泣くための

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 ()(しゃ)()りの中を歩いて、歩き回って、いつの間にか知らない街へ来ていた。  明日上陸するという台風に備えてか、街全体が固く閉じられているような感覚に陥る。肌を刺す無数の強い雨粒が、心の防護壁までも打ち崩していく。俺は気づかぬうちに、こんなにも脆くなっていた。 「お笑いで天下を取ろうぜ」と誓い合った友がいる。  テレビで活躍する有名芸人のネタを研究して、少しでも多くの情報を仕入れようと本を読み、時事ネタにも詳しくなって、最近少しずつ納得できる漫才ができるようになってきた。YouTubeに都度つどアップして、これも少しずつ観てくれる人が増えてきた。俺たちには、人に誇れるほど鋭い笑いのセンスはない。だからこそ、「こんなに情熱があるんだ」ってところを見てもらいたかった。  妥協せずに作り続けていくこと。  探求心を忘れないこと。  ちょっとの褒め言葉で天狗になったりしないこと。  俺たち『じゃっどん』は、売れても初心を忘れない、そんな芸人を目指していた。かけがえのない存在について、死ぬまで感謝を伝え続けていく男でありたかった。  だが昨日、俺は二年付き合った恋人に別れを告げられた。  台風が発生して、進路予想図が描かれ、そのうえで上陸するような、順序だった話じゃなかった。唐突に凄まじい嵐に遭遇し、何もかも破壊された気分だった。  俺の一目惚れで始まった恋。  (さん)()(たま)()。  誰よりも大切だったひと。  それまで俺は、恋愛に前向きではなかった。過去に一度だけした恋で、想像以上の傷を負ってしまったせいだ。
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