初夏、夕立とバス停の先駆

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「それじゃあ」いつの間にか、僕は下唇を噛んでいた。外の雨の音は、もう耳に入ってこなかった。「それじゃあ、雪が降らない環境にいるやつは、輝くことができないのですか」 「そう、出来ない」  男は依然として穏やかに笑み掛けながらも、真っ直ぐな瞳で僕の顔を見た。見てくれた。氷を砕くアイスピックのように鋭くはっきりとした言葉に、冷酷を通り越して清々しさを感じる。 「出来ない、のですか」 「うん。だから、環境を変える努力をしなくてはならない」 「え?」 「雪が積もって欲しいなら、いつまでも同じ場所にいてはいけない。雪が降る場所へ、自分の足で歩いて行かなければならない。例えそこが豪雨が渦巻き外へ踏み出せない場所でも、君は歩き続けなければならない。辛くても、無謀でも、そうするべきだ」  そう言って、男は外を指さした。そこで、僕は雨が降っていることを思い出した。相変わらず雨は音を立てて、地上を叩き続ける。 「最初からいい環境にいるやつは幸せだ。だからといって、君がそこに行けない道理はどこにもない。降りしきる雨は、諦める理由にならない。歩くんだ。人間は、歩くしかない」  そう言って、男は立ち上がった。そして一歩、バス停の外へと足を踏み出した。傘も差さない男に、当然のごとく天からの散弾が被曝する。髪から身体中に流れ落ちる水流を気にも止めず、男は僕の方を向いて、人差し指を向けてきた。 「これが、バス停の先輩からのアドバイスだよ」  気がつくと、男はどこかに消えていた。言いたいことだけ言って、忽然と姿を消す。残された僕は、ただバス停に座り続けた。向かいの坂道を、また学生が下っていく。僕はずっと、このバス停に座っている。ずっと昔に廃止された路線の、決して来ることのないバスを、名残りで残ったバス停で、ただ一人。  雨は、一向に止む気配がない。僕は立ち上がった。きっと、明日は風邪をひくだろう。目指すは、誰の足跡もない、真っ白な雪が降り積もった、その場所へ。
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