633人が本棚に入れています
本棚に追加
茉莉に別れ話を切り出したあの日に、尾藤を訪ねてきたのは、少女漫画から抜け出たような細面の優男だった。
加賀谷いつき。茉莉の元婚約者。
「刑事さん、久しぶりですね。僕のこと覚えてます?」
昼休みに尾藤がふらりと署を出たときに声をかけてきたいつきは、にこにこと笑っていた。このクソ野郎。今更また何を。
「覚えてるよ」
「ちょっとお話しできませんか」
「何だか知らんが、署で聞くわ」
「あ、外の方がいいと思いますよ。あんな若い子と付き合ってるって職場にバレたら嫌じゃないですか?」
「はあ?」
嫌な予感がした。
尾藤はやむを得ず、いつきと近くの喫茶店に入り、向かい合って座った。いつきはテーブルの上に乗せた指を組んで、胡散臭い微笑みを浮かべた。
「僕たちが会ったあのクリスマスの日、何か変だと思ったんですよね。ただのお隣さんにしては、茉莉がやたら懐いてる感じがして。彼女があなたみたいな人が好きだとは思いもしなかったなあ」
「で、用事は?」
尾藤が唸るように聞くと、いつきはテーブルの上にパンフレットを滑らせた。目を落とす。
大平硝子株式会社。大平硝子。大平。
いつきは面白そうに言った。
「茉莉の実家です。あの子は社長の娘なんですよ。知ってました? 知らないですよね。知ってたら付き合えないですよね」
確かに、知らなかった。
尾藤の目がスッと細くなった。
最初のコメントを投稿しよう!