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scale abuse1
今夜はツイてると思った。
とんだ勘違いだ。
小一時間前までエラは客をとっていた。なのに今、誰とも知れない男たちに追い回されている。
縺れる足取りで奥に逃げ込むほど街並みは荒廃の一途を辿り、毛穴が開いて汗が噴き出す。
このあたりは治安が悪く、ネオン看板は軒並み叩き割られていた。
腕から滴る血が点々と石畳を叩く。スカートを裂いて止血したくても時間がない、立ち止まったらおしまいだ。
どうしてこんなことに?息を荒げて自問する。
このところ売り上げが冷え込んで恋人と喧嘩が増えた。連続して嫌な客に当たり滅入ってもいた。コンドームの装着を渋る客、後ろでヤりたがる客、髪を掴んで殴ってくる客……路地で事に及ぼうとする男が行儀いいはずもなく、代金を踏み倒されることもしょっちゅうだ。今夜は久しぶりに上客を引いたと喜んだのに、パンティーを下ろしている間に切り付けられる始末。
エラの誤算はただの通り魔や強盗よりもっとタチが悪い男の正体を見抜けずにいたことだ。
壁に貼られたポスターがビュウビュウはためき、壊れて傾いだネオン看板が点滅する。
剥がれかけたポスターでは上半身が美女で下半身が蛇のラミアがストリップし、ネオン看板では下半身が膨らんだアラクネが微笑む。
「痛いっ!」
ヒールが折れて転ぶ。はずみで二股の舌先が覗き、首から髪がばらけてうなじが暴かれる。
「チェックメイトだ」
路地の出入り口を塞がれた。男たちの数は4・5人、闇に紛れた顔立ちは判じがたい。
恐怖と混乱が沸点に達し、石畳を蹴ってあとじさりがてらヒステリックに制す。
「お、お金なんて持ってない!あっちいって!」
「おいおい俺たちをケチな強盗と一緒にすんな」
「じゃあ何なのよ!」
「俺たちゃボランティアだ」
「街の浄化活動をしてるんだよ」
目の前が絶望で暮れていく。重苦しい威圧感を伴いじりじりと包囲網が狭まっていく。
今エラを取り囲んでいるのは人の形をした怪物たちだ、どれほど情に訴えたところで言葉が通じるはずもない。
深呼吸で胸の谷間をまさぐり、皺くちゃの紙幣を掴み取る。
「今日の売り上げ、全部あげる。命だけは助けてちょうだい、恋人が待ってるの」
「は?恋人?」
暗闇に沈んだ男が調子っぱずれに語尾を跳ね上げ、次いでけたたましく笑い転げる。
「こりゃ傑作だ、テメェの女を夜の街に立たせて部屋で寝てんのか!」
「愛人連れ込んで浮気の真っ最中かもな」
「体を売ってヒモを養うなんてけなげだねェ」
先頭の男がエラの手を蹴飛ばし、石畳にばら撒かれた紙幣を踏み躙る。取り巻き連中が下卑た哄笑を上げる中、さらに質問が続く。
「テメェの情夫はどっちだ?」
「どっちって」
咄嗟に理解できず鸚鵡返しに問えば、男がいらだって腕を振り抜く。
「決まってんだろ」
ナイフが壁を穿って火花を散らし、甲高い軋り音にエラは首を竦める。
「人間?ミュータント?」
ミュータントには複数の俗称がある。
代表的な呼び名はイレギュラー、そしてアブノーマル。後者は蔑称だ。エラは弱々しく泣きじゃくる。
「ノーマル……あ、あんた達と一緒よ。だから見逃してよ。ね?」
男たちが顔を見合わせる。
見逃してもらえると安堵するも束の間、再び正面を向いた男の顔には侮蔑が浮かんでいた。
「ああそうかノーマルね。だったらぐずぐずしてらんねェな」
「これ以上雑種が増えちまったら大変だ」
「孕む前に殺っちまわねえと」
嗜虐に酔った嘲笑が鼓膜を毒す。答えを間違えたと悔やんだ時には手遅れだった。
石畳に手を付いて逃亡を企てたエラの髪を掴み、力ずくで引き戻すや首筋にナイフを擬す。
