病弱令嬢の婚約事情

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「ロメリア・デュノアイエ! 貴女との婚約を破棄させて頂く!」  声高らかに告げられた突然の発言に、デュノアイエ公爵令嬢、ロメリアは驚きでその場から動けなくなった。  そう告げたのはこの国、マルテリカ王国の第一王子、アルセウス・リンデグレンだ。婚約破棄を告げられたロメリアとは、幼い頃より婚約を結んでいた間柄だった。  今日は二人が通う学園での卒業式だ。病弱なロメリアはこの学園の生徒と言えどほぼ通うことが出来ず、体調の良いときのみ少しの時間授業を受けに来るのみだったのだが、成績は優秀だった。    学園に通えずとも、勉強についていこうと自宅での勉強には余念がなかった。それは体を心配した家族が止めるほどに。  将来の王妃となるべく教育は病弱な為、ほぼ何も出来なかった。だからせめて勉強だけはと、ロメリアなりに頑張ったのだ。その甲斐あって落第する事もなく常に上位の成績であり、こうして無事卒業を迎える事が出来たのだ。  卒業すればアルセウス王子は王太子となり、ロメリアと婚姻を結ぶ事になる。その前にどうしてもアルセウスはロメリアと婚約を破棄したいと思っていた。 「アルス様……ど、どういう事でしょうか……?」 「どういう事もなにも、今言ったとおりだ。申し訳ないが、ロメリアを私の伴侶にはできない」 「なぜ、でしょうか……?」 「それはロメリアが一番分かっているだろう? そんなに病弱な体で、国母が務まるとは思えないからだ」 「ですが! それでもアルス様とわたくしは共にあるべきなのです!」 「病弱なロメリアの面倒をずっと私に見続けろとでもでも言うのか?! その体では子を成す事も難しい! それでも王妃の座に食らいつくか?! なんとあさましいのだ!」 「そうでは……っ!」  言ってロメリアはふらついた。こんな大きな声をあげた事は今までなかった。いや、幼い頃に一度あったくらいか。  今日はまだ体調が良かった。この日の為に体調を万全にするべく、ロメリアとその家族は調整してきたのだ。それは 「アルス様と一緒に卒業式に出たい」 と言ったロメリアの願いを叶える為だった。  この病弱な娘は我儘を殆ど言わなかった。いつも笑顔で優しく、家族や邸の使用人達に愛されて育ったのだ。だから滅多に言わない我儘を、なんとしても叶えてやりたいと思っていたのだ。  ふらついたロメリアを咄嗟に支えたのは、ロメリアの兄、ユーインだった。  卒業式は学園の者達だけで済ませるのだが、その後開かれる祝賀パーティーは生徒達の保護者達も参加する。その為、パーティー会場には既に保護者達が待機しており、卒業式を終えて会場までやってくる我が子を今か今かと待ち望んでいるのだ。  そんな中、ユーインはロメリアが心配だった為、エスコートするべく卒業式に参加していた。本来ならば婚約者であるアルセウスがエスコートするべきなのだが、最近は会いに来る事もなく、卒業式のドレスを贈る事もしなかった。  そんな婚約者としての行いを全くしなくなったアルセウスに憤ったロメリアの家族だったが、それを諌めたのはロメリアだった。ロメリアはアルセウスを心から慕っていたのだ。  献身的な愛。  その言葉がロメリアに何よりも当て嵌めると、家族は思っていた。だからこそ、アルセウスの事が許せないと感じていた。 「ロメリア、大丈夫か?」 「えぇ、お兄様……」 「少し声を荒げただけでそれでは、王妃は務まらない事くらい分かるだろう? 私に相応しいのは貴女ではない」 「アルス様……しかしそれは陛下が許されないと思いますが……」 「なんの弱味を握っているのか知らんが、必ず説得する。私が幸せでいる事こそ、この国が繁栄するだろうからな」 「わたくしでは幸せになれないと……?」 「当然だ。いつも顔色が悪く、共に何処にも行けず、いて欲しい時に一緒にいられない相手と幸せになれるとは思えない」 「では……その方とであれば……アルス様は幸せになれると……そう言われるのですか?」  