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出会いは小学四年になる年の春休み、楠之台アイルズに入団した時だった。
出会い、といっても、田舎の町の少年野球団である。アイルズは殆どが同じ小学校の児童で構成されており、弾希のことも普通に小学校の同学年として、存在を認識してはいた。しかし同じクラスになったこともなく、その日までろくに言葉を交わした覚えはなかった。
こいつ、本当に野球やるのか?
それが第一印象だった。
その当時はまだ、彼は鷹彦より背も低く、薄い身体に頼りなげな細腕がくっついただけの、下手をすれば女の子と間違えそうな華奢な風貌だった。常に――並んで体育座りをしている時でさえ、少し俯いているためにさらさらとした髪が顔にいつも影を作っている、そんな、覇気とか、迫力とか、そういった言葉とは無縁な少年だった。
儚い。
子供の鷹彦が、たぶん人生で初めて頭に浮かべた文字だった。
だからこそ弾希から目が離せなくなったのだと、目を離したらふわふわとどこかに飛んで行ってしまいそうだと、そんなふうに自分が感じていたことにはつゆも気付くはずもなく。
ただただ、弾希のおどおどとした態度に苛立ちが募った。
何よりも癪なのは自分と弾希が同じポジション――投手になったことだ。ポジションに関しては平原がそれぞれの適性を見極めて決めてくれたし、そこに異存はない。
でも、だからこそ、だ。自分が、弾希と一種同じ属性にカテゴライズされたということそれ自体が、既に抵抗感と嫌悪感の根源だったのである。
そして更に気に入らないことには、これをきっかけに鷹彦は弾希に懐かれ出した。放課後のグラウンドに向かうと、「タカちゃ~ん」と手を振りながら真っ先に駆け寄って来るのが、弾希だった。
そりゃ、野手とは別メニューで練習する機会も多く、行動を共にする時間もそれなりに長くはあるが、何、のん気にこうも分かりやすく懐いてきてるんだよ。俺たちはレギュラーの座を奪い合う間柄であって、仲良しのオトモダチごっこに加わるつもりは、俺は毛頭ない――
そう思う一方で、弾希が自分にだけベタベタと距離を縮めてくるのもある程度当然だということも分かってきた。
春休みが開けて新学期が始まったところで、たしか隣の隣くらいのクラスだった弾希と、学校で顔を合わせて話す機会はほぼなかった。
それでも弾希のクラスの前を通りかかる時に、何かしらの合同授業になる時に、今まで毛ほども気にしたことのなかったその存在が、やけに視界に入ってくるようになった。それが、自分の方が彼を目で追っているゆえだと、頭の片隅が告げてくる気付きを振り払うのに必死だった。
いつだって喧噪に包まれている学校生活の中で、弾希は明らかに浮いていた。浮いて当たり前だろうと思った。だいたい、纏っているテンポ感が違い過ぎるのだ。なぜかいつもはにかむように頬を染めて俯きながら、訥々としゃべる様に、鷹彦も何度苛々させられたか分からない。最初から、頭が良さそうにはお世辞にも見えなかったが、実際宿題の範囲が被った時など、鷹彦は何度となく計算ドリルやら何やらを貸してやり、写させてやった。運動神経の方も、時々窓からグラウンドで彼のクラスが体育の授業をしているところを眺めても、野球以外には特段何かができるふうでもなかった。平たく――というか乱暴に言えば、とろいだけで明るさも華も何もない奴だったのだ。
だから彼のクラスメイトたちも、弾希のことを積極的に嫌い、ハブいていたわけではないのだろう。話しかけて仲良くなるほどの理由が何一つ見出せない存在だったからというだけだ。
そう、いっそ、弾希が嫌な奴ならよかった。
彼に嫌なところなどないはずなのに、ただ自分が、彼を嫌いなだけなのだ。
そういう、自分の心の狭さに気付かされることが、十代の少年にとってどれほどのカルチャーショックか。
だって、あいつが上手いのは、あいつが悪いんじゃないから。
その言葉の意味を本当には理解していない子供心に、弾希のそれは「才能」だと分かった。性格で言えば弾希は全く投手向きじゃない。とろく、闘争心が低く、いつまでも幼稚さが抜けず鷹彦という存在に依りかかっている、尖った部分の何一つない心は、孤独にマウンドを守らねばならない投手という役に全然そぐわない。
そんな弾希が自分と同程度の成長曲線を描いて球威を、コントロールを、体力を筋力を何もかもを身につけていくのは「才能」に類する何かがなければ成し得ないことだ。
――そして鷹彦はどこかで気付いていた。弾希が描く成長曲線は、自分のと同程度、などではない。この時にはもう既に、彼の曲線の角度が、その想定され得る頂点が、自分のそれを上回っていたのだと、分かってしまった。
それでもその頃の幼い少年の心は、才能、なんて言葉で全てを片付けることをよしとしなかった。あいつと違って自分には、小学生離れした球速は出せない。それならと自分にできることを考えて絞り出した。鷹彦がコントロールに固執し出したのはこの頃からだ。
こうした努力――もはや執念に近い――のかいあって、鷹彦も弾希と同等にマウンドに上がる機会を得られるようになった。
二人がダブルエースとして扱われ出した、始まりだ。
その後二人は地元楠之台中学の野球部に入部する。母校は(それも恐らくは弾希の力だと鷹彦は分かっていたが)近辺ではちょっとした強豪中学にまで押し上げられ、『楠中のダブルエース市川・宝田』は次第に名の知れた存在になっていく。
小学校では空気同然だった弾希も、目に見えて女の子たちに人気が出だした。時々後輩の女子の集団なんかが試合を見に来た。自分とのセット販売的な人気だって鷹彦は言い張っていたけど、彼女たちが見たいのは自分ではなく弾希だということはなんとなく分かっていた。
その頃にはいつの間にか鷹彦の身長を抜いていた弾希は長身の部類に入っていたし、まあ顔だけを見れば綺麗と言えるだろう。
とはいえ女心の機微を理解できる器用さを弾希が持ち合わせているはずもなく、彼女などできたことがないのは分かり切っていたが。
そのことにどこかで安心していたのか、それとも安心を得たかったからなのか。試すような会話はあの頃交わしたものだと記憶している。
「市川ってさぁ、俺以外友達いないでしょ」
鼻を鳴らすような半笑いを意識的に混ぜた。間が空いた。弾希は僅かに首を傾げた。
あー、この間。こいつと話してると、日が暮れるんじゃないかと思うことがある。
「……俺には、これしかないから」
はにかむような眉を下げた表情で。手の中の練習球を見つめていた。
その横顔がどうしてか眩しかった。これしかないと、その仄暗い自覚を、なぜだか眩しく思った。
「それに俺は、タカちゃんがいれば、いい」
こちらを振り向いた瞳が浮かべるものは、控え目な笑みのようにも、馬鹿真面目な真剣さのようにも見えて――ムカつく奴だな、と思った。
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