男たちは嗤っている。
全員が嗤っている。
エラだけが哀れにも泣いている。
「わ、私はアブノーマルじゃない!見てわかんないの人間よ、あんた達とどこも変わんないでしょ醜い鱗がどこにあるってのよ、目ん玉ひん剥いてよく見なさいよ!」
「嘘こけ、てめえと寝た野郎がチクってきたんだ。うなじに鱗があるってな」
「ネタは割れてんだ、観念しろ」
「血が雑じってんだろ気色悪ィ」
「ダマされたって怒ってたぜ」
たった一枚の鱗。髪で隠したしるし。ナイフを構えた男の顔が醜悪な笑みを刻み、興奮に乾いた唇をなめる。
「ノーマルと結ばれりゃアブノーマルから足洗えるとかほざいてやがんなら当てが外れておあいにく様、世の中都合よくいかねえよ」
「うちに帰して……」
恋人の面影を追憶し、瞠目で救済を念じるエラをよそに冷たいナイフが髪をくぐり、うなじの皮膚を辿っていく。
「なあ待てよ、最後に楽しまねえか?蛇女の二股フェラは絶品らしいぜ」
「孔も具合がよさそうだ」
「後にしろ。まずは鱗を剥ぐ」
鋭い刃が鱗の縁にめりこみ、エラの断末魔が響いた。
アンデッドエンドは大陸の中心地であり、賞金稼ぎと賞金首が闊歩する街だ。
「コイツらの目ってよく見ると怖いですよね。赤と黒の二重円で」
悪運の法廷はアンデッドエンド有数の観光名所だ。荘厳な噴水は市民の憩いの場となり、周囲にはマーケットが開かれている。
そんな中、噴水の縁石に些か風変わりな少年が腰かけていた。
教会の救貧箱からかっぱらってきたようなモッズコートの下は質素なシャツとジーンズの組み合わせ。
アンデッドエンドではさして珍しくもない家出少年スタイルで、むしろ没個性と評していい。
猫っ毛の髪は燃えるような赤で、青空を映す瞳と鮮やかなコントラストを成す。
線が細く大人しそうな顔立ちとまだまだ育ちきらない華奢で小柄な体躯は中性的な印象さえ与える。
無骨なスナイパーライフルさえ背負ってなければ、そして白いレースをあしらった日傘をさす老婦人と並んで腰かけてさえいなければ目を引くことがない少年だ。
老婦人がおっとり首を傾げる。
「そうかしら、可愛いじゃない」
「貪欲の象徴です。僕の手まで噛むし」
「鳩はお嫌い?」
「どちらかといえば嫌いかな。天の御使いだから」
「貴方の神様アレルギーも大概ね。骨の髄まで無神論者」
「違います。否定論者なんです」
「私は好きよ」
「理由は他にもありますよ。必ず餌をもらえると思い込んでる性根が卑しいし警戒心なさすぎるし群れるのがうざいし太って鈍くさいのがイライラする」
「だったら餌付けしなければいいのに」
「箴言19:17、寄るべのないものに施しをするのは主に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる」
「聖書の引用で会話しないで、私はあなたとお喋りがしたいのよ」
反抗期の孫に手を焼く祖母さながらの嘆きに肩を竦める。
「マタイによる福音書6章1-4節、施しをするときは右の手のすることを左の手に知らせてはならない。ちゃんと守ってますよ、ほら」
確かに、少年は先ほどから右手でしか餌を投げてない。左手は膝の上の紙袋を抱いていた。
品よく結い上げた銀髪に薄氷の瞳の取り合わせが優美な老婦人は、ある意味で少年以上に場違いな人物といえる。キッチンカーがタコスやホットドッグを売る広場より、アップタウンの大邸宅の庭園で紅茶でも啜っている方が似合うのは間違いない。
少年の皮肉を受け流し、老婦人が温雅な声で仕切り直す。
「それでお返事は?」
「何の話でしたっけ」
「そろそろ誰かと組んでみたらと勧めました」
「賞金稼ぎに協調性が必要ですか」
「狙撃手として生きていくなら」