そう言ってロメリアは、アルセウスの横に立つ令嬢に目を向ける。そこには輝く金の髪をした、空のように澄んだ青の瞳をした美しい女性がいた。  学園にあまり来れなかったロメリアは知らなかったが、アルセウスとこの令嬢は、今や誰もが知る仲だった。  マリベル・アマビスカ伯爵令嬢。  健康的な肌色。頬は血色がよく、張りがある。体も豊満な胸に細い腰、なんとも男性の心を擽る体つきであった。  対してロメリアは同じ金の髪をしていても、それはくすんでいるように見える。瞳は暗い青で、マリベルの明るい空色とは雲泥の差のように感じる。肌も唇もかさつき、目の下には化粧では隠しきれないクマもある。体は貧相で痩せ細っており、一人で立つのも難しいと思われた。  比べられては勝てる所は一つもないように感じられる。それでも、ロメリアはアルセウスを諦める訳にはいかなかった。 「アルス様、考え直してくださいませ。その方を側室とするのであれば文句は言いません。ですから……」 「貴女の顔を見るのはもう嫌なんだ!」 「え……」 「その病弱な顔を見る度に病が移されるように感じてしまう。気分も滅入ってしまう。苦痛でしかないんだ」 「そんな……」 「ロメリア様、わたくしとアルス様の仲を認めてください。わたくしはアルス様を愛しているのです」 「私も愛しているよ。マリベル」 「アルス様……」 「もうその名で呼ぶのは止めてくれないか。特別な人にしかそう呼ばれたくないからな。マリベルは私の初恋の人なんだ。やっと見つけ出したのだ」 「初恋の……?」 「だからこれ以上、私たちの邪魔をしないでくれないか。頼むからもう私の前に顔を出さないで貰いたい」  ロメリアはもう何も言えず、ただ下を向くしか出来なかった。こんなに嫌われていたなんて思いもしなかった。ただ、幼い頃に笑い合ったあの頃にすがるように、アルセウスの婚約者としての自分を奮い立たせていたのだ。   「ロメリア、もう良いだろう? あそこまで言われてロメリアが耐える必要はないんだ」 「お兄様、でも……っ!」 「何も知らずにのうのうと生きてきた癖に、これ以上ロメリアを傷つける事は許せない……! あんな奴の為にロメリアがこれ以上苦しむ必要なんてないんだ!」  ユーインのその言葉に、ロメリアの目から涙が零れ落ちた。アルセウスの為であれば、どんな事でも耐えていこうと思った。アルセウスが自分を愛してくれるのならば、ロメリアはそれで良かったのだ。  でも顔も見たくないと言われてしまった。もう自分じゃないんだ。そう理解しても、まだロメリアは戸惑ってしまう。    そんなロメリアの事など知るよしもないアルセウスとマリベルは見つめ合いながら微笑む。体を寄せ、今にも唇同士が触れそうな程だ。  それを見てロメリアは目を逸らした。これ以上見たくなかった。自分以外の人に愛しく見つめるアルセウスを見たくなかったのだ。 「分かりました……ですが殿下、本当にいいんでしょうか?」 「そのように何度も言っている」 「後悔、しませんか?」 「くどい!」 「では……契約を取り消します。わたくしはもう殿下とは何の関係もなくなります。アルセウス・リンデグレン殿下に全てお返しいたします」 「返す……? 今までそなたに贈った物か? それは返さずとも……」  ロメリアが言った途端に、アルセウスとロメリアの体は光り輝いた。アルセウスは何が起こったのか分からずに、ただその光に包まれたまま、呆然と立ち尽くしていた。  そんな中、パーティー会場からバタバタと駆け寄る足音が響く。 「アルセウス! どういう事なのだ?! 何を血迷ったのか!」  声を張り上げて卒業式の会場に姿を現したのは、この国マルテリカ王国国王、エリファレット・リンデグレン・マルテリカだった。  この婚約破棄騒動を侍従から告げられ急いでやって来たのだが、時すでに遅しであった。  