〇〇しないと出られない部屋

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 セックスしないと出られない部屋  10畳くらいだろうか、少しだけ広い、清潔で白い壁にかけられた看板のようなものを於本(おもと)諒(りょう)はまじまじと見つめた。 「……えぇ……やばくね?」  白くて清潔な部屋にはまず、キングサイズくらいのベッドがぽつんとあるだけだった。藍色のシーツの上で目が覚めたのは1時間前ぐらいだろうか。 「……なぁ、眞(まこと)?」  ベッドの縁に腰掛ける男は、諒より身長が高く、上背ががっしりとしている。体格の良さに惹かれて、ゼミの飲み会でなんかやってんの?と声をかけたら、趣味でボクシングをやっているとぼそぼそ答えてくれた。  斎須(さいす)眞(まこと)は筋肉質な体を丸めるようにして、座敷の出口付近に座り、カルーアミルクをちびちび飲んでいた。 『へぇー、カルーアミルクは?好きなの?』 『……あんまり、強い酒は飲めないから……甘いのが好き』  下を向いてぼそぼそと喋る眞とベッドに入ったのは半年後ぐらいだったか。確か眞から告白してきた。 「これガチかな?どっきり?」 「……さぁ」  付き合っても、眞の口数が増えることはなかった。いつもだいたい諒が彼のアパートに泊まり込み、一人で勝手に喋っている。眞は時折、相槌を打つくらいで、斎須といて楽しい?と諒はゼミメンバーやサークルの友人達に尋ねられるくらいだった。 『楽しいよ。てかあいつの隣にいると落ち着くの……空気清浄機的な?』  本当に空気清浄機のような男で、眞の傍にいるとリラックスできるのだ。自分より上背のある男に抱かれて寝る日は、翌朝の目覚めが良かった。  今日で付き合って一年ぐらい経つのかと、諒はスマホを開く。小さな画面の左上には「圏外」の文字。目が覚めた直後に見た時は、検索中になっていたから、圏外の方がマシなのか?……どっちにしろ連絡が取れないし、ネットもつながらない。日時ぐらいしか確認できないことに諒は不安を覚えた。  昨日、眞の部屋に泊まって、ベッドに入ったのが0時過ぎ。目が覚めたらこの部屋にいて、寝ていたベッドも見知らぬ、新品のものになっていた。 「あぁ~、でもガチで開かないっぽい」  目が覚めたら見たことない部屋に閉じ込められていた。普通、誘拐とか拉致とか、騒いでもおかしくないのに、眞は相変わらず、俯いて表情がよく見えない。  諒は仕方なく、部屋にたった一つある出口らしきドアノブをガチャガチャを弄り回した。右に、左に回そうとするが、びくともしない。  外側から鍵をかけられたのだろうか。肩で体当たりをしようとすると、体が浮く感覚がして、包み込まれるようにされる。眞に抱きしめられて、旨の中にすっぽりと収まるようになった。 「どした?」 「……怪我する」 「でも開かないし」 「……俺がやるから」  確かに諒より筋肉質で、力も強そうな眞がドアに体当たりした方が良いかもしれない。素直に頷いた諒はドアから離れた。眞が勢いをつけてドアに体当たりをかますがーーちょっと鈍い音がするだけで、ドアは壊れそうな気配はない。 「……ねぇ、やろうよ」  眞の背中に、声をかける。ピクリと肩がちょっと動いて、眞がゆっくりと振り向いた。ボクシングをやっているだけあって、眼光が鋭い。確か目付きが悪いとかバイト先で注意されて、それで眼鏡をかけていると言っていた。  諒は眞の高い頬骨とか、荒々しさが滲んだ首筋とか、その造形美が好きでーー眼鏡をかけていると知的な雰囲気がプラスされて、大好きだった。  周りは根暗だとか言うけど、諒の目から見たら頭が良さそうで、寡黙な男。実際は甘いものが好きで、よくアパートでお菓子作りとかやっていた。 「ほらここ、セックスしないと出られない部屋って書いてるじゃん。一か八かでさ……昨日もやったじゃん」  昨晩、セックスして、小腹が空いたと言ったら、眞は作って冷やしておいたらしいレアチーズケーキを出してきた。それを二人で分け合って、風呂に入って寝た。 「別に困ることないだろ。俺たち付き合ってるんだし……あ、ゴムある」  ベッドに備え付けられたキャビネを開けると、コンドームにローションまで用意されていた。セックスしないと出られない部屋、というのが、にわかに真実味を帯びてきた。 「ちゃちゃっとやってさ。出られるかもよ」 「……」  眞は黙り込んだままだった。