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「近くに来た」という言葉を電話で聞くと、片間はりかいちゃんをアパートの外に出るように促しました。りかいちゃんは扉を開けて、歩いているパパと、しょーむくん、まとちゃんの姿を見つけました。
カンカンと階段を降りると、しょーむくんとまとちゃんが駆け寄って来ます。
「りかいちゃん!」「だいじょうぶ?」
「へいきだ」
「りかい……!」
りかいちゃんはパパの方を向き、片間が怒った理由と、謝りたがっていることを伝えました。
「……片間、出てこい。直接話をしたい」
パパが電話で片間に伝えると、片間も部屋から出て来ました。少し重い足取りで階段をゆっくり降り、両手でスマホを握りしめています。
「……あの、俺は……」
「りかいから聞いた。俺は無神経なことを言って君を傷つけていたんだな。すまなかった」
「……」
片間は一瞬りかいちゃんを見て、「もういいです」と震える声で言いました。
「悪いのは俺です。娘さんを怖い目に合わせるようなことをして、本当にすみませんでした!」
片間はばっと深く頭を下げました。
「りかいはなにもこわくなかった」りかいちゃんが言いますが、パパは「黙っていなさい」と静かに諭しました。
「りかいに免じて今日のことは見逃そう。だが本来は許されるべきじゃないからな。たとえ衝動的にやってしまったとしても、報復のために子供を誘拐するなんてとんでもないことだ」
「承知しています」
「二度とするんじゃない」
「はい」
頭を下げ続ける片間に、パパは「顔を上げなさい」と言います。そしてすぐ「帰るぞ」と、小さな探偵団を連れて駅の方に引き返しました。
りかいちゃんは片間の方を振り返りました。片間は腕を目にこすりつけるようにして、また泣いていました。
「りかい、見なくていい」パパが言います。
「カタマないてる」
「いいから」
片間の姿が見えなくなってからしばらく歩くと、パパは突然、三人に道の端に寄るように言って、膝をつきました。
「りかい、それに二人とも。あの片間という人はそこまで悪い奴じゃなかったが、危ないことがあったらじっとしてちゃいけない。ちゃんと逃げて、近くの大人に助けを求めるんだ。わかったな?」
「でも、あのおにいさんは、」
「しょーむくんが言いたいことはわかるが、大人は親切にしてくれるからいい人とは限らないんだ。相手が悪い人かどうかは大人が判断する。とにかく怖いと思うことがあったら、必ず助けを呼ぶんだ」
「なんでだ?」りかいちゃんが聞き返します。
「なんでおとながはんだんする?」
「……りかいたちはまだ子供だからだ」パパは困ったように眉を潜めながら言いました。
「大人は難しいことに慣れているが、子供にはわからないことがたくさんある」
「わるいやつかわからないのに、わるいやつときめつけるのか?」
「りかい、片間に力で勝てる自信はあるか?」
「かてない。でもまけるとはかぎらない」
「そうじゃなくてな……まあ、とにかく。子供だけで大人に勝つのは難しい。君たちが怪我をしたり死んだりしたら、悲しい思いをするのは君たちのお父さんやお母さんだ。悪いことに巻き込まれてはいけないんだよ」
「……」
悪いことに巻き込まれてはいけない。
りかいちゃんは、きっとパパも、家族のために大切にしていることなんだろうなと思いました。
「……さて、みんなで帰ろうか!」
パパは声色を明るくして立ち上がりました。
「全く、電車に乗ってついてくるなんて思わなかった。”みすてりぃたんていだん”は尾行の才能があるな」
「とうぜんだ」
「でもどうやって電車に乗ったんだ?」
「りかいのICカードは168えんあった」
「ぼくはおこづかいをもってきました」
「わたしは……」
「そうだパパ、しょーむはきっぷの85えんとまとの85えん、くすりに527えんをつかっている」
「おいおい、しょーむくんに払わせてばかりじゃないか!」
「ごめんなさい、わたしおかねがなかったから、しょーむくんにかりたの!」
まとちゃんが謝ります。
「確か、片間には薬代を返したと言っていたな。助け合うのはいいことだが……はぁ。この二人の親御さんには謝らないとな……」
