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3日目
もう二度と会わないと思っていた温泉にいた女の子との再会は驚くほどに早かった。友介はすでに女の子と隣同士に座っていて、ずっと前から知り合いだったように言葉を交わして、そしてきっちりと相手を笑顔にする会話も心得ている。どこまでも現実感のあるその情景は目が覚めてみれば非現実的なことこの上なかった。友介は改めて、温泉で出会った彼女がいちごオレを飲んでいた普通の女の子というには強すぎる印象を自分に残したことを自覚した。
寝室の窓に人影が映り、足音が通り過ぎて行った。祖父が庭を歩く音だ。雪は昨日、友介が温泉に行った時よりも少し強く、遠くを見渡すには少し不自由で空には暗さがある。友介の感覚はもう東京を引きずっておらず、身体はこの地の空気に馴染み始めた落ち着きがある。天気のせいか、その落ち着きは気を抜くと孤独に姿を変えてしまうような危うさがあった。
友介は夢に彼女が現れたことに意味を見出そうと試みていた。その昔、想いを寄せる人が夢に現れるのは、お互いが思いを寄せ合っていることを示しているという事が信じられていたことがあったと、学校で聞いたのを思い出す。ばかばかしいと一蹴する自分の理性を押しやって、どうにかその説に一筋の光を導き出すことは出来ないかと友介は考える。考えるが、頭の中で何か突破口を見つけたとして、それに現実が付いてくる保証はないことに落胆する。そんなことを繰り返す。夢に見るのは両想いの証だとしても、友介は女の子の名前も知らなければ、住む場所もおそらくこの町のどこかであろうという事以上には知らない。
この想いはこれっきりであって、時間をかけて思い悩むことも今日で最後なのだろうかと友介は思った。何よりそもそも夢に彼女が出てきたことは、本当に何か意味はあるのだろうか。昨日は温泉から帰ってきて、祖父母ほどではないが早く寝た。彼女はもちろん昨日の記憶の一部で、頭は寝ている間に色んな記憶を整理して、ただ単にその過程で彼女が夢に姿を現しただけなのではないだろうか。ただ、マッサージチェアに座っていた老人は夢の中で姿を現さなかったことに友介は思い至る。少なくとも更衣室の入り口にいた老人よりは、いちごオレの彼女の印象は強かったのかもしれない。
部屋は相変わらず静かだ。その静けさは友介にとって少し恐ろしくもあった。昨日通りすがった家々では、きっと話し声や料理をする音、それにテレビの音も流れているんだろう。それでも、この真っ白な雪景色の中で、それらの音は当人たち以外の記憶には刻まれず、他の誰も知る由はない。当人たちが忘れてしまえば、この世からあったかもなかったかも分からない日常だ。それは東京の家々でも同じことかもしれないけれど、この場所ではその事実がより強く意識された。ましてや、友介の頭の中にある昨日であった少女に対する思いはは、友介さえ忘れてしまえば世界中の誰も知ることがなく姿を消していく。夢に現れる事は両思いであるという仮説がいつか本当だったと証明される日がくれば、この想いは友介ともう一人の頭の中にある考えという事になるから、また話は別だが。
友介は畳に背中を付けて天井を仰ぎ、木目の数を数えて時間の過ぎるのが遅いことを意識する。時間がありすぎることはたまに心を暗くする。孤独と言えば簡単だが、もう少しいろんな感情が混じりあっているような気がする。気にしなくてもいいことを考えすぎてしまい、しかもそれらを悪い結果ありきで導き出してしまうような意地の悪さを感じるときがある。友介はまた短い眠りについていた。雪はずっと同じ速さで窓の外を過ぎていく。
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