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 二十一世紀の初頭まで社会では教育の荒廃が声高に叫ばれていたが、国は何ら有効な手立てを施すことができずにいた。大学という最高学府が公私を含めて国中に多く存在し、そこが教員免許状を乱発していた事実があったにも関わらずだ。もちろん、この荒廃に理由がなかったわけではない。教育に対する保護者の熱意の増加といえば耳障りがいいかもしれない。だが実のところは家庭が担うべき(しつけ)までを含めたすべてを学校現場へ押しつけてしまったこと。そして何よりも、それを容認し続けてしまった社会の有りようが全ての元凶だった。  教育の衰退は社会の弱体化を招き、二十一世紀の中盤には社会が瓦解(がかい)した。学校というシステム自体が機能しなくなったことにより、国を支えるべき人材が払底した国は社会を支えきれなくなったのだ。この混乱で国土は荒れ果て、人口の半分が失意のうちに病死、餓死、そして自死でこの世を去った。それでもまだ過去の栄光とプライドを捨てきれない為政者(いせいしゃ)と生き残った国民は文明を仕切り直すという名目で五百年ぶりに鎖国を断行。一時は恐怖政治まがいの蛮行もおこなわれたが、さらなる混乱と多くの犠牲者を出すにとどまった。  世界がこの国を忘れて、さらに十数年の月日が流れた。だが荒廃を苗床(なえどこ)として復活を目指す力が(わず)かな人々には残ってもいた。彼らは導かれるままに国民を鼓舞(こぶ)し、社会を再建し始めた。激痛の経験を反省材料とした結果、国土は社会インフラと共に大改編され、新たな法律も整備された。そして教職員保護と教員免許有効活用に関する法律。いわゆる『教活法』も成立した。これによって教員志望者はかつて保護者から受けつづけた理不尽ともいえるクレームに(おび)えることなく教職に就くことができたし、社会を担うべき子どもたち一人一人に手厚い教育を受けさせることができるようになったのだ。 「教育に金をかけるのは結構なことだが、近世ヨーロッパで貴族が子弟に施した家庭教師のようなものに国家予算の四分の一を費やすのは正気の沙汰ではない。まさに無知の所業だ」との識者からの揶揄(やゆ)もあったが、それは大復興の流れの中で(あくた)と化した。  そして……。
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