経緯

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経緯

私は今、介護士として働いている。 結婚して、勇気を産んで… それから、離婚して、勇気と離れて… …今に至る。 両親を事故で亡くし、天涯孤独だった私は、淋しさもあり、若くして勢いで結婚をしてしまった。 そして、妊娠中に知った夫の暴力に耐えて耐えて耐えていたが、最後には心の病気になってしまった私が逃げだした末、終わることとなった…。 息子の勇気を置き去りにして…。 ホントは、勇気を連れて逃げたかった。 夫の稼ぎで生計を立てていた私には、経済的に不安があった。 何よりも… 『お前一人で出てけ! 二人で出てくなら何するか分からんぞ!』 この言葉に私は怖くなった。 …ただでさえ殴られる日々だったのに、私が連れ出したら勇気はもっと辛い思いをするかもしれない… 私に父親が居れば、心強かったのかもしれない…。 私に母親が居たら、もっと強くいられたのかもしれない…。 そんな言い訳をして、結局は置き去りにしたのだ。 大切な…大切な…息子を…。 そして、私は一人になった… 離れてからしばらくは、朝起きてすぐに勇気を探して、居ないことに落胆し泣く日々が続いた。 それでも何とか仕事をしながら、お金をためて、いつか勇気と暮らせる日を夢見ていた。 何の資格も持っていなかった私は、掛け持ちでアルバイトをしながら介護の資格を取り、離婚した直後から昼間のアルバイトとして働いていた養護施設で、今年に入って社員として受け入れてもらった。 勇気と離れて丸5年が過ぎた。 私は元夫の両親へ連絡して会うことにした。 両親には元夫に隠れて少しだけ連絡はしていた。 元夫が留守の時を見計らって、外出する勇気の姿も少しだけど見ていた。 服から見え隠れする痣に、目を背けたくなる悲しみや情けなさを感じながら、 『私が逃げたせいで、今あの子はこんなに傷つけられてるんだ』 そう自分に叱咤し、金銭面でも精神面でも問題なく親権を奪えるように、生活を安定させるため働いた。 勇気と暮らすために。 少しだけでもいいから顔が見たくて、元夫の両親へ連絡を取った。 いつか私の手で抱きしめたい… そんな希望を夢にも見ながら、元夫の両親との待ち合わせ場所に向かった。
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