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 課長には家庭があり、小学校に上がったばかりの娘さんもいる。彼の奥さんもこの会社出身で、短大を出て間もない頃にはお世話になった。当時の課長はバリバリの営業畑を歩いており、大口の契約をいくつも結んできては、女子社員を集めて派手なパーティーを開いていた。昔から女好きな人で、しかし、ふしだらに手当たり次第食い散らかす真似はしなかった。今の奥さんと付き合い出してからは、そういったパーティーも開かず、遠目に見れば一途な良い旦那を演じていた。 『こう言うと語弊があるかも知れないが、僕はずっと君に惹かれていた。妻とのあいだに子どもが出来なければ、僕はきっと君を愛していた』  誰もいないオフィスで、私はその言葉を聞いた。  そのとき、色々なことを考えた。  それまで付き合っていた男と揉めに揉めて別れてから、次に付き合う男は吟味しようと思っていた頃だった。  略奪婚をしたら、月の養育費はいくらだろう。両親に別腹の娘を会わせたら何を言われるか分かったものじゃない。でも、それよりも何よりも、遅すぎた告白を温和に笑う彼の顔が愛おしくて、雨のそぼ降るビル街を見ながら私は応えた。 『私も、ずっと課長が好きでした。もし良ければ、一杯飲んで帰りませんか。誤解しないでくださいね。全ては過去の話です。今の私の本命は、明田くんですから。お互いに本命がいる者同士、時折お酒を酌み交わすぐらいがちょうどいいんです』  明田慶くんは、二つ年下、四年後輩の男の子だった。ほんの一ミリ前髪を切っただけで気にかけてくれる優しい子だ。SNSでも頻繁にやりとりをして、これまでに二回ベッドを共にしている。とても健気に慕ってくれて、「結婚を前提に付き合ってください」という告白も何度か受けた。そのたびに私は無性なる背徳感に襲われた。慶くんみたいに透明な子に私は不釣合いだ。この生まれ持った‟性質”が、透明なあの子を侵してしまうことが怖かったのだ。  人生で初めて恋心を覚えたのは、今となっては定かじゃない。私は、六つ離れた従兄に恋をしていた。しかし、その従兄は高校に入るなり、きれいな恋人を作って、卒業と同時に家庭を築き、私から逃げる感じで隣県のC市に引っ越してしまった。  日本の法律では、従兄妹は結婚出来る。私はこのルールを知った日から、そうなることだけを夢見ていた。だから、恋した従兄が結婚した後は、手当たり次第に恋に溺れた。女友達との関係を明らかに目減りさせ、その時々の男に埋没した。経験人数は七人ぐらいだったが、本当に、盲目的に彼らを愛し、異常なほど嫉妬し、束縛し、結局いつも捨てられた。  最初の頃は優しかった男たちが、最後は皆が口を揃えたように、 「美玖は重い。もう自由にしてくれ」  そう言って、私の費やした時間やお金とともに遠くへ去ってゆくのを見届けてきた。    慶くんのようなピュアな子に私は似合わない。  私が恋をするなら、ある程度()れた男の方がよい。  でも、私だって過去の失敗から何も学ばなかったわけじゃない。だからつい口をつくように、脆弱な防衛線を張ってみせた。 『明田くんとは結婚の話も出ているんです。だから割り切って楽しみましょう。もちろんお酒を、ですよ。それ以上のことはするつもりありませんから』
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