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「……また、やってしまいました」  耳も尾も、しょんぼりと垂れている。ここしばらくの間お世話になっていた貴族の邸から、正しく首根っこを掴まれてポイっと追い出されたのが、つい先ほどのこと。家路までの道をわざと遠回りしてとぼとぼと歩く青年には、猫の亜人特有とされる三角の耳と長い尾が生えている。唯一仲良くしてくれた使用人からお金がいっぱいあたるかも、というくじを以前に一枚だけもらったが、それ以外は無一文だ。  『ねずみ』と呼ばれる小さな魔獣の侵入を、勇敢かつ優れた魔力でもって防ぐために重宝される猫の亜人。その中でも殊更めずらしい『三毛色』の耳と尾持ちで、柔らかな黒の髪に明るい薄緑の瞳を併せ持つフクは、見た目だけで選ばれることが多い。そうして、フクを雇い入れた人々は毎回「がっかりした」とあっさりフクを追い出すのだ。  他の猫亜人たちと比べ、猫の本能が強く出ているのか、フクは幼い頃から気を抜くとすぐ眠気に襲われてしまう。そのための失敗は、数知れず。小柄で痩身な外見にそぐわず『ねずみ』を狩るのは得意なのだが――肝心な時に居眠りをして、起きた時にはすでに手遅れとなると、飼い主である人間たちが許してくれるはずもなく。意気消沈としながら、大通りの道端、草むらのあるところに座り込んだ。そんなフクの目の前を、美しく装った人々が楽し気に行き交う。この周辺は貴族たちのタウンハウスが集まっているので、身なりの整っている人間も多いのだ。外出する貴族たちが、従者として犬の亜人を連れて歩くのも最近の流行りらしい。中にはびっくりするほど可愛らしい犬の亜人のお供がいたりして、でもどの亜人たちも目がキラキラとしていて羨ましい。 (おれも、犬だったら……眠くなっちゃうこともないし、ずっと大切にしてもらえたのかな)  抱えた膝に埋めた顔を少しだけ持ち上げ、こんな時だというのにまた居眠りしそうになった瞬間。目の良いフクの視界に、小さな影が映った。よたよたとした足取りで大通りの真ん中へ進んでいく。 「あ、……あぶない!!」  普段は寝てばかりでも、起きている時は俊敏に動くこともできる。危うく馬車に轢かれかけた幼い子どもを抱え上げると、すぐに元居た道端へと退く。子どもを轢きかけた馬車も、少し通り過ぎてから止まった。自分が悪いとは思わないが、これは怒られそうだ。普段から怒られることばかりで、怒られるシチュエーションには敏感なフクである。取り合えず腕に抱えていた子どもを草むらに寝かせて確認したが、気は失っているものの大きな怪我はなさそうだ。すぐに目が覚めそうでホッとしていると、バタンと大きな音を敏感なフクの耳が拾った。 「そこの青年!」  馬車から降りてきたのは、馬車の外観から想像はついていたもののやはり貴族だった。若く背が高い上に、精悍な顔立ちをしていて金の髪は短く整えられている。別段派手な服を着ているわけではないのに、品位がにじみ出ているのだから不思議だ。 (……あ……)  王族の一人でもある、オルグレン公アーサー。金の髪は、この国では滅多に現れない。貴族の中では、彼と彼の母親しかいないはずだから、フクが知っている彼よりも成長していてもすぐに分かった。傍に仕えている犬族の護衛やお供の人間たちとは面識ないが、フクは彼……アーサーのことだけは以前から知っている。ほんの少しの間だったが、オルグレン公爵家にも仕えたことがあったからだ。まだ幼かったアーサーが、フクのことを気に入ったからというのが契機。フクという名前も、この時アーサーがつけてくれた。  しかし、公爵家ではフクよりもずっと優秀な猫――というよりも、獅子や豹たち――がいて、アーサーが田舎の城に戻されている間にあっさりとフクは公爵家の『猫』をクビになった。  フクも今よりはずっと小さかったし、毛色も変わっている。ほんの一時期飼っていた猫のことなど、もうあの時の幼い少年は覚えていないだろうけれど。  従者たちが馬車に戻るよう促しても、彼――オルグレン公爵は戻る気配を見せない。頭ひとつくらいは違う彼を見上げるにしても不敬な気がして慌てて頭を下げると、「怪我はないだろうか」と思ったよりもずっと穏やかな声が聞こえた。 「馬車の前に飛び出すとは……!」  すぐにお供の者が口を挟んだのを「私が彼と話しているのだ」と若き公爵が静かに嗜める。下がるように命じられた者たちと一緒にフクも下がろうとしたところ、なぜか手首を掴まれてしまった。顔を上げてしまい、灰青の瞳と視線が合った。 「供の者が失礼をした。……その、無事か? どこか、当たったところなどはないか」 「あの、おれは大丈夫です! あの子も無事だと思いますし……こちらこそ、馬車を止めてしまって申し訳ありませんでした」  アーサー様お早く、とまた従者たちに声をかけられている。自分の後ろに隠れている子どものことも気になり、暇を告げるつもりでフクは若き公爵にもう一度深く頭を下げた。アーサーはまだ何か言いたげな気配はあったが、急ぎの用事の途中なのだろう、従者たちに再び声をかけられている隙に、フクの方から姿を消した。木陰からそっと様子を見ていると、アーサーは少しの間周囲を見回していたようだったが、やがて馬車へと戻っていく。馬車が遠ざかっていくのを見やってから、フクは寝かせたままの子どもを抱え上げ、自分のねぐらへと急いだ。
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