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りかいちゃんのパパにはすぐに追いつきました。改札を抜けて、ずんずんとエスカレーターを登ります。すぐ近くにパパがいました。
「しまった、はちあわせる! かくれろ!」
りかいちゃんが小声で命令して、三人はさっと、ホームの反対側の階段の壁に隠れました。大人であれば体が見えてしまいますが、りかいちゃんたちの身長なら、パパの方から見えません。
パパはポケットに手を入れて、電車が待ち遠しそうにとんとんと靴を鳴らしています。スマホに夢中で、りかいちゃんたちには気がついていません。
やがて電車が来ました。三人は、パパより少し遅れて乗り込みます。
電車の中は、座席がぽつぽつと空いていて、壁にはカラフルな絵や文字がたくさん貼りつけられていました。周りの人はりかいちゃんたちに少しびっくりしていましたが、何もいいませんでした。
りかいちゃんはパパが降りる瞬間を見逃すまいと、じっと見ています。
まとちゃんはあまり電車に乗ったことがないようで、困ったようにきょろきょろしています。
しょーむくんは座っているおじさんの、水着姿の女性が笑っている雑誌をちらちらと見ています。
しばらくガタンゴトンと揺られて、りかいちゃんのパパは二駅目で降りました。
この駅はりかいちゃんも知っていました。ショッピングモールがあるので、ママとパパと何度も来たことがあります。また、学生街でもありました。パパはリュックを背負ったお兄さんやお洒落なお姉さんにまぎれて降りていきます。
改札を抜けて階段を降りると、ロータリーに出ます。パパは道路を渡ることなく、線路沿いの道に入っていきました。時々電車が通る音はしますが、人通りがありません。
「これはこまった」
建物の影に隠れながら、りかいちゃんがつぶやきます。
「ひとがいないとカモフラージュができない」
「かくれながらすすむしかないよ」
しょーむくんの提案に、りかいちゃんは「わかってる」と答えます。
「ふそくのじたいにもたいしょできなければ、たんていしっかくだ」
じりじり、さっと。じりじり、さっと。電信柱の影や建物の隙間に潜り込みながら、りかいちゃんたちはパパを追います。
やがて、パパはぴたりと足を止めました。
パパの視線は、古びた置き看板に注がれています。そして、地下に向かう階段を降りて、扉の向こうに行ってしまいました。
それを見送ったりかいちゃんたちは、ばたばたと看板に近寄ります。
「……でんわばんごう……と、えいご?」
りかいちゃんがアルファベットに困惑して目を白黒させていると、
「"バー"って読むのよ」とまとちゃん。
「バー?」
「B、A、Rだから、よみかたは"バー"」
まとちゃんは英語を習っています。簡単な英単語なら読めるのです。
「でも、どうしてバーにはいったのかしら? おさけをのむためのおみせよね?」
「じょーほーしゅーしゅーだ」とりかいちゃん。
「じょーほーしゅーしゅー?」
「バーのマスターはあらゆることをしっている。それをきくために、パパはでんしゃでここにきたんだ」
りかいちゃんは探偵のアニメでみたことがあります。あれは本当だったんだと目を輝かせ、”たんていはバーでじょーほーしゅーしゅー”と、りかいちゃんはメモに書き込みました。
「でも、どうやってなかにはいる? バーはおとなしかはいれないおみせだよ」
ぽつりとしょーむくんがつぶやきました。りかいちゃんははっと顔を上げます。
「……むう、そうか。こどもがバーにはいるのは、フホウシンニュウになるのか」
「ちがうよ。フホウシンニュウはどろぼうのことだよ。ぼくたちはどろぼうしない」
しょーむくんはそう言って、うーんと唸りました。
「たとえば、かたぐるまして、おとなのふりをするとか……」
「それだ!!」
というわけで、しょーむくんはまとちゃんをかたぐるますることになりました。二人合わせれば、大人くらいの身長にはなりそうです。
なるほど、そこら辺にあったブルーシートを拝借して体に巻くと、大人に見えるかもしれません。
「おもい」
「レディにおもいなんてしつれいよ」まとちゃんが膨れます。
「たのんだぞ、しょーむ、まと」
しょーむくんとまとちゃんはフラフラとバーの階段に向かって行きました。
あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。
とても不安定な大人になってしまい、りかいちゃんもはらはらしながら、ぐっと両手で拳を作ります。
「頑張れ、まと、ショーマ」
