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「理央とコレやりたかったんだ」
千聖は嬉しそうに手に持ったビニール袋を掲げて見せた。
「千聖さん、これって?」
理央が首を傾げると、千聖はビニール袋の中から赤紫の見慣れた細い花火を取り出した。
「みんなさ、バチバチした花火とか派手な打ち上げ花火ばっかやって、これ誰もやってなかったからこっそり貰ってきちゃった」
そう言えば千聖の手にはビニール袋だけでなくバケツもあった。
「わぁ。線香花火だ」
理央が子供のように顔を綻ばせると、千聖はその笑顔を見て蕩けそうな瞳になった。
大きな岩場の影。そこにひっそりと隠れるような砂浜で足を止めた。
「この辺りになら誰にも邪魔されないかな」
千聖は言って、海の水をバケツに汲んだ。
「あ、すみません。千聖さん。俺がやります」
慌てて千聖の手からバケツを受け取ろうとすると
「いいから。理央はさっきも皆が楽しんだ花火のゴミを片付けたり、皆が楽しみやすいようにパッケージから花火外したりしてばかりだっただろう? それに……二人きりになったら先輩後輩じゃないよね? 僕たち」
だから、後輩としての気遣いはしないで、と優しく言って静かに理央の陽に焼けた手首をそっと制したあと、千聖は手早く花火の用意をすると、理央に細い花火を一本渡した。千聖がセッティングしてくれた蝋燭にゆらゆら揺れる先端を垂らして火を点ける。
蝋燭の仄かな灯りだけ。電灯は遠く、ここまで届かない。花火の先に灯された橙色の玉がつやつやとぷっくり弾けそうに膨らむ。穏やかな波の音の中にぱちり、ぱちりと火の玉が弾ける音。
「久しぶりです、線香花火」
そう言って理央が楽しそうに線香花火を見つめるのを、見てから千聖も線香花火に火を点けた。
理央が千聖に付き合って欲しいと告白されたのはシリアッタ翌月の五月。
ゴールデンウィークの合宿の最終日だった。
付き合ってからはそれはそれは優しくて、デートの後は必ず家まで車で送ってくれるし、忙しいのに連絡もマメにくれる。キスもセックスもとっても優しくて、甘く柔らかい夢を見てるような気持ちにさせてくれる。それが千聖だった。
まだこんな素敵な人と恋人同士なのが信じられなくて、二人になる度に、色んなことを回想してしまう理央の線香花火が、程無くしてぱちぱちと火花が激しく散りだした。
「うわ。こんなに線香花火って激しかったっけ?」
記憶の線香花火はもっと儚く切なく火花を散らしていたが、熱を感じるほどに理央の線香花火は激しく弾けていた。
「本当だね。すごい激しい」
驚く理央を見てくすくすと千聖が笑う。
何だかとても面白く思えるのは少しのビールに酔ったからなのか、千聖と一緒にいれば何でも楽しいからなのか、わからない。
二人して笑ってしまうと指先が揺れてしまってぽたり、と二人の花火の先に付いた火の玉は落ちてしまった。
「落ちちゃった」
けらけらと楽しそうに笑って理央が言うと
「子供のとき、どっちの花火が長く点いてるか競争しなかった?」
と千聖が眼鏡の奥の綺麗な瞳を瞬かせて聞いた。
「あー、兄貴とよくやりました」
理央が笑いながら言う。
「何か賭けて勝負しようよ。理央」
「いいですね。負けませんよ?」
千聖の申し出に理央が頷くと
「理央は何賭ける?」
と聞かれた。
「えー何にしようかな……じゃあ何か一つお願い事聞いてもらってもいいですか」
すぐに具体的なものが思い付かず理央はそう答えた。
「ん。わかった。理央が勝ったら何でも言うこときくね。じゃあさ、僕が勝ったら」
千聖の目が理央を優しく撫でるように優しくなったかと思うと。
「キスしてもいい?」
低く腹の奥に響くような声に理央は自分が耳の端まで赤くなったのがわかった。
二人の旅行は大学の夏休み後半である九月に約束しており、夏休みが始まってからはお互い塾講師のアルバイトで忙しくてゆっくり会えていなかった。合宿中も常にざわざわ誰かがいて最終日の今日まで二人になれることはなかった。最後に触れあったのは十日前。忙しい狭間に理央のアルバイト先に迎えに来てくれて家まで送ってくれた。そのとき、別れ際に軽くおやすみなさいのキスをしただけだった。
だからこれは久しぶりの逢瀬だった。
急に千聖が二人だけのときに見せるとろりと甘い空気が流れ出した。
「だめ?」
眼鏡の向こうにある知的で優しい瞳にねだられて、嫌だなんて言えるわけなくて、理央はちいさく頷いた。
「やった。俄然やる気出た」
悪戯っぽい顔でそんなことを言う彼が珍しくて、ドキドキしすぎて理央は線香花火を蝋燭に垂らす指先が震えてしまう。
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