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2023.05.19 謝辞
これまで長く創作(デザイン・イラスト・立体・文章)を続けてきて、時にお褒めの言葉をいただくことがあります。
嬉しいのに、手放しで喜べない自分が常に内在します。
世の中にはいくらでももっともっと上手い人はたくさんいる、だけど自分はそこには決して入れなかった。この人は、はたして本心から良いと思ってくれているのだろうか——とうがって、心が冷えてしまうんですね。
自分がいくら望んでも届かない、才能を持つ人たちが世界中で活躍しています。
そんな人々が、多大な努力をしているのは理解しています。
だけど、おのおの持って生まれた『感性』だけは個性なので、努力だけではどうにも太刀打ちできず、その高い技量は自分の手に届かず、悔しい思いをしてきました。
わたしの夫は数学に長けたひとで、難題を突拍子もないアプローチで正解を導き出す「数学おばけ(才能持ち)」です。専門分野の現職で、専門書に寄稿して名を連ねたりもしています。
そして、自分の高度な技能に対して(努力もしてるから)無自覚に「才能なんてない。努力だけだ」と言い切るんです。
ただならぬ量の努力をしているのは知ってる。効率的に、集中して技能を高めてきたのもわかります。
だからこそなのか、努力さえすれば、自分と同じ問題が解けるようになる、と自信まんまんに断言するんです。
いや……、どうあっても無理でしょ、と毎回反論します。
数字が大嫌いで、請求書を書くのも嫌で、計算が必要なCADをやるのも拒絶した自分が、数学をやりこなせる未来などまったく現実的ではないからです。
わたしは、「努力・根性でどうにでもなる」の精神だけは納得できないんです。
人間には、向き・不向きがあるから。
結局、好きで続ける努力も才能なんですよ。
たとえば——、だれでも努力で、聞ける音楽を生み出せるか?
あれはまぎれもない『才能』です。
『努力だけではどうにもならないもの』は、世の中に存在します。
だからこそ、ちょこっとできるていどの出来でも、素人さんからはベタ褒めされたりもします。
でも、そのていどでのぼせ上がってはいけない。
世の中にはいくらでも上がいるから。知っているから、戒めとしてどうしても心のブレーキがかかってしまうんですね。
なんども経験してきました。
手応えがあると感じた作品に、思うように評価がつかない。
増長してると、大抵あとから手痛い反動を食らう。
世の中は、釣り合いで成り立っているから。
いいことばかりは続かない。ずっとそうだった。
いつしか他者からの評価を、素直に受け取ることができなくなりました。
どんなに望んでも届かず、悔し泣きすることばかりで自己肯定感が低くなり、自己評価は地を這いつくばっておりました。
その点で、受賞というのは社会的にきちんと評価してもらえた証なんだ、と今回は大きな気づきがありました。
揺るぎない現実だから、自信を持ってもいいんだ、と。
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ずっと創作にしがみついて続けてきたのには、単に好きだけでは終わらない理由があります。
遥か四半世紀以上前の若かりし頃。
商業作家さまだったおふたりと、邦ロックジャンルの同人誌活動で知り合いました。
年上の彼女たちは、ふたりで一名義の作家として活動し、大手から小説を出していた方でした。
まだ、BLという名称がなかった時代。
私は男性同士の恋愛+性愛というのがどうしてもだめで、おふたりの作品は同人誌での活動しか知りませんでした。
そんなある日、おふたりから声をかけられました。
「新しく立ち上がるホラー小説の賞がある、編集者を紹介するから書いてみない?」と誘われたのでした。
わざわざ呼び出してくれて、実際に会って声をかけてもらえたのに。
気づけていませんでした。あれほど大きなチャンスをいただいたのに。
どんなにか稀なチャンスを逃したのか、ありきたりな生活に埋没するうちに思い知るようになりました。
言い訳になるけれど、当時私はデザイン専門学校の卒業制作で奨励賞を取って、上野の森美術館で展示され、中堅ではあったけど地元の印刷会社に新卒扱いで転職が決まったばかりでした。
不安定な選択肢を選ぶ勇気がなかったのです。
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かつて高校生の頃、少年画報社の漫画賞に応募して、末尾ではあったけれど週間少年漫画雑誌「少年キング(銀河鉄道999の連載誌)」の誌面に名前が載ったことがありました。
拙いながら若さだけで仕上げた8ページの漫画原稿に対して、編集者の方から届いた講評は優しくて、力強いもので、あれから私は創作に魅入られてしまったんだと思います。
けれど自分は進行性の眼病を抱えて、親に「漫画家なんて水商売、目を悪くして失明したらどうする、絶対に許さない」と断じられて素直に従うしかありませんでした。