ドアに体当たりを辞めて、諒を虚ろな目で見つめていた。その表情から、無言の拒絶を読みとった諒はーー「なんで?」と聞いた。 「あ、今は気分じゃない? じゃ時間おいて」 「ーーしない」  はっきりと聞こえた返事に、諒は開きかけていた口を閉じた。穴が開くほど、諒を見つめる目には光がない。そうだ、眞はいつもそうだった。ゼミで諒が他の友人と喋っていても、キャンパスを歩いていても、違和感が拭えなかった。ぱっと振り向くと、眞がじっと諒を見つめていることがほとんどだった。拘束するような視線を感じるたびに「どした?」と聞くが、眞は答えない。  いつもそうだった。粘りつくような、拭っても追い払っても、どこまでも迫ってくる眞の視線。それを今、ベッドしかない部屋で浴びた諒は「なんで?」と再度同じことを言った。 「今、気分じゃない?でもスマホも繋がんないし、ここから一生出られないかもよ?」 「いいよ、一生出られなくていい」 「……どうしたんだよぉ、まことぉ」  諒はヘラヘラ笑いながら、眞に近づいた。体を押し付けるようにして、見上げる恰好になる。「出たいよぉ、俺」ーー甘えるようにキスをしたが、眞の目は深く沈んだ場所にあるようで、濁ったようになっていた。 「俺は出たくない……一生、ここにいる。お前と」 「何言ってんだよ、なぁ出られるかもよ? だからやろうよ」 「やらない……セックスはしない」 「なんでそんな意固地になってんの?」  体を押し付けても、眞の手は諒を抱きしめるだけだった。そっと下半身に触れようと、短パンの裾を引っ張ったら、払いのけられる。パチンと音がして、諒は手を叩かれた衝撃に、体が震えた。  口数は少なくて、見た目が怖いと恐れられる男でも、諒をまるで壊れ物のように扱っていた。髪を洗い、ドライヤーをかけて、マッサージしてくれる優しい手。それで事後、ちょっと諒の手首を強く掴んでしまったことを詫びるのもーー我慢できないんだなと、可愛いとさえ思っていたのに。  叩き付けるような、無情な仕草に諒は「どうして」と呟いた。  見上げた先には、男の落ち窪んだ眼球があった。疲労を表すような、眼鏡越しのクマが今更気にかかる。眞は気を病んでいるような、悲しそうな目をしていた。 「……外に出たらお前はまた浮気する。だからここにいるんだーーずっとな」  ぐっと抱きしめられて、諒は呆然としていた。諒が男女構わず付き合う同期だと、分かっていながら告白してきたのは眞の方だったのに。 「……そんなの、今更だろ。お前分かってて付き合おうって言ったんじゃないの?俺のこと知ってて、だったら俺もいけるとか思って、言ってきたんだろ?なんで?今更?」  だらしのない性格だと、その悪評がキャンパスに広まっていたのは1年の終わり。もうゼミメンバーになった時から、諒の手癖の悪さを、眞は知っていたはずだ。現に参加する飲み会では「諒ってサイテーだよね」「いつか後ろから刺される」「ゼミに修羅場持ってこないでねー?」とか散々だった。  諒は付き合ってと言ってきた相手の好意に答えていただけである。それなのに不誠実だ、浮気だと言われるのは不満だったがーーヘラヘラと笑っていれば、なんとなく周囲は許してくれるから、諒は「ごめんごめん」と飲み会で笑っていた。 「なんでだよ、分かってただろ?」  諒が付き合う相手は男女関係無く、最初は諒を罵ったり、目の前で泣いたりするが、結局は諒を許していた。そのうち性病に気を付けてくれたらそれでいいとか、都合の良いセフレとして扱っていたのも、何人かいる。  周囲に許されてラッキー  それがいつしか当たり前だとーー諒は当然だと受け止めていた。自分は相手を束縛しない。予定だってあらかじめ聞いて調整するのは当たり前のこと、イベントもブッキングしないように気を使っていた。何人も相手はいるが、全員をできる限り尊重していた。 「……無理だよ」  小さく落とされた声は震えていた。はっとして眞の顔を覗き込むようにすると、目に涙を浮かべて、歯を食いしばっていた。 「……なんで、いまさらだろ?」 「無理だっ……!」  付き飛ばされるのかと思ったら、ぎゅっと抱き込まれて、息が苦しい。諒は眞の背中を軽く叩いた。 「ぉ、おいっ……ちょ、っと……」 「さ、最初は言い聞かせてた!我慢してたっ、でも……もう無理だ!無理なんだよ!お前がっ、お前がアパートに来ない日、俺がどんな気持ちで待ってかっ!」  眞は嗚咽を漏らしながら、諒を抱きしめていた。