「意味がわかりません」
「狙撃手は後方支援が基本スタイルです。ヒット&アウェイに特化するなら別として、長く活動したいなら前衛と組むのは必須」
「ソロは駄目ですか」
「暗殺専門でいきたいんですか?」
「特には……食い扶持稼げるなら依頼の選り好みはしません。できる立場でもないし」
「狙撃手が最もポテンシャルを発揮するステージは掃討戦だとお忘れなく」
「雑魚の始末ですか」
「平たく言えばそうです」
穏やかそうに見えてなかなか辛辣だ。老婦人が日傘をくるくる回す。
「本当は観測手が欲しいところだけどさすがに難しいでしょうし、そこは妥協します。一流の狙撃手を目指すならチームで経験を積みなさい」
「命令ですか」
「解釈はご自由に。もし断るなら今後の指導には匙を投げるかもしれないけど」
「卑怯です」
この人からはまだまだ学びたいことがある。修行を中断されるのはなるべく避けたい。
乳母車の赤子をあやす主婦やキッチンカーをひやかすカップルをよそに、二人の間に微妙な緊張感が漂いだす。
憂鬱そうな色を眼差しに乗せた少年が紙袋に手を突っ込み、一掴みのポップコーンをばら撒く。
「……人と組むのは向いてないんです。上手くやってく自信がありません」
「人間不信を克服する訓練になります」
「余計なお世話です。というか、僕だって試してはみましたよ」
「初耳ですね。結果は?」
「見てわかりません?」
「失敗したんですね。何故?」
「正当防衛です」
詳細は語りたくない。
よちよち歩きをしていた鳩の群れが一斉に羽ばたいて日が翳る。それを振り仰ぐ少年を老婦人が優しく諭す。
「楽しくやれる相手もいますよ。まだ会ってないだけです」
「仕事に楽しさは求めてません。そもそも賞金稼ぎにまともな人種がいるんですか?貴女とご主人はまあ人格者な部類ですけど」
「一応ありがとうと言っておきましょうか」
「半分はリップサービスですよ」
「半分は本音なんでしょ?」
「拾ってもらった恩があるんで。貴女がいなければ野垂れ死んでました」
それは事実として認めざるをえない。付け加えるなら、その後も世話してもらっている。
「それは好きでしたことです。私たち夫婦には子どもがいませんから、見込みのある子に手をかけてみたくなったのですよ」
無礼な物言いに鷹揚な笑みを返し、足元に寄ってきた鳩を招く。
結局折れたのは少年の方だ。
スナイパーライフルを背負い直し、からっぽになった紙袋を小さく折り畳んで屑籠に投下する。
「……わかりました。行ってきます」
「いってらっしゃい。お友達ができたら教えてね」
日傘とともに腰を上げた老婦人に向き直り、怪訝そうに聞く。
「どちらへ行かれるんですかマダム」
「これからダーリンとデートなの」
ミセス・キマイライーターは大っぴらにのろけた。
アンデッドエンドは賞金稼ぎの天国だ。大陸の賞金稼ぎの五分の一がここに集まると言われている。
悪運の法廷からほど近い出張所に入ったナイトアウルは、掲示板や壁一面に貼り出された手配書をチェックする。
なんといってもアンデッドエンドは大陸屈指の犯罪都市、我が物顔でのさばる悪党どもには事欠かない。
「強姦・放火・虐待・誘拐・人身売買・連続殺人……ソドムの市かよ、嫌になるな」
夥しい手配書を一枚一枚あらためて毒突く。街に出回る罪過のリストは日々更新されていき、増えはすれども減ることは決してない。
ふと気になる手配書が目にとびこんできた。
無造作に手をのばすも、紙一重で持っていかれる。振り向けば同じ年頃の少年がいた。ショッキングピンクのベリーショートに黄色いサングラス、両手の指にシルバーのゴツい指輪を嵌めている。ド派手な見た目に少し引く。
