海の雪、屍の花

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 五十鈴は最期まで意識を呪法で飛ばし、お気に入りの場所を巡っていた。彼女は、天音との約束を守ったのだ。布団に横たわる身体は、人の姿を保っている。花ではない屍を見るのは、久しぶりだった。 「行きましょうか、五十鈴」  天音は、五十鈴の屍をそっと抱きかかえる。寝たきりだった五十鈴の身体は小さく細く、簡単に運ぶことができそうだった。  五十鈴が約束を守ったのであれば、今度は天音の番だ。  船着場に向かい、海に舟を進ませた。真っ青な海の上に、天音と五十鈴の二人だけになると、とぷんと海の中へ沈み、潜っていく。三途の川を越え、海雪を彼女と最後に見た地点まで行くと、抱きしめた五十鈴の身体へすこしずつ、呪法を施した。五十鈴の肌がぼんやりと、白く輝き始める。  呪法には集中力を要する。最初のうちは意識が散漫になっていたのか、極々弱い光だった。彼女の身体を別のものに変えてしまうことを、躊躇しているのだろうか。墓地で、毎日あれほどの屍の花を見ているくせに。でもこれは、五十鈴が望んだことだ。  しばらくすると、ふっと焦点があったように、光が強くなった。  五十鈴の指先が、ほろほろと崩れ始める。足先もゆっくりと輪郭が溶けていく。それらは小さな雪となり、海中に霧散し、あたりに舞い散る海雪の中に紛れていった。五十鈴が焦がれた、海雪の姿。  腕の中にある五十鈴の身体は、徐々に消えていく。その身体を崩しているのは自分の呪法なのに、早々と消えてしまわないよう、優しく五十鈴を抱きしめているのが滑稽だった。未練がましい。それでも呪法を施し続ける。  そうして、最後に残った頭部も崩れ散り、五十鈴の身体は、すべてが海雪となって、波にただよった。 『――さよなら、五十鈴』  ふっと息をつく。  おや、と思ったのはそのときだ。  白い雪の中、かすかに、赤みがかった色の雪がある。  五十鈴の雪だ、と直感した。  呪法を使っていたときはそちらに集中していたから気づかなかったが、こうしてみると、色の違いが分かる。五十鈴の、母譲りの瞳の色だ。 『綺麗』  海底に赤い蕾ができたのは、それからしばらくのことだった。
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