一度は事務職に就いたけど、どうしても肌に合わず、貯めた給料を全額つぎ込んで夜学に通い、あきらめきれなかった印刷業界への切符を手に入れた時期とお誘いの時期が重なりました。
世間的に、奇異な目で見られない職業を選んだことになります。
上司には「もらった給料を使って、転職のための学校へ行くなんていい身分だね」って嫌味も言われたけれど。
でもいまだに思い出すんです。
後年、ホラー賞で本屋に並んだのはパラサイト・イヴでした。
もはや、その賞であったかどうかは確かめようもないけれど。
理系の文章は、論文のような文面でなかなか個性的だったのを覚えています。
あの時。
一歩踏み出していれば、別の道があったのかな。
小さな胸のつかえを、未練がましくずっと抱えずにいられたかもしれない。
でもたぶん、あのときに会社員というレールを外れた世界を選んだら、夫とも出会わなかったし、そうしたら今という未来もなかったでしょう。
後悔はしていません。
ただ、わたしの文章力を評価してくださった、あのおふたりには心からの感謝しているのです。
Wikipediaで調べたら商業本からは離れたらしく、もはや連絡の取りようもなく、自分自身もペンネームも変えてしまったから気づかれる奇跡はありえないし、こちらからもお礼の伝えようもないけれども。
今も創作を続けています。
そうしてこられたのは、あの時の思い出を支えにしてこられたからです。
本当にありがとうございました。
大賞の受賞は本当に嬉しいです。でも、実力としては、まだまだこれからです。
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過去のLIVE仲間とはもはや縁が切れたも同然となっているけれど、当時の彼女たちの職業はさまざまで、事務職でいたら想像もしてなかった体験談を耳にしたものです。
アニメーター、漫画家のアシスタント、追っかけファンから関係者となってファンクラブの取りまとめをやる役を受け持つようになったり、はたまた夜の彼女になって闇(病み)抱えたり、メジャーデビューしていた別のバンドマンと結婚したけど、じつはなんとビックリの托卵! そのうえ飲食業に転身させた強者とか、小説より奇なりを地で行く世界でもあり、ぶっちゃけかなり刺激的ではありました。
思い返せば、デジタルでデザインをする職場へ誘ってくれたのもLIVEで親しくなった友でした。
追っかけばかり(とはいえ、年に4回ほど地方を含めて行くていど)して結婚の気配もなかった娘だったので、親には叱責されてきました。あんなものに夢中になるなんて時間や金銭の無駄と思われてたみたいだけど、取り巻く人間関係は無意味ではありませんでした。
LIVEで知り合った彼女たちと、共に創作にも勤しんできました。
同人誌を作り、コミケに出て、そこで得た製本の知識や見知らぬ読者からの感想をもらう喜び、創作に真剣に打ち込む人たちとの交流は、人生において有意義であったと心底感じています。
あの経験があったから、今があるのは間違いありません。
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創作環境はアナログからデジタルへと変わって、近年となって進化が目覚ましいAIの登場によって、この先創作自体がどのように変化していくのか想像もつきません。
SNSでデビューのチャンスは増えても、一過性となる作品が多くなりました。
よほどの個性と目まぐるしく移り変わる時代を先駆し切り拓く能力、胆力がないと続かない、昔よりも確実に険しい職業になっていると感じています。
仕事として単価が下がり続けている現状は厳しく、どのジャンルでも専業で続けていける創作者はほんの一握りです。
あまり夢を見続けるのも、現実的ではないのかもしれませんね。
それでも。
創作活動を恥じることなく公言しているのでママ友から感想をいただいたり、Twitterで交流のある方とイベントでお会いしたり、エブリスタで知り合った作家さまと対面で創作談義をさせていただいたりと、幸いにも環境には家庭的にもすごぶる恵まれているので、御託並べてないで作品作りに邁進せねばと考えています。
とはいえ、気が乗らないとちょいちょいジャンル違いの創作に手を出して、物語だけに集中できない飽き性な性格もどうにかしないといけないと切実に反省してます。
老い先短いお年頃に入りつつあるので、あんまりのんびりしてるとアウトプットが追いつかないうちに召されちゃいそうな焦りもあります。
なによりも重要なのは、時間管理。これがうまくないとだめですね。
より努力を重ねて、読んでくださる方の感情を揺さぶり、記憶に残る作品をつむいでいきたいです。
長々とお読みいただき、ありがとうございました。
これからもがんばります!
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