落ち着かせようと、背中を擦ったりするが、眞の手が緩むことはなかった。  落ち着けよ、なぁ冷静になろうよ、ここで餓死する気かよーー諒は言葉を浴びせるが、恋人は泣いているばかりだった。 …… 最悪  それが於本諒の印象だった。眞が諒と初めて顔を合わせたのはゼミメンバー同士での軽い自己紹介の時。名前を聞いて『よろしく~』とふわふわとした挨拶にへらへらした表情。周りは次々に『於本~、ゼミで修羅場起こすなよ』『先生~、今からでもこいつ、追い出して下さい~!』とか次々と野次を飛ばした。  結構きついことを言われているのに、於本は変わらず気の抜けた笑顔をふりまいていた。  キャンパスでも接点のない眞でも、於本諒の悪評は知っていた。3股は当たり前。悪びれることなく浮気を繰り返すヤリチンで、今まで人に刺されたことがない、というのが不思議なくらい、だらしのない男だった。  どうしてそんな不誠実なことをしておいて、周囲に許されるのか  知りたくもないし、とにかく関わりたくない  あっちだって、自分のような根暗とは喋りたくもないだろうーー接点は無いと踏んでいた飲み会で、於本諒は眞に話しかけてきた。 『体格良いよね~、なんかやってんの?』  出口付近に座り、店員と辛うじて会話をしていた眞に、諒は積極的に話しかけてきた。ボクシングやってんだ!すげ~、イケメンって言われない?ゼミの初回で俺、驚いたよ~……鬱陶しいなと思っても、いつの間にか諒と会話を弾ませていた。だんだん、この男がモテて浮気を許されるのにも理由があるのだと、なんとなく分かった。  同性として張り合ったり、マウントを取ることもなく素直に相手を褒め称え、集団に馴染んでない奴がいれば話しかけ、輪の中に入れる。眞が鬱陶しいなと思っていたが、逆だった。  かなり気を使われていたのだ。 『眞ってさ、いい男だよな~。さっきも店員さんに飲み物注文してくれて……周りを見れるって、誰でもできることじゃないよな。俺、いつも自分のことで精一杯だからさ』  諒との会話をきっかけに、ゼミの同期とも気軽に会話するようになった頃、何人か告白を受けた。近寄りがたいと思ってたけど、斎須君って優しいよね、ボクシング見学したいな、もし良かったら……眞は全て断った。もうその頃には、キャンパス内で常に諒を目で追い、昼食は必ず一緒に食堂で取るように時間を調整していた。  付き合って欲しい  眞の一大決心を、諒はあっさりと、「いいよ」と受け入れてくれた。諒だったらきっと断らないだろうと、分かっていて告白した。そして眞には心に決めたことがあった。付き合っても、浮気は咎めないーー口うるさく言えば、諒は面倒だと、眞を切るだろう。浮気を許し、寛大なポーズを取れば、いつかは諒も、眞の「良さ」を理解してくれるに違いない。自分が諒のだらしなさを止めさせるのだ。  いつかは諒も、自分の愛を分かってくれる。  眞は諒が好きだった。愛しているなら全てを許せる。そうして全てを受け入れていれば、諒は最後に自分を選んでくれるはずーー眞のお菓子より甘い目論見は、あっさりと崩れた。  ついさっきまで誰かと会っていたのだろう、知らない香水の匂い。諒のアパートに転がるイヤリングに洗面台に置かれた使い切りサイズのクレンジング。  諒の浮気は止まなかった。  それでもいつかは辞めてくるはず  浮気を辞めろとか、口うるさく言って、重たい奴だと思われたくない。諒は笑いながら浮気を許す人間が好きだから。だから絶対に、面倒なことは言わない。  やがて眞の濁った感情は底に溜っていき、付き合って1年が経とうとしていた頃だった。  目が覚めたら、諒と二人、見知らぬ部屋に閉じ込められていた。 『セックスしないと出られない部屋』  ふざけた室内名に、恋人はやろうと気軽に眞の腕を引っ張った。  ここでセックスしなければ……?  ここで諒と死ぬまで一緒にいられるかもしれない。淡い期待を募らせた眞は、諒の誘いを拒絶した。  セックスはしない  しなければ、諒と死ぬまで、きっと餓死するまでここにいられる。これで恋人はもう浮気できない。 「諒……」  恋人の頭を胸に押し付けると、眞は髪を優しく梳いた。自分を見上げる、怯えたような目が愛おしい。眞は抱きしめる腕に力を込めた。 「これでずっと……俺たち一緒だな」 (完)
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