光に包まれたアルセウスとロメリアを見たエリファレットは、絶望の表情を浮かべるしかできなかった。  やがて光は少しずつ和らいでいくと、さっきまで気丈に振る舞っていたアルセウスはその場に膝から崩れ落ちてしまった。  それを見たエリファレットは慌てて駆け寄り、アルセウスを支え起こす。  アルセウスは何が起こったのか理解できなかった。身体中から力が抜け、呼吸が出来にくくなり、胸が苦しいのだ。  心配そうに見るエリファレットに何か言おうとしても、言葉を発する力さえ無くなったように声が出そうにない。  これは一体どうしたのか…… 「ロメリア、アルセウスが勝手な事をして申し訳なかった! どうかもう一度契約を結び直してもらえないだろうか?!」 「陛下……それはもう無理でございます」  悲しそうな表情でエリファレットを見詰めるロメリアは、先程とは打って変わって、誰に支えて貰わずとも凛とした佇まいで立っていた。  痩せた体は変わらないが、頬に赤みをおび、髪は美しく輝いている。瞳は美しく光るように輝く深海色の青で、これが病弱だったロメリアだったのかと、誰もが疑う程に変貌していたのだ。   「陛下もご存じのはずです。この契約は一度きり。もう二度と結び直す事はできません。私以外であればそれは可能でしょうが……」 「では! そなた! 何と言ったか?! 婚約を破棄させた原因である令嬢! そなたでも構わぬ! アルセウスと契約をして貰えぬか?!」 「え?! な、なんの事でしょうか?!」 「陛下、その言い方では分からないですよ。私から説明致しましょう」    そう言って前に出たのはロメリアの兄、ユーインだ。困惑するマリベルの前まで進み、チラリと蔑むようにアルセウスを見てため息を吐き、それからアルセウスとロメリアが婚約に至る経緯を話し出した。  それは二人がまだ幼い頃……  王宮で茶会が行われ、それにロメリアが参加した日の事。  それは茶会とは名ばかりで、実は第一王子であるアルセウスの婚約者選びの場だったのだが、幼い貴族の令嬢達にその事は告げられず、ただ気楽に参加できる場として設けられていた。    しかし、当初病弱だったアルセウスは、その場に参加することが困難な状態だった。体調が思わしくなく、大事をとって自室で休んでいたのだが、自分の為に開かれた茶会に出られないもどかしさと、同年代の者に会える機会がほぼなかった日々の中にいたアルセウスは、この日を心待ちにしていたのにこうなってしまった事を恨めしく思っていた。  だからコッソリと自室を抜け出した。  少し歩くと息切れしてしまう。動悸もする。だけどこれはいつもの事だ。今日は令嬢達が庭園に集まっていて、その対応に使用人達も忙しいらしく、自室を出て歩いていても誰に会うこともなかった。それがかえって好都合だった。  いつも気遣われ腫れ物を触るように接しられる事が、アルセウスにはもどかしく感じていた。それは使用人達だけでなく国王で父でもあるエリファレットも王妃である母であってもだ。  病弱である王子としてではなく、一人の人として接して貰いたいと常々感じていたアルセウスは、ゆっくりながらも少しずつ歩を進め、何とか庭園までたどり着いた。  王子が茶会に出席できずとも、だからといってこの会が無かった事にはならず、集まった令嬢とその親達の対応は王妃と国王がしていた。ここで親達は我が子を売り出すべく、国王に令嬢の良さを主張する。  婚約者探しだと伏せられていた筈だったのだが、この機会を逃してはならないと、きっと令嬢達は親に厳しく言われていたのだろう。幼いながらも慎ましく礼儀正しく、大人しく振る舞っていたのだ。  それはアルセウスの思っていた場面とは違っていた。  もっと楽しく話せて、遊べるものだと思っていた。令嬢とはいえ、友達をつくれる機会ではないかとも思っていたのだ。  しかし集まった令嬢は親の言いなりの如く、まるで動く人形のように見えた。そこには人間味が感じられなかった。  