「りかいはおかねをかぞえられる。みていたからだいじょうぶだ」
「そういう問題じゃないんだよ」
「ならどういうもんだいだ」
「だから、うーん……お金の貸し借りはまずやってはいけないことだ」
「パパはママによくお金借りてる」
「あれは家族のお金だからいいの! 話が進まないからりかいはちょっと黙ろう! な?」
「むう」りかいちゃんがは不満げに項垂れます。
「そうだな……もし、どうしてもお金の貸し借りをする必要になった時は、誰から借りたか、いくら貸したか、何に使ったか、ちゃんとメモをしてお父さんやお母さんに渡すことだ」
「でもわたし、いつもメモをもっていないわ。それにりかいちゃんみたいにきれいなじがかけないの」とまとちゃん。
「……そうだった。なら、字を習うまではりかいに代筆してもらうようにしようか」
「パパだいしつってなんだ」
「”だいひつ”な。代わりに書いてあげることだ」
「りかいがすうじをおぼえればいい。なんでかく?」
「証明のためだ。お金の貸し借りは一種の契約だから、その証拠を作っておくのが大事なんだよ」
「しょうこか。しょうこはだいじだな」
「そう、証拠は大事だ」
「でもけいやくをしょうこにするのはなんでだいじになる?」
「んー……それは、だなあ……」
パパはしばらくウンウンと唸って、「借用書が債権債務を立証するために必要だから、なんて言ってもわからないよなぁ」と何だか難しいことをつぶやき、
「そうだ、約束を破らないように記録をするためだな」
と言いました。りかいちゃんは顔をしかめます。
「りかいはやくそくをやぶらない」
「とにかく、これは今度から家族の決まりにするからな。しょーむくんとまとちゃんのお父さんお母さんにも話しておくから」
りかいちゃんは納得できないようでしたが、決まりと言われれば仕方がありません。
駅について、三人はパパに切符を買ってもらいました。電車に乗って、元の駅に帰ります。
改札の外では、しょーむくんのお母さんと、まとちゃんの両親が待っていました。電車を待っている間に、パパが連絡したからです。子供だけで勝手に遠くに出かけたこと、大人たちは少し怒っていて、しょーむくんもまとちゃんも「ごめんなさい」と謝りました。パパも謝ってばかりでした。
「りかいちゃんまとちゃん、バイバイ」
「またようちえんであいましょうね!」
「じゃあな。きょうはかいさんだ」
しょーむくんとまとちゃんと別れ、りかいちゃんはパパと手を繋ぎます。外に出てふと空を見上げると、綺麗な紫色が見えました。かあかあと町のカラスが鳴いています。
「ああ、そうだ、りかい」突然パパが言いました。
「これ、落としてたから拾ったぞ」
「りかいのむしメガネ……」
りかいちゃんのお気に入りの虫メガネ。手に持ってずしっとした感触がすると、いつもの虫メガネでホッとします。
「む、メガネがケガをしてる」
「落とした衝撃で割れたんだろう。レンズを交換してもらえばいいさ」
「パパありがとう」
「うん」
「きょうはびこう、たのしかった」
大変なこともありましたが、りかいちゃんは嬉しそうです。
とてもとても、楽しい一日でした。
「子供だけで電車に乗ったら危ないからな。今度から尾行ごっこは大人と一緒にやるんだぞ」
「パパ、ひとつぎもんがある」
「なんだ?」
「トレンチコートのひげのおとこ、パパのしりあいか?」
「あー、パチンコ屋の? そう、だな。ちょっとした知り合いだよ」
「あとおひるにパチンコやにはいったのはなんでだ? サボりか?」
「……」探偵は渋そうに口を閉じました。
「りかい、アイス食べるか?」
「たべる」
「ハー○ンナ○ツ買ってやるから、パチンコ屋のことはママに言うなよ?」
「なんでだ?」
「業務上の秘匿義務というやつだ」
「ひとくぎむ」
「そう、秘匿義務だ。探偵は人に秘密をばらしてはいけない。これは何よりも大切なことだ」
「なるほど」
りかいちゃんはメモを取り出します。
「”たんていはひみつをばらしてはいけない ぜったいダメ”」
「そうだ、絶対ダメだ」
「きもにめいじる」
りかいちゃんは「まかせろ」と言わんばかりに、ぐっと親指を立てました。
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