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班長はご遺体に布団を掛けたあと、電話を取り出してて県警本部に連絡を入れ、今取り扱ったご遺体の情報を伝えた。
「あー、そっちが来る必要はないよ。了解。それはこっちでやっとくよ」
と言って電話を切った。経験の長さだろうか、県警本部の指示を仰ぐ前に班長の方から提言している。
「次は、このおっちゃんの生前がわかるような資料を探そうか」
私たち鑑識係員の次なるミッションは、この現場からこの方が生前どんな生活をしていたかを調べる作業だ。現場はこのご遺体が亡くなるまではここの日常だったはずだから、ここにその証跡は必ずあるーー。
まずは現場が荒らされていないか。金目のものが無くなっていれば泥棒が入った可能性がある。現場はとにかく整理がされてなくゴミが散乱しているが、泥棒の目的で荒らされたというより元々散らかっていたような感触はある。
「この調子だと、お金はそもそもなかったのかも……」
金目のものは一向に見つからない。私は安易に想像で答えると班長は首を横に振った。
「いや……、金は無くても財布くらいは持ってるはずだ」
と私に釘を刺すと、部屋に一着だけハンガーに掛かっている上着のポケットに手を入れた。
「ほれ、やっぱあるじゃん」
班長がそこから見つけ出したのは安っぽい財布だった。それがあたかもそこにあるように一発で見つけ出した。
「さっきの高村の話聞いてなかったか?毎回同じ格好で見かけるって」
私は思わず声を出して納得し、部屋をぐるっと見回した。
雑然としているこの部屋、外に出られるような服はこれしかないし、お金は外に出る時使うものだから、いつもこの上着のポケットに入ってるのだろうと推測した。
「まあ、その通りだろうな」
財布には免許証も入っていたが、写真の顔とご遺体が一致しているとは言い難い。さらに、中身を確認すると所持金は小銭ばかりで全部出しても500円に満たないーー。
続いて本人の病歴を示すものを探すけど、本人が病院嫌いと言ってたのはどうやら本当のようで、診察券はもちろん通院を示すようなものは何一つ見当たらない。
「生活はだいぶ……、のようだな」
床に転がっているのは半額のシールがついたスーパーの弁当と発泡酒の空き缶、テーブルの上には山になった吸い殻ーー。これだけで物語る状況はほぼ明らかだ。
「何らかの病気はあったんだろうけど、診てもらってないから分かってない、って感じか」
私は布団をかぶったご遺体を見た。
家族と別れて独りになって、誰とも深く付き合うこともなく、この散らかった部屋で安い食事で食い繋ぎ、そして誰にも知られずにその人生を終え、そして何日もの間置き去りにされてーー。そう考えると私は言いようのない儚さを感じ、しばらく時間が止まったような気がした。
「ほら、見てみろよ」
多聞班長の声で私は引き戻された。班長が手に取ったのは、テレビの上に立て掛けていた写真立てだった。
この狭い空間はゴミが散乱し、どこも埃っぽいのに何故かこの写真立てだけはそうでない、むしろそうでないからすぐに班長の目に止まったのかもしれない。
写真にはおそらく本人だろう、この警察署の管内にある小さな動物園でゾウを背景にして小学校に上がるか上がらないくらいの少女と撮られている。
「これは、このおっちゃんの娘なんだろうなーー」
根拠はないがこの状況なら間違い無くそうだろう、面影が免許証の写真に残っている。ただ、この写真のお父さんと今目の前で横たわっているこの方と同一人物であるか確認ができないのは、写真が古いということではない。
「いつまで経っても親ってのは子がかわいいもんよ」
私はこの現場に入る前に、最初に事情を聴取した高村巡査の言葉を思い出した。
このご遺体は、約30年前に離婚して家族とは音信不通となっているようだ。それよりも前はこのご遺体の方も明るい家庭があって、娘さんと動物園に行ってたのだろうということは現場に遺されている資料から推測ができた。
