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それからしばらく、ぼくたちは椅子を並べてとりとめのない会話を続けた。やがて、陽花がウトウトとまどろみはじめて、ぼくにもそれが伝染して、一つの毛布を二人でシェアしてしばし眠りについた。
やがて、零時を知らせるスマホのアラームが鳴った。
「時間だね」
目を擦りながら、陽花がスマホを操作する。
「せっかくだから、外に出てみようよ」
ぼくらはそれぞれ防寒着を纏い、屋上にでた。
雪は止んでいた。風はなく、夜空がやけに澄んでいる。あたりに街灯などの光源はない。ポッカリと浮かんだ月の灯りだけが、静かに世界を照らしていた。
柵沿いに移動して眼下を覗くと、校庭一面が雪に覆われていた。月光に照らされた雪面が、見たことのない蒼銀の煌めきをまとっている。息を忘れるくらいに幻想的な光景。
「きれい……」
陽花が言った。
「まるで、月の光が地上に降り積もったみたい」
ああまただ、とぼくは思う。こうやってまたひとつ、陽花の言葉がぼくが見る世界を彩る。
「賭けはわたしの勝ちだね」
「ああ」
「ねえ、この景色は雪が降り止まないと見られなかったものだよね」
「そう……かもしれないな」
「それでね、いま思ったんだけど。さっき君が言ったことについて」
「ぼくが?」
「うん。春が来たら全てが溶けてしまうって」
「ああ……」
「春がきたら、桜の花びらが降り積もるよ。夏には夕立が降るし、秋には銀杏の落ち葉が舞い落ちてくる。恋する想いだって同じなんじゃないかな。時には色彩や温度や輝きを変えるかも知れない。でもきっと、消えてなくなったりしないんだよ」
陽花の言葉と共に、ぼくの心を一陣の風が通り抜けた。その清らかな風は、ぼくが抱えていた不安を一掃した。いったい何を恐れていたんだろうと不思議な気持ちにさえなった。
そして同時に、情けなくもなった。一歩間違えれば、陽花を泣かせていたかもしれないということに。
何人たりとも、この笑顔を曇らせることがあってはならない。むしろ、この笑顔を守れるのは、ぼくだけかも知れないんだ。
好きな人が自分を好きでいてくれる。その先に待つ未来に疑念を持つなんて、なんて馬鹿げた考えなのだろう。
そうだ。ぼくはもっと陽花を見ていたい。彼女が作る色んな表情や、彼女が紡ぐ美しい言葉が、ぼくの人生には必要だ。
本当の恋とは単に想いを貫くものではなく、一緒に生きたいと願うものなのだ。
気づけばお互いの手と手が触れ合っていた。
「……榊陽花」
「はい」
「君が好きだ」
「うん、知ってる。それで――?」
それで……今更、なんて言おう? いや、もしかしたら、言葉なんていらないのかも知れない。
喉の真下には愛おしいという気持ちだけが込み上げている。すぐ側で頬を赤く染める陽花の横顔も、ぼくたちを包みこむこの美しい夜も、そのすべてが愛おしい。なんて暖かな感情なんだろう。
ぼくは、何も言わないまま、陽花を抱き寄せた。無性に抱きしめたくなったのだ。絶望の淵から這い上がり、今や誰よりも世界の美しさを知るこの奇跡の少女を。
冷たい大気の中で、ほのかに感じる柔らかな匂いと感触。
待ってたよ、と陽花が囁いて、ごめんな、とぼくは囁き返した。
陽花のストールをずらして、そっとキスをする。白い影を漏らしながら、二つの呼吸が混ざりあう。
心が溶けていく。積もり積もった想いが、透き通るまで濾過されて、二人の夜に希釈されていく。世界で一番、甘美な余韻。
ふと、たとえこの先の人生で何があったとしても、この瞬間を忘れないだろうなと思った。何年経っても、何十年経っても、もしかしたら生まれ変わったあとも。
ああそうか、とぼくは気がついた。きっとこれが、永遠というものなんだ。
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