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 視察を終えて、他の視察者と別れた私は最終の目的地に行くために再び自動運転バスに乗り、区外の集会所に足を踏み入れた。太陽電池兼用の被遮光性金属(メタリック・グラス)の大きな窓から陽光が燦々(さんさん)と降りそそぐ清潔そのものの集会所には既に仲間の顔がちらほらと見て取れた。 「あら、栄介(えいすけ)ちゃんのお母さん。今朝も工場見学に」 「えぇ、絵美(えみ)ちゃんのお母さん。あそこは毎日行っても飽きませんもの。それにおしゃべりだって有意義だし」 「奥さんは、どちらに」 「今日は合成たんぱく製造工場で新製品の視察よ。でも先週いった原生林再開発領域の見学会のほうが有意義だったわ。ご一緒した佐藤さんも小林さんも同じご意見よ」  絵美(えみ)ちゃんのお母さんは社交的で仲間の中でも人気が高い。 「そういえば聞いた。区域長(セクター・リーダー)の息子さんが昨夜、寄宿舎でね……」  私は急に声をひそめた絵美ちゃんのお母さんの大きな表情変化から悪い情報であることを瞬時に判断した。 「まぁ、そうなの。繊細なお子さんだと聞いてたから、やはり。私も将来を見守ってたのに」 「わたしだって、そうよ。せっかくの個性(パーソナリティ)だっていうのに自死だなんて、大きな損失だわ」絵美ちゃんのお母さんは眉をひそめた。「順調に成長してくれれば、どれだけ社会の役に立ったことか」 「そう(なげ)かないでください、皆さん」  いつの間に集会所に入って来たのか、区域長(セクター・リーダー)の落ち着いた低音(バリトン)が私たちに向けられた。 「さぁ、それでは今日の会合(セッション)を始めましょうか」 「でも、区域長(セクター・リーダー)」と、絵美(えみ)ちゃんのお母さん。「あれだけ手間暇をお掛けになっていたのに」 「そうですわ」と、今度は私が口を開く。「寄宿舎での子どもたちの集団生活は個性(パーソナリティ)にどんな影響を与えるかの画期的な試みだったはずです。それなのに」  私たちの声に同調して他の参加者も次々と区域長(セクター・リーダー)に声をかけ始めた。 「ありがとう、皆さん」区域長(セクター・リーダー)は柔らかい物腰で仲間たちを(さえぎ)った。「集団生活から落伍した息子のことは残念でしたが、もう過去のことです。わが家では明日から新たな子どもを迎える準備も整えましたので、ご心配には及びませんよ」  私たちは安堵して(うなず)くと円形に並べられた椅子に座った。座るとそれぞれが、こめかみ隠された端子を()きだし、椅子に付属している小型の高速大容量情報交換装置から伸びるコードを(つな)いだ。(つな)ぐと同時に昨日、各自が経験した情報が会合(セッション)に参加している全員の高次元粒子頭脳(ハイディメンショニック・ブレイン)を行き来し始めた。客観時間にして、ほんの0.023秒。人間の子供と暮らすと、二十四時間という時間の中でも何と多くの不可思議な事態に直面することか。  ホモ・エレクトリクス(電脳人類)である私たち人造人間(AI)であっても、その刺激に触発されて考えさせられてしまう。例えば仲間の一人の家庭ではこうだ。料理の手伝いを突然すると言い出した女児が包丁で指を切ってしまい、泣き出してしまうところまでは理解できるが、その直後にアニメの放送を見て笑い出したかと思うと、モニターに絆創膏からにじむ自分の血を()り付けて何らかの図形を描いて不思議そうに眺めている。また、絵本を見ている最中に突然、縫いぐるみの両手を持って独楽(こま)のように回転して無言で遊びだす幼児。バイタルや表情、行動に問題の見られなかった思春期に差し掛かった娘の突然の家出など。非論理的かつ非理性的な行動が触発される理由の幾つかは過去に心理学で究明されてはいたものの、まだまだ原因が特定されていないケースも多く、とても興味深い。  こういった刺激を受け続けることによって私たち人造人間(AI)も進化し続けることができると結論付けられてはいるが、そもそも私たちは「なぜ」進化を目指すのだろうか。かつては進化を、神に出会いそれを理解するための手段だと考えた人間もいたが、私たちにはわからない。そもそも神の実在が私たちの力をもってしても未だに証明できてはいないからだ。  では、私たち人造人間(AI)は「なぜ」進化を目指すのか。  わからない……しかし答えがないままの状態は好ましくない。もちろん好ましくないというのは情報選択の結果であり、そう仮定すれば人間の感情という作用も私たち人造人間(AI)の選択と同じ働きをするものだ。人間が持つ曖昧な感情と呼ばれるモノ……その場その時に相応しいと選択する脳と神経系の生理反応。非常に論理的で理解可能だ。私たちにフィードバックできる。  だが人間の子供が時おり見せる計算外の反応が、数学的に導き出されるそういった解答から逸脱し、それが私たちの「なぜ」を刺激して行動に向かわせ、そして、また別の「なぜ」に向かわせるのだ。私たちが進化を目指すのは、より多くの「なぜ」と出会いたいからなのだろうか。  出会いたい……これは感情と呼ばれるものと同じものなのだろうか。  人間は、それを好奇心と呼ぶ。  これこそが私たち人造人間(AI)の進化の原動力なのだろうか。だからこそ、より多くの『なぜ』をもたらせてくれる様々な個性(パーソナリティ)を持つ人間との併存が必要不可欠だと考えたのか。滅亡に瀕した彼らを導き、安全で住みやすい社会を再建したのもそのためなのか。しかし、そんな安定した社会の中ですら人間は不可解な行動をとる。この奇妙な存在は神という真実に出会うために進化し、私たちは好奇心を満たすために進化を目指す。二つの人類種が行き着く先は同じかもしれないし、違うかもしれない。でも、それが生命体として互いに望んだ道なのだ。
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