庭園の傍らに立つ大きな木にもたれ掛かりながら、遠目にその様子を伺っていたアルセウスは、期待感の喪失に自身の体の力も喪失してしまったように、その場にズルズルと崩れ落ちるようにしゃがみこんでしまった。 「どうしたの? どこか具合が悪いの?」 「え……?」  不意に聞こえてきたその声の持ち主を探そうと辺りをキョロキョロ見渡すが、見る限りどこにもそれらしき人物は見当たらない。  とうとう幻聴も聞こえる迄になったのかと思ったその時、また声が聞こえてきた。 「ふふ……どこにいるか分からないでしょ? こっちだよ!」 「えっと、それはどこ……」  頭上からガサガサと葉が擦れる音がした。アルセウスが上を向くと、木の枝には女の子が座っていた。  その子の髪は木漏れ日に当たった所がキラキラ金に光っていて、絵本で読んだ美しい海と同じ色の瞳をしていた。  天使なのかと思った。病弱な自分を迎えに来たのかと思った。でもこの子に連れて行かれるのなら、それで良いとさえ思った。  しかしその子は器用に木からスルスルと降りてきて、アルセウスの前に腰を下ろしたのだ。     「ねぇ、大丈夫? なんだか顔色が悪いよ?」 「うん……僕体が弱くって……ちょっと疲れて休んでたんだ……」 「そうなの? お部屋に帰る? 一緒に行こうか?」 「ううん……それより君はどうして木に登っていたの?」 「えっとね、お母様に連れて来られてここまで来たの。お友達にいっぱい会えるよって言われて。でもね、誰も私と話をしようとしてくれないの。笑ってるんだけど、なんか無理して笑ってる感じだし、話しかけても何だかオドオドしちゃうし。だからつまんなくなって、お花とか見てたんだけど、大きな木があったから登りたくなって! あ、でもお母様には言わないでね。いつも怒られちゃうの」 「そうなんだ……じゃあ君もどこかの令嬢……」 「ねぇ、あなたは? あなたはどうしてここにいるの?」 「え? そうだね……僕も今日、お友達ができると思っていたんだ。だけど体調が悪くなっちゃって……でも、やっぱり友達が欲しくなって……」 「じゃあ私と一緒だね! だったら、私と友達になってよ!」 「え? いいの?」 「もちろんだよ! あ、ねぇ、一緒に木に登らない? この木の枝、座り心地が良かったの!」 「木に登る?! そんな事したことない!」 「楽しいよ! 私が手伝ってあげるから!」 「う、うん!」  こんな事を提案された事もなければ、勿論木に登った事もなかったアルセウスは、差し出された手を何の躊躇いもなく繋いだ。  グイッと引っ張られ立たされたアルセウスの股の間にその子は頭を入れてきた。アルセウスは驚いたが、抵抗する間もなく女の子は立ち上がったものだから、落ちないように木に手を着くしか出来なかった。   「ほら、そこにある枝に手をかけて! 頑張って!」 「あ、うん……!」  言われるがまま枝に手をかけると今度はアルセウスの足を自分の肩に置いてくる。令嬢にこんな事をさせること事態有り得ないのだが、今はそんな事は言ってられなかった。バランスを取らなければ落ちてしまう。それは恐怖だったが、それよりもこんな状況なのに楽しんでいる自分がいる。  アルセウスは高揚していた。こんな体験、これから先も出来ないかも知れない。なら今躊躇う事がバカらしく思えたのだ。  女の子の肩に両足で立つと、手にした枝は自分の腰下辺りにきた。そこに足を掛けるように言われ、言われるがままにそうすると、太い枝が目の前に。何とかよじ登り、そこに腰を下ろすと、すぐに女の子はスルスルとアルセウスの横までやって来て隣に座った。  荒い息を整えるも、それよりもこんな事が出来た事が誇らしかった。そして、高さは同じであっても窓から見える景色とは違った。周りは葉に囲まれていて、僅かに見える景色はなんて美しく感じるんだろうか。  地面が遠くて、でも恐怖心よりも達成感の方が自分の胸を占領していて、アルセウスはかつて無い程に清々しい気持ちになっていた。 「気持ちいいでしょう? 