【謎のレンガ】①

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【謎のレンガ】①

 20××年、オーストリア東部のとある静かな町。  ライドハウス研究所に勤めるフェルナンド・キースはこの数日間、レンガの調査に没頭していた。  レンガを一つ手に取った。表面が黒ずんでいるのは炎で焼かれた痕跡だ。角はボロボロに崩れ、丁寧に扱わないと割れてしまいそうである。それ自体は特に珍しいことではない。というより、フェルナンドが研究している材料の多くは遺跡から発掘された古びたレンガだったからだ。  だが、目の前のレンガには他の物とは大きな違いがあった。  レンガには金属のネジが食い込んでいるのだ。コードの切れ端のような銅線も見えている。  研究室のエックス線装置で調べたところ、歯車のような金属片も混入しているのが分かった。より詳しく調べるには、最新のエックス線解析装置が必要だった。そこで、レンガの破片を知り合いの教授に送り年代測定を依頼した。その結果が判明するには数日掛かるとのことだった。  いったいどうして500年ほど前のレンガに金属のネジやコードが挟まっているのだろう。  フェルナンドがこのレンガを知ったのは二週間ほど前のことである。  中世城塞都市の街並みについて研究しているヨハンセンから一通のメールがきた。ヨハンセンは国境に近い町で遺跡の発掘に加わっていた。そこでは発掘作業で見つかったレンガが山積みのまま置きっぱなしにされていた。レンガは城砦の崩れた城壁に使われていたものだった。何気なく、その一つのレンガを手にしたところ金属のようなものが埋め込まれていたのだ。そこで、以前、一緒に発掘をしたことのあるフェルに調査を依頼してきたのである。  因みに、フェルナンドは研究仲間からフェルと呼ばれている。  連絡を受けたフェルはさっそく発掘調査の現場に行った。遺跡の発掘現場は国境に近い町はずれにあった。そこから車でしばらく走ると、1870年代に建てられた劇場があり、フェルも一度だけオペラを観たことがあった。  その遺跡は、城壁の大部分は崩れ落ちていたが、主塔のキープや物見櫓などはかなりの部分が当時のままの姿で残っていた。問題のレンガは試掘したときに出たものだという。フェルが見ると表面は黒く焼けていたので、戦火に遭ったものだろうと思われた。遺跡の状態からすると、使われていたレンガは4、500年ほど前の物ではないかと推測できたが、かなり風化しているのでもっと時代を遡ってもいいだろう。  研究仲間のヨハンセンが指摘したように、レンガには金属の歯車やネジと見られるものが食い込んでいた。そこで、フェルはそのレンガを研究のために持ち帰ったというわけであった。    気が付けば昼食をとるのを忘れていた。フェルはひとまずレンガを置いて部屋を出た。そこで警備員に呼び止められ、女性の姿を見かけなかったかと訊かれた。フェルの研究室のドアの前に見慣れない女性が立っているのが警備室のモニター画面に写っていたということだ。  研究所の入っている建物では、外来者は入り口で入館証を受け取ることになっている。玄関には監視カメラがあって不審者は必ず把握できる。しかし、その女性はチェックをくぐり抜けて建物に侵入し、フェルの部屋の前のカメラに捉えられていたのだ。廊下を二三度、行き来していたが、いつのまにか姿が見えなくなったという。建物から出て行ったという形跡はない。念のため、フェルの部屋に入っていないかと尋ねられたのだった。  その警備員は、まだ若い女性で、 「どうも、初めましてですよね、ジェインといいます・・・よろしくぅ」  と挨拶した。警備員にしては意外に親し気な感じだ。 「こちらこそ、僕はここで研究室を使わせてもらってるフェルナンドです」  フェルは警備員を部屋に招いた。レンガの調査に没頭していたので、女性がこっそり入ってきたことに気が付かなかったかもしれない。それに、警備員のジェインはスタイルが良くて美人だった。こんな不審者ならいつでも大歓迎だと思った。 「室内を見せてください」  ジェインはそう言ってドアに施錠した。侵入者が部屋の中に潜んでいた場合、外に逃げられないようにというのだろう。それから、研究室や資料室の中を調べ始めた。資料室には書類や文献が無造作に積み重ねてあり、いつ崩れてもおかしくない。心配だったのでフェルはジェインと一緒に資料室に入った。  フェルは若い美人と二人きりになって、  資料が崩れかかったらジェインを守るために抱きかかえよう・・・  などと、よからぬ妄想を抱いた。  ジェインーは部屋を見回っていたのだが、もちろん女性の姿はどこにもなかった。 「怪しい女はいないようですね。でも、おかしいなあ、入り口のセンサーに検知されずに玄関を通ることなんかできないはずなんだけど」 「研究に熱中していると何があっても気が付かなくて」 「そんなに熱心なのは」  ジェインが机の上のレンガを覗き込んだ。 「レンガの研究ですか」 「そうです、おもに中世の城壁に使われていた石やレンガを調べています。城砦や塔などの建築物は今でもそのままの状態で残っているのですが、僕は遺跡から発掘される古いレンガの・・・」  得意の分野とあってついつい饒舌になる。 「おっと、それ、かなり重要なレンガでして、素手で触らない・・・」  問題の金属が食い込んだレンガをジェインーが手に取った。研究資料の大事なレンガだから手を触れないでもらいたいのだが、 「いえ、よろしければ、じっくりと見てください」  と歩み寄った。これをきっかけにジェインの関心を引けるのではないかという魂胆である。  しかし、 「私にはあんまりカンケーないみたい、だって、汚いし」  と、ジェインはレンガを興味なさそうに置いた。 「女性が部屋に入ったなんてありえないですよね。でもね、部屋に引き入れたんじゃないかと警備の主任が言うんですよ・・・こっそり、裏口から。お堅い研究してて退屈だから、ついその・・・」 「女性を連れ込むなんて、そんなこと僕がするわけないじゃないですか」 「あれれ、今はどうなの、あたし無理矢理、閉じ込められちゃった」 「違うでしょ、そ、それは、点検のために入ったのではありませんか」 「うふっ、本気にしてる」  ジェインがいたずらっぽく笑った。 「もし、怪しい人を見かけたら、いつでも警備室に連絡してください。私がブッ飛ばしちゃいます」  ジェインは「翌日も警備の勤務がある」と言って帰った。部屋にはほんのりいい香りが残っていた。  その夜、頼んでおいた年代測定の中間報告が届いた。予想した通り、そのレンガはおよそ550年前の物だった。
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