この方にはこの方の人生があって、途中うまくいかない時期はあったようだ。それでも、良かった頃を思い出しては大切にしていたのだろうと感じずにはいられない。
「一人になって、誰ともつきあいもなく、寂しかったろうな…」
それから現場から見つかる様々な資料、班長は多くを語らなかったけど、ベテラン鑑識係員が現場の資料から導き出されたこの方の最後の人生は、
本人の日頃の生活や嗜好が原因で
妻と離婚して娘と生き別れた、
それでも後悔しつつ楽しかった頃を
思い出しては感傷に浸っていた
のだろうな、と説明するのに私は妙に納得していたーー。見た目でただ圧倒されていた私は、この人の生前について予想しようともしない自分が不甲斐なく感じ、下を向いていた。
「早川……」
「はい」
「このおっちゃんの今の姿見て正直どう思った?」
眼鏡越しの班長の目は一瞬厳しくなった。それで私は感傷に気持ちが持っていかれそうな自分を引き戻された。この目をした時の質問は本当に思ったことを答えろという強い指示であることはこれまでの勤務で肌で感じ、言葉を選んだ。
「正直ーー、厳しいです」
「ああ、その通りだ。厳しいよな、俺も厳しい」
帰ってきた言葉と表情がズレているごとに私は戸惑い、班長の次の言葉が予想出来なかった。
「確かによ、衛生的には厳しいな。それに死体ってのは誰もが見たいもんじゃない。でもよ、このおっちゃんだってこういう状態で見つかりたくはないと思わないか?そう考えると俺にはどうも悪いものには見えないんだよなぁ。」
私は、目の前にいるこの方を良くないものと認識していた自分に反省した。
「俺だって、早川だってそうやって将来見つかるかもしれない。それを汚いものや悪いものと思って見ると、ロクな死に方せんぞ……」
私は何も答えられなかった。けれど、その時生まれた間で班長はすべてを察しているのが分かったーー。
言葉のキャッチボールはできていない。だけど、理解はできているし自分の中でさっきまでの自分に反省すると、この場でそれをわざわざ報告する必要はなかった。
「キレイ事でも美談でもなく、それに対応して救ってやるのが鑑識の仕事よ。本当はまだマシな姿で誰か来るのを待ってたんだ。この人に限らず、ご遺体みる時はいつでもな」
ご遺体の身体を点検する班長の姿を見て私はさっき自分に言った言葉を繰り返して考えた。
「この人は生前ちょっとオイタしたかも知んないし、晩年寂しかっただろう。でもよ、あの世に旅立つ時くらいは誰かに来て欲しかったと思うんだがどうだ?」
班長の言葉は、鑑識の格言のように聞こえた。私が今志す鑑識係員のあり方が朧げに関したーー。
「そう考えるとよ、このおっちゃん。ウチらに向かって『ありがとうな』って言ってるように聞こえてよ……」
そう言い残すと班長はご遺体の両手を胸の上に乗せて、最後に「お疲れさん、ごめんな、色々こねくり回して」と言いながら持ってきた収納袋のジッパーをしめた。慣れた手付きで作業する班長の後ろ姿を見ていると、ジッパーで閉じられんとするご遺体の顔がほんの少し安堵の表情に変わったような気がした。
「分からないことが分かるってのはそういうことよ。分かったろ?菜那子巡査」
班長は去り際に、手袋を外した手で私の肩にポンと手を置き玄関先に出ていった。
「ーーずるいな、師匠。そんな時だけ名字じゃななくて名前で言うの……」
私は班長の後ろ姿に小声で呟いた。
私は完全に班長の掌の上で遊ばれている。だけど、普段は厳格な班長の人情味のある一面が見れて、この現場に臨場できたことを良かったと思えた。
現場に残ったのは私とそのご遺体だけ。私も続いて現場から出るにあたり、今までになかった感情がご遺体に向けて生まれると、自然にお辞儀をしてこう言った。
「ご協力、ありがとうございました」
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