『とつおいつ』から『totuoitu』へ

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『とつおいつ』から『totuoitu』へ

 六は肩にかかる長さで切り揃えた髪を、小さな団子にして首の後ろにまとめた。鏡の中で一度も染めたことのない明るめの黒髪が、朝日を受けて艶めいている。手を洗うと、左手薬指の輪っかが目にとまった。  専門学校の卒業後、カフェに就職するときに然から贈られたものだ。幅2mm程のストレートのプラチナリング。 『アクセサリーじゃない、それ用』を通販で買うために、引っ越し作業のアルバイトをしたらしい。「六の二十歳の記念だし、就職したらもっと危険増えるから。外さないでいて」  危険って何?と思ったけれど、その日から六は緊張したり不安になるとそれに触れて然を感じてきた。ペアのリングをはめた然もそうだといいな、と思っている。  あれから9年。 「やっと、言える……」  大学に進学した然がちょっと弱気になったことがあった。家族に交際を認めてもらい、やる気を充電した然は「行ってきます」と言った。  六はそれ以来、帰省した然に「おかえり」と言っていない。  やる気を出した然は、学部の先輩から設計事務所の雑用バイトを紹介してもらい卒業後はそのまま就職した。今回、独立する先輩に誘われそちらに移ることになったらしい。隣の市に開く事務所は通勤範囲内ということから同居することになった。入学時に旅立ったときとは違って、然の荷物はすでに業者に頼んで運び終わっている。今日は挨拶を済ませてからJRで戻ってくる予定だ。「いつか六の隣に帰ってくる」という約束が果たされる今日こそ「おかえり」と迎えたかった。  3人家族だった六は、昨年からひとり暮らしをしている。一と二三が一の生家のある田舎に移り住んだからだ。二三の親友の薫も夫の逸郎の定年を待って引っ越した。4人は田舎で若者扱いをされて、大変な歓迎ぶりだったそうだ。料理人と教師という経歴も色々な方面で重宝され、忙しくしているらしい。 「押しつけるみたいになってしまうけど、もともと中古物件だし古い家だから好きにしてくれていい」    両親のいなくなった店舗兼住宅は広すぎてどうしようかと考えていた。でも、今日からは新しい生活が始まる。  ピンポーン。  昔ながらのチャイム音が聞こえた。  これも取替えたほうがいいのかな。然と相談してみよう。これからのこと。ふたりのこと。 「おかえりなさい!」  六がぱたぱたと走って出迎える。    
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