えめな開け方の口元や、そこから垣間見える、おおよそ秩序だった歯列の中、そこだけ少しずれてはみ出した犬歯、何か飲み込むたび上下する、太さのない首の上でまだ僅かにしか分からない隆起……そんな光景がやけに焼き付いて、鷹彦は咄嗟に目を伏せた。
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