神に赦しを

8/8
前へ
/8ページ
次へ
「チグリ!おい、チグリ!」  暗闇の中、チグリは進む。チグリは、王を含む貴族に囲まれたが、構わずに宮を辞した。通気口に目配せしてきたので、俺は慌てて後を追った。  あの絢爛さはどこにもない、寂れた街の路地裏。草木も酔っ払いたちも眠った深夜。俺たちの足音だけがやけに響く。  敬語も忘れて追いかけて、やがて、チグリは足を止めた。 「ちゃんと、見てた?」  ただ、一言だけ。  壁に背を預けて座り込むチグリ。憑き物が落ちたような顔をして、鞘付きの剣を放り投げている。 「……見てた」 「ありがと」  何がありがとうだ。 「革命の瞬間を見てほしかったのか?」 「まさか」  失笑。 「僕が人殺しに堕ちる姿を、見ててほしかったんだよ」  そんな明るい顔をして、何を言う。  未練もなさそうな顔して。 「リヒト。僕を殺して」  家族を斬った、その剣で、と剣を指さした。  拾う。鞘を払う。血で錆びて、切れ味が悪そうな刃。  一瞬で絶命はできないだろう。苦しむだろう。きっと。 「孤児院の件は大丈夫。さっき王様に頼んできたから」 「……俺、人殺しじゃない」  呟く。 「嘘ついたんだ。普段のチグリなら、そんなこと言わないから……言うんなら、経験あった方が、役に立つのかと」 「そっか」  役に立ちたかった。  厚遇の恩を返したかった。 「じゃあ、僕のこと、一生忘れられないね」  熱い涙が溢れた。  俺は完全に、情が移っていた。  ここで嘘を明かしたら、なら生きようかなと、言ってくれるんじゃないかと思ってしまった。  そんな筈ないのに。  チグリはきっと、人殺しに自分を殺してもらうために、スラム街まで行ったのに。 「誰かに、覚えててほしかったんだ」  僕の罪を、と。 「英雄の僕じゃなくて、家族を皆殺しにした僕。神様じゃない、ありのままの僕を」  綺麗な僕じゃなくて、汚い僕を。 「だから、ずっと覚えていてね。リヒト」  命令だよと、断頭台の囚人みたいな短髪で微笑んだ。  俺は、鞘を捨てた。脳裏に蘇るのは、癖毛のアイツ。  自分の親は、チグリジアという神族に処刑されたと、泣きながら明かした彼。  仇討ち何て言わない。  なぜ洗脳が解けたのか何て、訊かない。  ただ、人殺しの罪咎を赦さぬチグリを、生き地獄から解放するために。  俺は初めて、罪を犯した。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加