30.(尾藤)花屋と刑事の一年後

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 それにしても、茉莉が事業を始めただなんて、信じられない。あの茉莉が。 「……大丈夫かよ、お前、経営とか……」 「ビジネススクールも通ってお勉強中です。算数は嫌いだったんですけど、簿記とか意外と面白くて。人間、分かんないもんですねえ」  のんびり言う口調は、やっぱり茉莉のものだった。  茉莉は穏やかに笑った。 「ほんとはもっとお店を大きくしてから、尾藤さんに会いに行きたかったんですけど、それを待ってたらいつになるか分からないですよね。尾藤さんに新しい彼女できたら嫌だし」 「……できねえよ」  尾藤は何とかそれだけ言った。 「尾藤さん」  茉莉が尾藤の目を見る。この目。変わらない目。真っ直ぐで純粋で、ずっと怖かった。彼女の清潔さが怖かった。 「私が尾藤さんを幸せにします。まだまだ、ですけど。私はもっと強くなります。尾藤さんを明るいところに引っ張り出します。ずーっとキラキラ光ってて、面倒くさいこと考えてらんないような、明るいところに」 「茉莉」  茉莉の名前を呼んだ尾藤の声は、情けなく歪んでいた。
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