風は葉っぱの匂いを一緒に届けてくれるし、ほら、なんか葉っぱがおしゃべりしてるみたいじゃない?」 「うん、そうだね! 気持ちいいね!」 「良かったぁ! 同じ気持ちになれる友達ができて!」 「うん! 僕も! 君と友達になれて良かった!」  だけど、無い体力を無理に出したせいか、アルセウスの体力はそこで尽きてしまった。  目の前がゆっくりと暗くなっていく。頭がフラフラする。こんな楽しい時にこの状況を楽しむ事が出来ない自分の体を恨みながら、アルセウスは意識を手放した。  目覚めたのは自室のベッドの上だった。  起きた時には今まであった息苦しさも動悸もなく、溢れ出る体力に自分自身が驚いた程だった。  傍らに立つ国王である父と王妃である母。心配そうに見守っていたのだろうが、アルセウスが元気になったのを知り、とても喜んでくれた。  そして、アルセウスに婚約者が出来たことを告げた。  それは突然の事であったが、王子であればそれは避けられない事だと分かっていたし、政治的に妻を娶らなくてはならない事だと言うことも分かっていたアルセウスは、何の疑問も持たずにそれを了承した。  ただ、共に木に登った女の子の事は忘れる事ができなかった。  それは夢だったのかも知れない。本当に天使だったのかも知れない。だけど彼女はアルセウスにとってはじめての友達だった。いつかまた会えるかも知れない。アルセウスはそれだけを望んで生きてきた。  そしていつしかそれが、アルセウスの初恋であったと思い至ることになる。    それ以降、彼女に会うことはなかった。  だが、学園であの女の子と再会したのだ。それがマリベルだった。あの時の事を話しても、彼女はあまり覚えていなかったが、確かにそれは自分だとマリベルは言ったのだ。だから彼女と婚約を結ぼうとしたのだが……   ユーインがロメリアとアルセウスの婚約に至る過程を話し出したところで、不意にその記憶がアルセウスの脳裏に浮かんだ。動悸と息苦しさ感じるのは幼少の頃のそれで、あの時病気は治ったと思っていたのに、そうではなかったと体が訴えているようにアルセウスは感じた。 「あの時アルセウス殿下の病気を、ロメリアが引き受けたのです」 「引き受けた……? それは、どういう事……だ……?」 「殿下と一緒に木に登った後、殿下は気を失われました。わたくしはすぐに自分のしてしまった事を後悔しました。こんな病弱な子に無理に木に登らせてしまった事を。大声で助けを呼んで、殿下は程無く助けて頂けましたが、わたくしは自分の身勝手さが情けなかったんです」 「では……あの時の子は……ロメリア……君だったのか……」 「もしかして殿下、お気づきではなかったのですか?」 「……っ!」  婚約者となったロメリアは病弱だと聞いた。だから月一回の交流でさえ、体調により会えなかった事が多かった。  初めて会った時には、既に痩せて金の髪もくすんでいた。瞳も虚ろに見えて、その色は曇っているようにも感じられた程だった。  そんなロメリアと、あの美しくも活発であった天使のような女の子が同一人物とは思える訳など無かったのだ。 「唯一の王子であるアルセウスが病弱であり、その命も消えそうな程に弱りきっていた時、余は禁忌の魔法を使うことを大魔導師に告げたのだ」 「禁忌の魔法……? 父上、それは……」 「病気の根源を他者に移す、と言う魔法だ」 「そんな魔法が……っ!」 「しかしそれには、魔力量が多く、対象人物と同年代であり、健康優良児でなければという指定があった。平民は魔力が無いに等しい。故に貴族の子女、子息が対象となる。だが、誰が我が子にそんな事をさせようとする? いくら王と言えど、余もそれを強要することはできなかったのだ」 「ではなぜ……」 「ロメリアが自ら進んで申し出てくれたのだ」 「ロメリア、が……?!」 「わたくしが無理に木に登らせたせいで、殿下を命の危険に晒してしまったのです。