海の雪、屍の花

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 白い花の中に、赤い蕾は目立つ。  五十鈴の花だ。  海雪に、という願いだったのに、結局彼女が嫌がっていた花になってしまうらしい。きっと、五十鈴の花なら美しくなると思うけれど、彼女は怒るだろうか。  それでも、天音は五十鈴の花が咲く日を待っていた。その蕾が、五十鈴の置き土産のように思えていた。  そうして、その日、海底を目指して潜っていた天音の前に、すーっと伸びる影があった。海底の主にも見える、あの一尾の龍だった。優雅に白い花畑に下りたち、不思議そうに赤い蕾を見つめる。やがて、その口を開くのを天音は見た。  食べる気だ。  はっとした。  いつものように、花たちを食むのだろう。白い花も、五十鈴の赤い蕾も。無遠慮に。五十鈴の赤い瞳に似た花が、ここで花開く前に、散らされてしまう。せっかくの五十鈴の花が。  ――駄目。  かっと頭に血が上る。目の端で、ちかちかと燐光が散った。次の瞬間、龍は身をよじらせる。水の中に、龍の赤い血が、幟のように上がった。  龍の血走った瞳が、天音を睨んだ。そこに知性の色は失われていた。己を害した相手への怒りで燃えている。龍は、大口を開けて天音に向かってくる。天音は周りの水を呪法で操り、特大の剃刀のように鋭くさせて、自分の身体の前に構えた。  はた目には、ほかの水と、天音が操っている水は見分けがつかないのだろう。龍はなんの警戒もなく、水の刃を飲み込んだ。  龍の口が裂けて、血が流れだす。だらんと下顎が落ち、声にならない悲鳴を上げた。蛇のように身をくねらせようとする龍より一瞬早く、天音は水の刃をひと息に滑らせて、ちょうど魚をおろすように、龍の身体を切り開いた。  あっけなく死んだ龍を横目に、天音は蕾を確認する。無事だった。  よかった、と安堵し、龍の屍と汚れた水とを、呪法の波によってどこか遠くへと飛ばした。この場所が血に汚れるのは嫌だった。  ――安心して咲きなさい、五十鈴。  天音はそっと蕾を撫でた。  それなのに、なぜだか数日後、五十鈴の蕾は元気をなくし、うなだれるように首を垂れるようになった。
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