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ほどけて、キス
ぼやけた視界にだんだんと頭が回り始めて、ここが自分の部屋ではないことを理解したのは、目を開いてから一分くらいのことだった。
自分の部屋ではないけれど、見知らぬ場所でもなかった。
榊にとっては見慣れた天井だ。
(そうか、俺、昨日・・・)
次の瞬間、息が止まりそうなほどの衝撃が走った。
人間の体から聞こえるはずのないギシギシと軋む音が聞こえてきそうなほど、全身が鉛のように重いし痛い。
それでもなんとか上体を起こすまで、かなりの時間を要した。
起き上がった頃にはすっかり目も冴えて、頭は覚醒していた。
おかげで、昨日のことを否が応でも思い出す。
(あー、いてぇ・・・)
酒を飲んでいたから若干頭が重いのはそのせいもあるのだろうが、それが最大の原因ではないことは明白だった。
(記憶飛ぶくらい飲んどきゃよかったか・・・いや)
結局こんなに全身が痛くては、何があったかなんてすぐに察しがついてしまう。
榊は無意味な後悔を追い払うように首を振ろうとして、低く呻いた。
何をするにしても体に響いて、とても不自由だ。でもそれも仕方のないこと。
誰かを受け入れるなんて、あまりに久しぶりのことだったから。
まさかこんな日が来るとは思ってもいなかった。しかもその相手が同じ会社の後輩。
なかなかに気の合う奴で、お互いの部屋で宅飲みをするくらいに仲は良かった。
昨日も仕事帰りに近くのスーパーで安くなった惣菜やら適当に買い漁って、部屋で飲もうとやってきたのだ。
その部屋の主が見当たらないが、ドアの向こうで音がするから朝食でも用意しているのだろう。
(さて、どうしたもんかな・・・)
どんな顔をして、どんな風に、なんて言葉で。
考え始めたところで、それはすぐに必要がなくなった。
「あ、榊さん起きてる。おはようございます」
静かに半分だけ開いたドアから日向の顔が覗いて、榊が起きていることを確認するといつもと変わらぬ様子で部屋に入ってくる。
「おはよう」
「体調は?」
聞きながら日向がベッドに腰掛けた時の振動が、榊の体に響く。
「・・・最悪だよ。わかってて聞いてんだろ」
少し睨みをきかせた榊だったが、日向は茶目っ気たっぷりに笑った。
「だって仕方ないっすよ、榊さんかわいいんだもん。よくここまで我慢できてたなって、自分を褒めたいくらい。俺謝りませんから。いい加減折れたらどうすか」
いつも通りだと思っていた距離が少しだけ縮まった。
「かわいいってお前なぁ、こんなオッサンつかまえて何言ってんだよ」
「オッサンって、5歳しか違わないでしょ。そんなの通用しませんし、気付いてないとも言わせませんよ」
布団の上に投げ出していた榊の右手が、覚えたての熱に包まれた。
気付かないほど鈍感ではいられなかった。
おかしい、もうこりごりだと思っていたのに。
いつの間にこんなに居心地が良くなっていたのだろう。
「・・・物好きな奴」
「何とでも言ってください。何でそんなに頑ななのか未だにわかりませんけど、今を見ましょうよ。今の俺を見てください」
(そんなの、とっくに・・・)
榊が視線を外している間に、少し動くとぶつかるくらいまで日向は近づいていた。
そして最後の距離を詰めたのは、榊だった。
榊から日向へ触れるのはこれが初めてのキス。
たった数秒でも、ちゃんと想いが伝わるように優しい。
その温もりが離れていったあとの日向は、不意を突かれて目を丸くしていた。
榊はしたり顔で、でも言葉の節々から気恥ずかしさは隠しきれていなかった。
「仕方ないから、ほだされてやる・・・責任取れ」
最後まで目を合わせてはいられなかった。
しかしその視線を追うように、再び唇が重なる。
「もちろんですとも」
近すぎて日向の表情を確認できなかったけれど、声からは嬉しさが滲み出ていた。
榊の口元も自然と緩んだ。
でもそれもほんの一瞬で、すぐにこのくすぐったい空気に堪えられなくなった榊は、話題を変えようと試みる。
少し声がうわずってしまったことは、何もなかった風に装って。
「あー、腹減ったなあ」
「じゃあちょうどいい時間だし、お昼にしましょうか」
「え?」
今何時、と時計を確認するより前に低い声が出た。
体がいつも通りではないことを、この甘ったるい空気のせいですっかり忘れてしまっていた。
「もうお昼ですよ。大丈夫ですか?」
「おい、お前笑える立場じゃないだろ」
「ふふ、俺のせいっすよね。本当に我慢きかなくって、がっつきすぎました。寝たの深夜っていうより明け方だったし」
申し訳なさそうにしているようで、さっきから日向はずっと笑っている。
「でも安心してください。今日は俺が一日榊さんを介抱するんで」
何だか含みのあるようにも聞こえて、嫌な予感がしないでもなかったけれど。
ベッドから立ち上がった日向は、部屋のカーテンを勢いよく開けた。
真っ青な空と、高くから降り注ぐ日差し。
どうやら今が昼だというのは本当らしい。
「何食べます?トーストでいいならすぐ出来ますけど」
振り返った日向は、同じように眩しいくらいの笑顔を見せた。
でもこの笑顔をそばで見ていられるなら、それでもいいか。
もうすでに柄にもないことをしたばかりだった榊がそう思っていたことは内緒だ。
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