大戦の落とし子―ミュータント。
かすめとられた手配書と少年のニヤニヤ笑いを無言で見比べたのち、なるべく事を荒立てたくないナイトアウルは遠慮がちに注意する。
「僕が見てたんだけど」
「早いもん勝ち」
「……賞金稼ぎ?」
「以外のヤツが来んの?ここ」
組合は保安局の出張所を兼ねている。野次馬の一般人を除けば利用者はほぼ賞金稼ぎだ。
「ふーん」
手配書をざっと読んですぐ興味をなくす。
少年が投げだした紙をすかさずキャッチし、ナイトアウルは顔を顰めた。
「鱗剥ぎか」
鱗剥ぎとは蛇やトカゲ、ワニなど鱗を持ったミュータントを対象とする憎悪犯罪だ。アンデッドエンドでは一日何百件も起きているが、これは特に悪質だ。
犠牲者はいずれも十代後半から三十代前半の若い女。ナイフで鱗を剥がされた上複数人に凌辱されている。
実行犯はまだ面が割れてないらしく、手配書には事件の概要と被害者の情報だけが記されていた。
「だらだら書き連ねなくても嬲り殺しの一言ですむのによ」
「よく笑ってられるな」
「なんで?同類だから?関係ねェよ、赤の他人だ」
面白そうに茶化す少年に気分を害す。
彼の右半身は薄緑の鱗で覆われており、笑った際に覗く舌も二股に分かれていた。蛇のミュータントの特徴だ。よく見ればサングラスの奥の瞳も瞳孔が縦長な琥珀色でキロキロ動いていた。
ナイトアウルは少し悩んだ末、衝立で仕切られたカウンターに手配書を持っていく。
「ケース821912‐Aの担当を希望します。稼ぎ名はナイトアウル」
カウンターに提出した手配書の対価欄には「SKIN」と殴り書きされていた。
対価とはこの世界における司法取引制度。
目には目を、歯には歯をの原則にのっとり、あるいは遺族の報復感情を尊重し、賞金首の命より大事な何かを奪う代わりに生かして監獄に送るシステムだ。
即ち泥棒は腕を、強姦魔はペニスを、もっとも罪深い部位を奪われる。
「かしこまりました、ケース821912‐Aですね。パートナーは先着順でよろしいでしょうか」
「ランダムでもなんでもお任せします。好きに取り計らってください」
受付嬢に必要事項を告げ、書類に記入して手続きをすます。
ちなみに組合を介して受注可能な依頼は二種ある。依頼の内容自体お任せにする場合と、直接組合に出向いて依頼を見繕いパートナー選びだけ委ねる場合だ。ナイトアウルは後者にした。前者はモーテルの投石犯や下着泥棒の捕縛など、高確率でイロモノが紛れ込んでくる。
「こまっけぇ字。性格出てらァ」
突如肩を抱かれてぎょっとする。例の少年が陽気にVサインをしていた。
「俺様ちゃんも便乗。コイツと組ませてくれ」
「は?」
「稼ぎ名はラトルスネイク。スペルはR・A・Т・Т……」
「執筆代行は承っていません。口頭ではなく書類にご記入ください」
「ケチ。まーいいや」
蛇の少年……ラトルスネイクがボールペンを取って器用に回し、鼻歌を口ずさみながら「RATTLE SLAVE」とでかでか書き込む。
トメハネの筆圧が異常に強い悪筆なうえ枠からはみ出しているが、肝心なのはそこじゃない。ナイトアウルは指摘する。
「間違えてるぞ。それじゃRATTLE SLAVEだ」
「あ?」
少年の手からボールペンをもぎとり、二重線で名前を消した上に正しいスペルで「RATTLE SNAKE」と書き込む。教養を感じさせる丁寧で綺麗な字。
ずれた眼鏡の奥でラトルスネイクが忌々しげに舌打ちする。
「担ぎやがって」
「誰に聞いたんだ」
「内緒。お前は賞金稼ぎにしちゃ珍しく学あるな」
「教会で読み書き教わったから」
「どうりで。そっちはナイトアウルってんだろ?ばっちり書けるぜ、見てな」
得意げに宣言するやペンを奪い返し、余白に「NIGHTASSHOLE」と記す。
