事件

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 翌朝、事務所で隼人は考えていた。  名も分からない、住所も分からない、母親の妹だと言うから、苗字が相馬だとは限らない。  どういう経緯から、両親と有朋は別れ、義礼の元に引き取られたのかを問うたところでとうとう、目眩を起こしてしまったらしく、大きく体が揺れ、ソファから転げ落ちそうになってしまい、質問を諦めざるを得なくなってしまった。  有朋と二人で体を支え、車の後部座席に押し込んだのだが……。 「一体何が、高林さんをあれ程苦しめたのか」  友人の子供を引き取った。ままあることである。  義礼はその事実を隠してはいないし、有朋も、物心ついた時には、高林家に居候していたと自覚していたらしい。 「相馬の様子もおかしかった」  いや。と、心の中で否定した。おかしくなどない。あれこそが相馬有朋の本性である。  子供の頃は知らぬが、有朋は可愛気に欠ける若者だった。  バンカラから華族まで、日本中の秀才の集う大学の中で、有朋は目立つ存在であった。    美しい容貌は勿論、大会社高林商事社長の養子(と学内では噂されていた)であることへの妬み。    何より、有朋の自尊心の高さが皆々に知れ渡り、疎んじられたのである。
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