5日目

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友介が立ち上がろうとしたタイミングで先に詩緒が腰を上げた。 「ごめん。私、この電車に乗らなきゃ。え、同じ電車?」 「ああ、うん。ちょっと、本を買いに行きたくて」 漫画、と言わなかったのはちょっぴり小説を買いに行くような含みを持たせたいという友介の無意識だった。 「え、私も!私は、漫画だけど」 友介は漫画と言わなかったことを後悔した。こういう後悔はよくある。 友介たちが乗る電車に乗るには跨線橋を渡って一つ線路をまたぐ必要があった。詩緒が前を歩いて、友介が後に続く。友介はどのくらいの距離を空けて歩くのが正解なのか、分からない。前を歩く詩緒と同じ速さでとりあえず歩いているだけなのに身体が必要以上に熱を持って、汗が出る。 遠くから電車が近づいてくる音が聞こえる。前には詩緒がいる。友介が普段住む世界のどこにもいない女の子だ。この旅が終われば、また別の世界の住人となる。この先おそらく時間が経っても忘れられない時間のただ中に自分は身を置いているのだと友介は思った。身体は冬の季節を忘れて火照っていた。 電車が停車すると、詩緒がドア横のボタンを押す。ドアが開いて二人で乗り込む。詩緒がもう一度ボタンを押して、ドアを閉める。冬の冷気が車内に入り込まないための仕組みだ。ここでは当たり前のそんな動作をスムーズにこなす詩緒を見て、やっぱりここの人なんだなと友介は実感する。 椅子に二人して腰かける。足元のストーブが温かい。汗をかいている友介はなるべくストーブから足を遠ざける。電車がゆっくりと動き出すと、景色はすぐに一面真っ白になる。積もった雪が太陽の光を反射してまぶしい。 電車が動き出してから少しして、詩緒が口を開く。 「東京ってほんとに憧れる。ここ、すっごい田舎でしょ?」 「いや、自然が多くて、個人的には好きだけど」 「ちょっとしかいないからだよ。ずっといたら意見変わるって」 友介は一理あると思った。現に自分は読みたい漫画の続きも読めないから今電車に乗っているのだ。自分は普段都会に住んでいる。だから自然を新鮮に感じているというだけなのかもしれない。何もないことの良さを感じることが出来るのは、何かを鬱陶しいと思ったことがある人たちだけなのかもしれない。 「もし将来さ、この町を出て上京するとかってなったら寂しい?」 「上京は絶対したいって思ってる。うーん、人は恋しいかな。友達とか多いし。たまに親にも会いたいって感じると思う」 「景色とか、そういうのは恋しくなったりしない?」 「千葉に行ったときにね。お父さんが房総半島を海沿いにドライブしてくれたりすることがあるんだけどね、千葉にも自然は沢山あるよから、無いのは雪だけかな」 「雪は好き?」 「雨よりは好きだけど、うちのお父さんは屋根の除雪とか大変そうだし、良いことばかりでもないって感じかなぁ」 友介はふと詩緒を質問攻めにしていたような感じがして、少し黙った。列車は快晴の中をなめらかに進んでいた。溶けても溶けても、まだ残っている雪がまぶしい。沈黙は目的地に到着するまで続いたが、漫画も無いのに退屈しない不思議な時間だった。友介は電車の中で詩緒の顔をちゃんと見ることが出来なかった。見たかったけど、きっかけがなかった。 駅に着いて、構内のエスカレーターを上がる。屋根もないようなローカル線の駅とは違い、東京にあるような大きくてきれいな駅だ。駅舎の端の方に進むと、本屋の看板が見えてきた。 「じゃあ私は漫画のコーナーだから」と言った詩緒に自分も今日は漫画の気分だと伝えた。わざわざ「今日は」と付け足す自分の見栄っ張りに嫌気が差す。詩緒に漫画のジャンルの好みを聞くと、「青年誌に載ってるような日常っぽい漫画」が好きなのだと言った。友介はどんなものかすぐには思いつかなかったけど、詩緒の真似をして同じ漫画の最初の三冊を買った。「人生があんまりうまくいってないようなキャラクター達が沢山挑戦して、それでもやっぱりうまくいかない漫画」という詩緒の解説を聞いて、何が面白いのかはいまいち分からなかった。それでも、詩緒が面白いという漫画がどんなものかを知れるというだけで、払った金額よりも大きな価値があると友介は感じていた。 「あれ、元々買おうとしてたやつはいいの?」 「こっちの方が気になるから今日はこっちにしようかなって」 「つまんなかったらごめんね。でも、感想気になるから読み終わったら聞かせてね」 詩緒はついでに和菓子の買い出しを頼まれていたらしく、書店を出たところで別れた。「一緒に行ってもいい?」の一言は喉元まで来たが、言えなかった。別れ際、チャットの連絡先を交換した。それも言い出してくれたのは詩緒だった。 帰りの電車では漫画を読んでいるようで、気づくとぼーっとして手が止まっていた。眠いわけでもない、不思議な気分。全くもって予想していなかった展開に心が追い付いていない。夢に現れたいちごオレの女の子は、急に詩緒というリアルになった。 手のひらの上の漫画では人生が上手くいっていない主人公が悪戦苦闘していた。主人公がずっと恋心を寄せているが手が届きそうにない女性が自分にとっての詩緒に思えた。手は、届かないだろうか。そもそも、ここに住んでもいない自分にとって「手が届く」とはどんな結末だろうか。窓の外では、太陽が少し傾き始めていた。 新年は、もうすぐそこまで来ている。
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