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〜『cafe totuoitu』オープンしました〜
そのメニューボードが出たのは、然が帰ってきてから5年目の3月早春だった。
それぞれが仕事をしながら、六がやりたかっことを実現可能なプランにするのはそれなりに大変だった。
『心がゆるむような一杯を手軽に飲めて、交流ができるような場所が作りたい』そんな相反する漠然としたコンセプトがまずは問題だった。手軽に楽しめるコーヒーだけで店を維持できるか。ワンオペでどこまでできるのか。そもそもカフェに交流目的で人が来るのか。
それでも然はそれをカタチにしたかった。六が目指しているのは、かつて両親が営んだ総菜店のような場所だと思ったからだ。献立に悩んで立ち寄れば、その匂いで元気になれるような店だった。店主夫婦は調理のコツまで教えてくれるし、居合わせた他人とお喋りに興じることも多い。愚痴をこぼしスッキリして帰る客もいた。皆あの場所が好きだったのだ。
まずは築年数の古い家屋の基礎を調べるところからスタートし、然が引いた図面で工事が行われた。(もちろん山中工務店が請け負った)そうして一つずつ課題をクリアして、やっと公園脇にスタンドカフェ『totuoitu』がお目見えしたのだ。六は雇われ店長だった店を惜しまれながら退職した。然は在宅ワークできる環境を整え、月の半分程度は自宅で仕事をするようになった。古材なども使用した改築工事が宣伝になったようだ。
公園に向かって大きく扉を開いた店では、コーヒーメニューの他にサンドイッチなどのフードを日替わりで提供する。製菓衛生師の資格も持っているので月に一回スイーツメニューの日もある。そしてメニューの一番下には『ライスボール』。一口サイズのおむすびにほうじ茶がセットになっている。オリジナルメニューの試行錯誤は今後も続く。香りの良いスペシャリティコーヒーやカフェラテをテイクアウトして店隣のオープンスペースでベンチに腰掛けて飲むことができる。
さらに特徴として、店の奥に常設展示のあるレンタルスペースがある。会議や打ち合わせ、小さなパーティにも対応可能だ。もちろんカフェのメニューを飲食するためのテーブルや椅子もある。随時変更可能な壁面には、開業祝いとして月尾がしたためた『六然』の書が飾られた。
『六然訓 自処超然 処人藹然 有事斬然 無事澄然 得意澹然 失意泰然』
「昔の偉い人の処世訓らしいよ」
最初は展示を渋った月尾だが、六が頼むと大した説明もせず畳一枚分もあろうかという額縁を抱えてきた。言葉の意味を書いた絵葉書も準備されている。物品販売としてそちらもディスプレイした。
「自分にとらわれず、人には和やか、勇断、澄んでいて、自慢せず、ゆったりと……どんなスーパーマンだよ」
「やろうとしても、できないから訓えとしてあるんだろ」
月尾は書道教室で教える一方で、その書いたものに値がつくような先生になっている。六はもっと身近に月尾の書いたものがあればいいなと、三日月に尻尾の生えた落款代わりのかわいいイラストをながめた。
「投書箱はどうだろう」
匿名で下書きをもらって、月尾が代書する。綺麗に書かれた手紙は、自分宛てでもいいかも。匿名なら悩みも吐き出せるかも。
「うん。相談してみよう」
考えに耽っていると、カフェの店先に人影が近づいてきた。若い男性のふたり連れだ。
「急がないし、飲んでく?」
上背のある男性が、隣に立つ小柄な男性を誘っている。二人が醸し出す雰囲気がとても柔らかい。
「いらっしゃいませ」
「おすすめのコーヒーと、カフェラテをお願いします」
「かしこまりました」
六が気に入っている春ブレンドのコーヒーを淹れる。ラテにも気の早い桜の花びら模様を散らした。
コーヒーを受け取った二人がベンチに並んで座るのがちらっと目にはいる。
「常連になってもらえるといいな」
香りにつられて然が顔をだした。
六と然が出会って34年。
やっとこさオープンにこぎつけた小さなカフェ。その店先は春爛漫だ。
〈完〉
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