ナイトアウルは真顔になる。
「……わざとだよな。ひょっとして喧嘩売ってる?」
「滅相もねえ」
「正しいスペルで記入済みなのに間違えるの無理があるぞ」
「バレた?」
「全部大文字に性格出てるよな。協調は苦手でも強調は得意みたいだ」
当て擦ってから我に返る。
「ちょっと待て、この依頼に噛むのか?」
うっかり代筆してしまってから嫌そうに念を押せば、ラトルスネイクはナイトアウルが背負ったライフルに顎をしゃくってみせる。
「そのナガモノ、お前の得物だろ」
次の瞬間、鮮やかな手さばきで二挺の拳銃が引き抜かれた。
「俺はガンファイター、テメェはスナイパー。二人で組めば長短の射程をカバーできんじゃん、お買い得だと思うけど?」
「押し売りはごめんだね」
「んじゃ取り消す?」
今ならまだ変更可能だ、こんな厚かましいヤツ無視して別件に移ればいい。
ラトルスネイクが挑発的に唇を釣り上げてナイトアウルを覗き込む。
「この山を受けるなら俺様ちゃんの同伴にゃメリットあるぜ。蛇の道は蛇ってな」
「さっきは関係ないって言ったくせに」
数分前に知り合った少年に肩を抱かれたまま、気乗りしない素振りで受付嬢に向き直る。
「……埋まり具合はどうです?」
「あなたとそちらの方を合わせて現在二名ですね」
ある程度予想していたとはいえ、事務的な回答に眉をひそめざるえない。
「少ないですね」
「犠牲者が身寄りのないイレギュラーの娼婦なので遺族による懸賞金増額は望めませんし、まだ三人しか死んでないため緊急性が低いと見なされました」
もう三人じゃないのかと心の中で突っ込む。
アンデッドエンドにおいて……否、この世界においてスケイルアビューズは実にありふれた悲劇だ。
猟奇殺人鬼をもてはやす新聞社にしたところで、この手の犯罪には食い付きが悪い。理由は単純、売り上げが伸びないからだ。大衆はもっと刺激的なネタを欲しがるし普通の人間の大半はミュータントの生き死にに無関心だ。
付け加えるなら売名にも役立たないときて、真っ当な賞金稼ぎは噛みたがらない。
ノーマルってなんだよ、神様?
心の中で何度目かのため息を吐いて質問する。
「懸賞金の親は?」
「三人目の被害者の恋人です」
「受けます」
ナイトアウルは即決した。
ラトルスネイクは下品で下劣で下衆だった。行動を共にして半日でうんざりする。
「保安局管轄のモルグでもらってきた被害者の写真」
「グロいな」
仮初の相棒に渡された写真を手早く切りまぜて口笛を吹くラトルスネイクに、感情を封じて説明する。
「一人目の被害者は右太腿、二人目の被害者は背中から臀部にかけて、三人目はうなじの皮膚を剝がされている。医者の話じゃ凶器はナイフ、手術経験のない素人の犯行だそうだ」
「コレクション目的?」
「だろうね。悪趣味の極みだ」
率直な感想を後半に付け足す。
二人はスケイル・アビューズの三人目の被害者、エラのアパートに向かっている。
一人目と二人目は天涯孤独の身の上で、同業の友人にしか話を聞けなかった。皆彼女たちに同情していたが、若すぎる死を悼む口調には厭世観に浸った諦めも滲んでいた。
『こんな商売やってちゃ長生きできないでしょ』
『ツイてなかったのよあの子たちは。ううん、ある意味まだラッキーだったかも。アタシの妹なんてヒサンよ、客に硫酸かけられてさあ……鱗が爛れちゃってバケモノみたい。アレじゃその手のマニアしか寄り付かないしおまんまの食い上げ。今頑張って整形費用稼いでるけど、最低あと十年はかかりそうだわ。貯まる前に性病でおっ死ぬのが早いか』
アンデッドエンドにおいて素性のわからない男に嬲り殺される娼婦は珍しくないし、ミュータントならなおさらだ。
