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《1》
遠くへ追いやられたものが、何も連れず手許に戻ってくることはない。
めぐる季節にもそれは言えて、たとえば夏の暑さが激しければ、秋にも冬にも影響があり、たとえば失くし物をしても、取り戻す努力をしなければ、のこのこ戻ってきたりはしない。人の気持ちならば尚更、映画のようなハッピーエンドはあり得ない。
オフィスの窓から外を見ると、雨にくすんだ世界を歩く人たちがいる。
皆、色とりどりの傘をさしていても、それらは溌剌と動いているわけではなく、各々の目的のために歩いているだけだろう。これから先に何かを期待するような色づいた未来は見えてこない。
世界は淡々と月日を重ね、今の時代を生きる者にとっては、辛い試練も多いものだ。増税だったり、脱却出来ないデフレであったり、会社を経営する立場では、強力な外資による介入が行われたりもする。
私の周りでも、変化は起きていた。
短大を卒業してから勤め始めた会社が、昨夏、米国企業に買収されたのだ。
それまで羽振りが良かった上層部は刷新され、部長以上の役職は皆、日本語の話せない(話す気もない)外国人たちに占拠された。会社の公用語は英語となり、社員らはこぞって英会話教室に通うようになった。作業効率が極端に落ちたのは言うまでもなく、電子辞書や翻訳ソフトが欠かせない。すでに傾いた会社であったから、賃金も二割から三割カットされた。営業職は完全な能力給となり、ごく一部の社員は二倍も三倍も給与が上がったと聞いているが、あくまで噂の域を出ない。
私の仕事は営業のバックアップだ。能力給なんてものはそもそもつかないし、買収による悪い方の恩恵を受けていた。
良かったことと言えば、男女の格差がなくなったことだろう。その気になれば営業職に転向し、出張や異動はあるけれども、月収百万円プレーヤーになることも夢ではない。
ただ、実家で同居している両親からは、「結婚が遠のいてしまう」だとか、「孫を抱けなくなってしまう」だとか言われて、現状維持を切望された。稼ぎは未だあてのない夫となる男に任せ、「あなたは家庭を守りなさい」と言われる。私がいくら「もうそんな時代じゃないのよ」と言っても、昔気質の両親は聞く耳を持ってくれない。
帰宅すれば「いい人はいないの?」と訊かれ、「美玖は昔から不器用だから」と罵られ、挙句の果てには「もう二十八でしょう。お友達はみんな結婚してるじゃないの」と胸を刺してくる始末だ。
私だって、結婚したい気持ちはある。慣れない英語にもうんざりだった。実家で暮らしていなければ生活もままならず、洋服だってプチプラのものしか買えない。それでも女としての輝きを失わずにいられているのは、課長の酒本隆史さんと、後輩の明田慶くんがいたからだ。
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