……そして、しょーむくんが何かにつまづき、どてっと店に入る前に転びました。
「うえーーーーーーん!」
「いたいよーーーーーー!」
上に乗っていたまとちゃんは膝を擦り剥き、しょーむくんは頬に傷を負いました。
「ふ、ふたりとも、なくな! きずに触るる」
りかいちゃんはどうしたらいいかわからなくてオロオロします。
「……あの、君たち、どうしたの?」
ふと声をかけられて振り返ると、金色に髪を染めた男の大人が立っていました。
「うわ、怪我してるじゃん! 早く傷を洗って消毒しないと!」
「だれだおまえ……!」
知らない人を見てりかいちゃんは警戒します。
「誰、っていわれても、通りすがりの人としか……」
「なまえをいえ」
「か、片間浩二」
りかいちゃんがスマホを握りしめています。大人は「怪しい者じゃないよ。この近くの大学生だ」と、慌てたように学生証を出しました。
りかいちゃんは学生証をじっと睨んで、次に顔写真と大人を見比べて、「うそはないな」とつぶやきました。
「駅の近くに薬局があるから、そこで消毒液を買おう」
「う、でも、びこうが……」
「尾行? 誰かの後をつけているの?」
りかいちゃんは泣いているしょーむくんとまとちゃんを見て、
「いや、なかまのぶじがだいじだ」と言いました。
さて、まとちゃんはりかいちゃんに手を引かれて、しょーむくんは片間浩二に背負われて、駅の方に戻りました。
薬局の店員である女の人に事情を説明するとお手洗いに案内されて、片間はまとちゃんとしょーむくんの傷を洗いました。りかいちゃんは扉が開いたままのトイレの前で不安そうにきょろきょろしながら、処置が終わるのを待っていました。
片間が買った消毒液で消毒をして、大きい絆創膏を貼ります。
「はい、これで大丈夫だよ。我慢できて偉かったね」
だいぶ泣き止んだしょーむくんとまとちゃんはしゃっくりをあげながら「ありがとうございます」「ありがとう」と言いました。
「……とおりすがりのカタマ、ありがとう」
りかいちゃんもお礼を言いました。
「どういたしまして」
「がっこうちこくしてないか?」
「大丈夫。大したことない講義だし」
「サボるのよくないのに、すまない」
りかいちゃんは、この人はきっといい人だと思いました。そしてハッと、知らない人にお金を借りてしまったことに気がつきました。
「ママにはなして、かったもののおかねかえす……」
「いいよこれくらい。絆創膏と消毒液だけだから」
「ダメ。528えん、ちゃんとかえす。りかいがパパとママにおこられる」
「ぼ、ぼくがかえします!」と、しょーむくんがお財布を取り出しました。
「ええっと、500えんと、10えんと、10えんと、5えんと、1えんと、1えんと……たりない……」
「じゃあ1円は手当の代金にしようか。ありがとう」
片間は笑ってしょーむくんから527円を受け取りました。
「……みんな、びこうをつづけるぞ。いこう」
「びこう?」
「たんていだんのにんむだ。じゃあな、カタマ」
立ち去ろうとするりかいちゃんたちに、片間はバイバイと手を振っています。
三人もバイバイと振り返しました。
……さて、尾行を続けるために、元の道に向かう途中。
「しょーむ、まと……ごめんなさい」
しゅんとりかいちゃんはこうべを垂れました。
「ふたりはりかいのせいでケガをした」
「「いいよ」」と、二人は笑いました。
「だいじょうぶだよ。ぼくはうごけるから」
「わたしもへいきよ。これくらいかすりキズ」
「ちょうさはつづけられるか?」
しょーむくんとまとちゃんは元気よく「うん!」と言いました。
さっきのところに戻りましたが、やはりバーの周りはしんとしています。
「もうりかいちゃんのパパはいないかもしれないわ」
「ぼくがころんだせいだ」
「それはいい。ケガはしかたない」
とりかいちゃんが言った、次の瞬間。からんと扉が開いて、人が出てきました。
三人は慌てて看板の後ろに隠れます。
「あ、りかいちゃんのパパだ!」
ひそひそ声でしょーむくんが叫びました。
りかいちゃんのパパは電話をしていたようですが、スマホを耳から降ろして、口笛を吹きながら駅の方に戻って行きます。
「グットラックだ! 追うぞ!」
りかいちゃんがひょいと道の真ん中に飛び出して、パパの後を追います。
しょーむくんとまとちゃんは「グッドラックってなんだろう?」「”こううんを”ね。がんばろうっていみかしら?」と首をひねりながら、りかいちゃんの後を追いました。
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