その負い目があったのは確かでしたが、それよりも……わたくしにとってはじめての友達であって……初恋の相手であったからです……」 「そんな……」 「あの時の……木の上で共にいた時間は僅かではありましたが、殿下の笑顔が忘れられませんでした……それなのに、ベッドで眠る殿下は顔色も悪く呼吸も困難な状態で……どうにかもう一度あの笑顔が見たい、わたくしはそう願いました。その時、陛下と大魔導師が話しているのを聞いてしまったのです」 「それで私の病気を引き受けた、と言うのか……?」 「勿論、そんな事を家族である父も母も、そして私も止めましたよ。しかし、ロメリアは一度言い出したら聞かない性格でね。困りましたよ」 「だから婚約を結んで貰う提案を余がしたのだ。デュアノイエ公爵家には最大の援助をさせて貰うつもりだったし、元より余の派閥であり忠臣であるデュアノイエ家の令嬢を娶るのはこれ幸いといったものだったからな。しかし、そんなものは何も関係ない、必要ないとばかりに突っぱねられたのだが」 「当然です。我が子を売るような真似、出来るはずないじゃありませんか。しかしそれでも、ロメリアは譲らなかったのです。何度説得しても、謹慎と言う名の監禁をしても無駄でした。すぐにどうやってか抜け出し、殿下の元へと行ってしまうのですから。私達は泣く泣く了承しましたよ。ロメリアの意思を尊重したのです。許可して貰えなければ、窓から飛び降りると叫ばれたのですから。元よりお転婆娘です。本当にやりかねなかった……」 「それで私の病気を……?」 「はい。病気がわたくしの体に宿った時は驚きました。殿下はいつもこんな状態で過ごしてきたのかと……それでも、殿下の一部を頂いたような気になって、わたくしは苦ではなかったのです。もう一度あの笑顔を見られるのであれば、と……ですが殿下は、あれから一度もその笑顔をわたくしに向けてくださる事はございませんでした……」 「婚約者として、そしてゆくゆくは婚姻を結ぶとして契約を交わし、そして病気の根源をロメリアに移したのだ。だから婚約が破棄されると同時に、その病気は元の体へと戻ってしまう。これはアルセウス、お前が求めた事なのだ」 「そんな……」 「そこの令嬢、名は何と申すのか」 「え? あ、はい、申し訳ありません、遅ればせながら、わたくしはマリベル・アマビスカと申します」 「アマビスカ伯爵の令嬢か。そなたはアルセウスと恋仲だそうだな。婚約者として認める代わりに、アルセウスと契約をして貰えぬか?」 「えっ! それは……っ!」 「勿論、アマビスカ伯爵家には援助を惜しまぬ。陞爵させ、侯爵とさせよう」 「い、いえ、そんな、わたくしは……」 「アルセウスを愛しているのではないのか?!」 「マリベル……」 「アルス様……を、愛、しては、いました、ですが……っ!」 「ならば契約を結ぶのに問題はなかろう?! アマビスカ伯爵の許可は余が何としても取り付ける! だからアルセウスと契約を……!」 「い、嫌です! 嫌です!! 病気を引き受けるなんてそんなこと、絶対に、ぜぇったいに! 無理ですー!!」  そう言ってマリベルはその場から走り去った。その姿をアルセウスは呆然と見詰めるしか出来なかった。   「捕らえよ! この騒動の原因を作り出した令嬢が、ただで済むと思うてか!」 「父上、お止めください……!」 「なぜだ! マリベルとやらはお前を愛してると言いながらも、それは真実の愛ではなかったのだぞ?! 王子としてのお前の姿だけを見ておったのだぞ?!」 「それは私も同じです……マリベルもロメリアもちゃんと見ていなかった……」 「アルセウス……」 「健康になった途端、今まで出来なかった事が出来るようになった事が嬉しくて、病弱な婚約者など煩わしく思ってしまいました……それが自分を助けてくれた相手だとは気づかずに、私はなんと愚かだったのか……」 「言えなかったのだ……それがロメリアの希望であったからだが……」 「わたくしに負い目を感じて欲しくなかったのです。責任を感じて接して頂きたくなかった……ですが……わたくしの存在が殿下には苦痛でしかなかったのですね……」 「すまない、ロメリア……! 