9人が本棚に入れています
本棚に追加
5日目
目が覚める。大晦日。友介は台所から祖母が料理をしている音を身体は起こさずにしばらく聞いていた。気づけばいつも天井の木目を数えている。数えているつもりで、途中からカウントは忘れている。
昨日は何も起きなかった。もちろん雪は降って、それだけでも東京で過ごす冬とは違って新鮮なのだが、それは友介が期待していた変化とは違った。
一昨日、温泉で会った女の子、その偶然が偶然で終わるか終わらないかの境目が昨日だったと友介は何となく思っていた。何しろ10日間だけの滞在で今日を終えれば、この旅は折り返す。一週間後にはもうここにはいない。そう考えると、既に何かが始まっていなければどうしようもないじゃないかという考えが友介の頭の中にあった。
祖母が部屋に近寄ってくる時の足音が聞こえて戸が開いた。
「友介。今日は温泉6時までだっぺ。早めに行っておきなさい」
「出た、スモール方言」とは突っ込まずに、友介は「分かった、ありがとう」と笑顔で返した。祖母と話せという母からのメッセージを思い出すが、次ぐ言葉は思いつかない。
「本屋って近くにどこかあるかな?」
おそらく無いと分かっていて、会話を続けるためだけに発した言葉。
「いやぁ、友介が使ってきた新幹線の駅まで行かねえとねえ」
予想していた答えだった。
「漫画か?」
「あぁ、うん。続きが読みたくて。でも東京に帰ってからで全然大丈夫なやつだから、ありがとう」
祖母は台所に一度戻って財布を取ってきた。祖母は友介に二千円を差し出す。
「電車さ乗って、漫画、買ってきなさい」
「いや、いいよそんな」
友介は我ながら、家族に対してこんな遠慮をしているから母から小言を言われるのではないかとも思いながら、それでもやっぱり漫画代を祖母にねだるつもりは無かったので差し出されたお金をすんなりと受け取ることに気が引けた。
「行ってきなさい」
祖母は孫に頼られたらなんでも嬉しいのだと母は電話で言っていたのを思い出す。漫画は、欲しい。
「うん。ありがとう」
祖母は笑顔になって、台所に戻るとローカル線の時刻表を持ってきた。それを見ると、最寄駅から本屋がある新幹線の駅に向かう列車は35分後に到着するようだ。友介は急にワクワクしてきた。
すぐに支度を済ませ、祖母に見送られて家を出る。両親とここに来た時、ローカル線を使って移動をしたことはなかった。この町に来て、ゆっくりとした時間を過ごし、温泉に浸かり、東京に帰るだけ。この地域を、何か目的を持って行き来することが友介にとってはとても新鮮なことだった。
駅をまっすぐに目指す。今日は珍しく晴れている。と言っても空気は冷たくて耳に触れると固い。空がいつもより大きく広がっているように見える。そういえば、昨日の夕焼けはとても綺麗だった。
駅に着くと、まだ到着までには時間があった。切符を買う場所と休憩所は一体になっていて中央のストーブを囲むように他の人も電車の到着を待っている。駅のホームに背中を向けるようにして座る二人掛けのベンチが空いていたので友介は荷物を降ろして座る。温かい飲み物でも買って過ごそうかと考えたが、お金を無駄遣いしたくはないと思い、諦める。
友介は周りを見渡してみる。電車が到着するまであと8分くらいだ。ふと、スポーツ新聞を読んでいた強面のおじさんが顔を上げたタイミングで目が合う。じっと友介の目を見つめていて、友介は自分の頭の奥まで見透かされているようなそんな不気味さすら覚えたが、その後、おじさんは酒に酔っているような笑顔を浮かべた。この町に住んでいる人だろうか。この場所で一年に何回もスポーツ新聞を読んで電車を待っている人なのだろうか。友介はまたそんなことを考えていた。
休憩所の扉がカラカラと音を立てて開いた。友介は今入ってきた人の方に顔を向けた瞬間、自分がそれまで何を考えていたかすら忘れた。温泉で見た女の子がそこに立っていた。友介の方を見た女の子の表情にも驚きの色が現れていた。
最初のコメントを投稿しよう!