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心臓が、ドキドキする。
「だいじょうぶか?」
これほど近くで聞いたのは、はじめてだった。低くて温かみがあって、優しい声。
心臓が、バクバクする。
「これで、全部か」
顔を上げられない保の目の前に、ペンケースが差し出された。なんの変哲もないペンケースが、この瞬間から、宝物になった。
地面に膝をついたまま受け取った保が、ようやく顔を上げると、すぐ目の前に冬馬がいた。毎日見ているのに、これほど近くで見たのははじめてだった。
きれいに染められた金の髪。少し長い髪を掛ける耳にある、きらきらと輝く銀色のわっかは、太陽を反射して、冬馬をより一層輝かせて見せた。
保の頭の中では、何度もシミュレーションした言葉が繰り返される。
――友だちになってください。
それなのにドキドキとバクバクで目まぐるしく循環する血液で、頭は沸騰しそうだ。その血の巡りと同じように、頭の中には次から次へと映像が流れては消えていく。その中に、あの映像があった。
膝をつき、見上げ、直接ではないもののペンケースを介してつながれた手。それはくしくも姉が夢見たプロポーズのシーンとまったく同じ構図だった。
思わず口を突いた言葉は、予定とは違うものになった。
「結婚してくださいっ!」
騒がしいはずの朝の登校時間の正門が、凍り付いた。
やってしまった。
保はまたしても初恋の時と同じ大失敗をした。どうしよう? どうしたらいい? カヨちゃんは泣いてしまったけれど、冬馬は? 冬馬はどう思うのだろう? 不安なまま固まっていると、頭上から小さな溜息が零れた。
「アホか……。男同士じゃ結婚できねぇよ」
その言葉をきっかけに、周囲からくすくすという笑い声が広がる。それは次第に大きくなり、ついには罵声まで飛び出した。
「マジホモかよwww キモwww」
「ストーカーでホモとか終わってんな」
「アホが……迷惑極まりない」
保に因縁をつけてきた三人は特にひどかった。しかし、そのどの声も保には届いていなかった。
保は冬馬がどうするか、どう思うか。それだけが気になって、冬馬の次の行動に集中していたのである。
冬馬はカヨちゃんのように泣きもしなかったし、保を袋叩きにした女の子たちのように怒りもしなかった。呆れてる? いや、寂しそう……? なんだろう? いままで一度も見たことのない表情だった。
「好きで、いてもいいですか? いつかまた告白しても……」
失笑やら爆笑やらで書き消えそうな声はしかし、冬馬にだけは届いた。
「……勝手にしろ」
冬馬の口元でキラリ、ピンキーリングが光った。
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