私は何も分からず、知ろうともせず……!」 「もういいのです。わたくしと殿下は、もう何の関係もなくなったのですから……」 「ロメリア……っ!」   「愛しておりました……殿下だけを……わたくしの初恋でした……」   「ロメリア! すまない、ロメリアっ!」  ロメリアは国王とアルセウスに一礼し、その場を後にするべく後ろを向いた。ここに来た時よりも体調は頗る良く、呼吸も楽で足取りも軽かった。それでも、例え病気であったとしても、アルセウスの一部であったものが体から無くなってしまった事に、悲しく虚しい気持ちがロメリアの胸を締め付けた。 「私も……貴女が初恋だったんだ……」  微かに聞こえた弱々しいその声は、アルセウスからこぼれ落ちたものだった。  ロメリアは思わず振り返る。  アルセウスは未だ、自身で立つことも難しく、国王に支えられたままの状態であった。そしてその瞳からは涙が一滴……  そんな顔を見たかった訳じゃない。ただ、あの笑顔を、嬉しそうで楽しそうで、清々しく微笑んだあの一瞬の笑顔がもう一度見たかっただけなのだ。  会場を去ろうとしたロメリアの足は、気づけばアルセウスの元へと向かっていた。   「殿下、お願いがございます」 「ロメリア……なんだ? どんな償いでも私は……」 「笑ってください」 「え……?」 「笑ってください。わたくしはあの時の……木に登った時に見せてくださったあの笑顔が忘れられないのです」 「私の、笑顔……」 「はい。そうしてくださるのであれば、わたくしはいつまでも殿下の傍で支えさせて頂きとうございます」 「ロメリア! 何を言っている?!」 「もう病気をわたくしがお受けする事はできません。ですが、それでも構わないと仰ってくださるのであれば……」 「ロメリア、お前は殿下に蔑ろにされてきたのだぞ?! 殿下はお前の気持ちも献身も分からずに好き勝手に生きてきたのだぞ?! それでも構わないと言うのか!」 「お兄様、それ以上は不敬罪になりますよ?」 「だがっ!」 「殿下の病気を引き受けてくださる方が現れた時には、わたくしは身を引かせて頂きます。それでいかがでしょうか。陛下」 「しかしそれではロメリアが……」 「わたくしは……殿下のお傍にいられるのであれば、それでいいのです」 「ロメリア、貴女はなぜそんなに……」 「バカですか? ふふ……仕方がないんです。だって、殿下を愛してしまったのですから。あぁ、だからもう泣かないでくださいませ、アルセウス殿下」 「ロメリア……」 「わたくしを、お傍に置いてくださいますか?」  優しく微笑むロメリアに、アルセウスは答えるように大きく頷き、その体を抱き寄せた。  ロメリアはアルセウスを支えるようにして抱き締め返した。  自分でもバカだな、とロメリアは思う。  だけど放っておけなかった。愛しい人の傍にいたい。ただそれだけだったのだ。  そうしてその一年後、アルセウスとロメリアは婚姻を結んだ。  病弱なアルセウスに盛大な婚姻式がこなせる筈はなく、王家にしては実に質素で簡易的な婚姻式となったが、二人はそれで満足だった。  アルセウスの執務をロメリアは積極的に支えて行った。  ロメリアの願い通り、アルセウスはロメリアに常に笑みを絶やさなかった。  病気を引き受ける人物が現れる事はなかったが、もしいたとしてもアルセウスは断るつもりだった。病弱であるが故に、ロメリアとこうなれたのだと分かっていたし、ロメリアに去って行って欲しくはなかったからだ。  二人の間に王子と王女が生まれ、平和に時が進んだある日、アルセウスは静かに息を引き取った。しかしその顔は優しく、まるで微笑んでいるようだった。  病弱なアルセウスを献身的に支えた王妃として、ロメリアは聖女のように敬われた。  そうして理想の夫婦として、二人は永年語り継がれていったのだった。    
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