したがってエラの恋人が懸賞金をかけるまで、彼女たちの死は単なる不運として片付けられていた。
エラが住んでいたアパートに赴く途中、一人目と二人目の殺害現場に立ち寄り簡単な検証を済ませておいた。とはいえ特別な道具は持たないので、目視の範囲でしか情報を入手できない。ナイトアウルは掴んだネタを軽くおさらいする。
「一人目は17歳、二人目は31歳、三人目は24歳。職業は全員娼婦、夜の街に立っていた。全員が生前、または死後に輪姦されている。性器と肛門に異物を挿入された痕跡もあった」
「突っ込んだのは酒瓶じゃね」
「なんで?」
隣をぶらぶら歩くラトルスネイクが鼻のてっぺんを指す。
「アルコールが匂ったから。写真の傷口もギザギザだろ、ナイフだったらもっとざっくりいく」
「ああ……」
見た目と違って頭は悪くないらしい……いや悪いか、自分の名前書けなかったもんな。しかしそれと勘のよさは別物だ。
手の甲で写真を叩くラトルスネイクに頷けば、足を速めて正面に回り込んでくる。
「俺様ちゃんも聞いていい?お前さ、行く先々でアレやってんの」
「アレ?」
「コレよコレ」
ラトルスネイクがふざけて十字を切り、ナイトアウルが心外そうな顔をする。一人目と二人目の殺害現場を調べ終えた際、手癖で十字を切るのを見られたらしい。
気まずそうなナイトアウルが愉快なのか、ラトルスネイクが嘲笑する。
「よくやるよ偽善者。筆おろししてもらったわけでもねーのに」
「依頼を受けた時点で無関係じゃない」
教会を飛び出してからこちらスレてしまったが、形だけでも死者を弔うことが誤りとは思いたくない。
理不尽な死に方をしたなら尚更、その最期が「仕方ない」と周囲に受け入れられてしまうなら尚更、黙祷を装って無能で無慈悲な神様に上申せずにはいられない。
だからこそナイトアウルは偽善者の謗りを受けてもなお事件現場の傍らにたたずみ、故人の冥福を祈り続ける。
葬儀の場のような雰囲気にあてられたか、ラトルスネイクがほんの少し笑顔を薄め、純粋な好奇心を含む声色で聞く。
「なんて唱えたんだ?」
「助けを求める人に間に合わせられなかった言葉なんて失効してる。ただ祈っただけさ」
手元の写真をシャッフルし、ナイトアウルは澄んだ冬空の目で囁く。
「死者に敬意を表す位かまわないだろ。懐は痛まない」
「腹は膨れねェけどタダだしな」
解剖台に横たえられた全裸の遺体写真を検分し、ナイトアウルが伏し目がちに独りごちる。
「鱗が削がれてるのはスケイル・アビューズの特徴だけど、この人はうなじに一枚きりだったみたいだね」
「心優しいアウルちゃんは『殆ど人間なんだから見逃してやれ』って言いてェの」
「アウルちゃんっていうのやめろ」
思わず舌打ちして言い返せば、頭の後ろで手を組んだラトルスネイクが天を仰いで笑いだす。
「多分逆じゃね?」
「逆?」
黄色いサングラスの奥、俗悪な奇跡みたいに美しいインペリアルトパーズの瞳が細まる。
「下手にテメェらに近ェ方がより胸糞でおぞましい。最後の女は混血か隔世遺伝か……たまにあるんだよ、鱗が一枚二枚ホクロみてーに浮かんでくる」
「そうなのか」
感心するナイトアウルをからかうように一瞥よこし、ふてぶてしくうそぶく。
「アブノーマルなお友達がいなきゃ知んなくても無理ねェな」
「ノーマルもアブノーマルも友達はいない」
「マジ?」
「必要を感じないから」
目的地に着いたのでお喋りを打ち切る。生前エラが恋人と同棲していたのはダウンタウンの安アパートだ。
ゴミだらけの階段を上り301号室のドアをノックすると物音が立ち、憔悴しきった男がでてくる。飲んだくれていたのだろうか、息が酒臭い。
ラトルスネイクに対応は無理と判断し、ナイトアウルが一歩前に踏み出す。
