雪と君と子猫

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雪と君と子猫

983ea14e-997f-45cb-b60f-f316ef866176 鎌倉に大雪が降り交通は麻痺した。 もう3月も下旬だ。 敬は寒さに凍えながら電車を待っていた。 吹きっさらしの北鎌倉駅で誰もいないホームの電光掲示板に 「大雪のため、ただいま電車が大幅に遅れています」 の文字が流れ続けている。 薄暗くなりかけた北鎌倉が雪に覆われ、ほのかに薄明かりに包まれている。 雪の積もるホームに子猫が1匹迷い込んできた。 そのまま屋根の付いたベンチの脇に立つ敬のそばに来ると、ブルブルと体を振るわせてから毛繕いを始めた。 純白に所々黒のまだらのある子猫は、ベンチに飛び乗ると身体を丸めて震えている。 敬はポケットのパンを取り出してちぎると子猫の鼻先に差し出してみた。 子猫は一瞬顔を上げ、それからパンを小さな口でかじった。 子猫は食べ終えると、もう一度敬の顔を見て丸くなった。 辺りはすっかり暗くなり、 敬は子猫の横に腰を下ろした。 子猫は逃げる様子もなく、敬の太腿に顔を擦り付けると、敬の足を枕に眠りについた。 あのさ、 敬は子猫に言った。 俺さ、どうすればいいと思う? 子猫は耳を少し動かして、敬の言葉を聞いていた。 もう見込みはないんだよな。 それなのに電車に乗ろうとしている俺。 無駄なの分かってるしさ、余計嫌われるのも分かってるんだよ。 敬は子猫を撫でながら続けた。 このまま電車に乗るだろ? そしたらさ、帰りの電車は完全に運休だろ? カミさんになんていうのかね? 敬は短く笑って それでも結局電車に乗るのよ。 線路に雪が積もる。 敬は涼介のうつむいた顔を思い出していた。 もう、逢わないから。 そう言って、電話を切った涼介の気持ちは、敬には痛いほどよく分かっていた。 芝居というのは残酷だ。 その役にのめり込めばのめり込むほど現実との区別がつかなくなる。 自分の中に秘めていたものを引っ張り出し、そしてそれと自分を一体化させた時、覆い隠していた自分の気持ちに気づくのだ。 敬は子猫を膝に乗せた。 子猫は優しく敬の手の甲を舐めた。 まだあどけない小さな舌のザラザラとした感触が、涼介の指遣いを思い出させる。 ダメだな、俺。 雪はさらに強くなり、サラサラという音を立てて、ホームの屋根に降り注ぐ。 お前、うちの子になるか? 敬は聞いた。 子猫は鼻をひくひくさせて、了承の意思を伝えている。 子猫を抱きかかえると敬はコートの中に入れた。 これ見たら涼介喜ぶだろうな。 いつも寂しそうに笑う涼介のはにかんだ笑顔がまぶたの中に映る。 本日は大雪のため、上り列車の運行を取りやめとします。くりかえします。えー本日の。。。 ああ、これまでか。 敬は子猫の温もりを感じながら目を閉じた。 向かいのホームに久里浜行きの列車が滑り込む。 これがきっと最終だろう。 あれに乗れば、家に帰れる。 しかし敬はそのままベンチに座り続けた。 このまま雪が俺を覆い尽くせばいいのに。 湧き上がる喪失感に、敬は子猫を抱きしめた。 最終の下り列車が滑り出す。 全てが終わった。 敬は雪の舞う空を見上げた。 ふと、向かいのホームに目をやった。 。。。涼介。。。 いつものショートコートの襟を立てた涼介がホームに立ちすくみ敬を見ていた。 涼介。。。 2人の間に雪が舞う。 涼介。。。 敬は誰かが背中を押すのを感じた。 ゆるゆる立ち上がると、敬は涼介の顔を見た。 涼介がちょっと笑ったような気がした。 敬は照れ隠しに怒ったような顔をすると、 コートの中から子猫を掲げて涼介に見せた。 静かな北鎌倉のホームに雪が降り積もる。 雪は二人の間を真っ白い花びらのように舞っていた。 ---おしまい---
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