「エラさんの恋人ですね」
「ああ……お前らは?」
ドアに寄りかかった男に淀んだ目で見下ろされ、礼儀正しく受け答えする。
「賞金稼ぎです」
一瞬の驚愕が去った男の顔に怒気が漲り、にわかに震えだす。
「……イレギュラーの娼婦が一人殺された位じゃマトモな賞金稼ぎよこすにゃ値しねえってか」
「被害者は三人です」
ナイトアウルは動じない。この程度の侮辱には慣れている。自分の年齢や見た目が依頼人の不信感を煽ることも経験則で知っていた。
その落ち着き払った態度が癪に障ったのか、恋人がナイトアウルの胸ぐらを掴んで罵る。
「くそったれ!!俺の女が、エラが殺されたんだぞ!!なんでだよ畜生何もしてねェのに、金がたまったら結婚しようって誓ってたんだ!」
「お気の毒に」
唾のしぶきが顔面に飛んで靴裏が浮く。瞬きは辛うじてこらえた。通り一遍のお悔やみを述べるナイトアウルの横で、ラトルスネイクはアップテンポアレンジの口笛を吹く。ロックに疎いナイトアウルは知る由もないが、タイトルは「天国への階段」だ。
失意のどん底の恋人に締め上げられても、ナイトアウルはされるがまま無抵抗に受け止める。
「テメェらみてェなクソガキにヴィクテムの取り立てを任せられるか、とっとと代わりをよこせ。キマイライーターとは言わねェまでも腕利きがいるだろ」
「……貴方の依頼を受けたのは僕とコイツしかいませんでした」
責めるでも蔑むでもない、ただ哀れむだけの眼差しで残酷な事実を述べ、うなだれるナイトアウルに恋人が絶句。ラトルスネイクはすっかり退屈しリボルバーのシリンダーを回す。
「そりゃそうだろ、アンデッドエンドでそこそこ使える賞金稼ぎは50万ぽっちじゃ動かねェよ。最愛のオンナの弔い金にしちゃ安いよな?」
「よせよ」
「文句あるかよポケットマネー全額だ!」
「じゃあ何か、オンナの脛齧ってるヒモだったってか?賞金稼ぎの前で泣きじゃくる位なら一緒に付いてってやりゃよかったのに。それともアブノーマルといるとこ見られたくなかったの」
ラトルスネイクの失言をアウルが窘めるも既に遅く、恋人が泣き伏せる。
しかしラトルスネイクは追及の手を緩めない。ゆったりとポケットに指をひっかけ、恋人の傍らにしゃがんで囁く。
「対価は犯人の皮膚?生で剥いでこいって?オンナと同じ苦痛を味あわせてやりてェ志は立派だけど、それって復讐に酔ってるだけじゃねーの?」
サングラス越しの眼光が危険な輝きを増していき、躁的な響きが消えた、うっそりした声を紡ぐ。
「マジで仇をとりてェなら人任せにせずテメェでやれよ、俺なら絶対そうするね」
「ぐっ……」
「いい加減にしろよ!」
ラトルスネイクが一般人をいじめるのを見ていられず引きはがせば、玄関先の男が心をへし折られ泣き崩れる。コイツを連れてきたのは判断ミスだったと悔やみ、ナイトアウルが仕切り直す。
「エラさんの鱗はうなじに一枚きりですよね」
「ああ」
「ミュータントの血を引いてる事実を知ってたのは」
「俺の他には商売仲間と客だけだ。うなじと舌だけに特徴出たからた見た目じゃわかんなかった」
「最近エラさんと揉めた客は?」
「一人いた……乱暴なヤツが。後ろでやりたいって言われて、断ったらキレて殴られたって」
「ありがとうございました」
ラトルスネイクが片眉を上げる。ナイトアウルは写真をしまい、丁寧に礼を述べて踵を返す。
「待てよ!」
「なんでしょうか」
「対価……今からでも変更できるか?」
更新された対価の内容を聞き、ナイトアウルがいたわるように微笑む。
「わかりました。必ず持ってきます」
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