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2024.02.13 最近、気になること、気をつけてること。
文章を書いていて、ふと気になったこと。
「難易度が高い」
これ、変じゃないですか?
難易度はいい。「難しい」と「易しい」。
それでもって、その度合いが高いわけじゃないですか。
どう考えても、変じゃろ?
並列に記載されてるのにさ、一体、「難」と「易」、どっちが高いんよ?
って思ったわけ。
で、調べてみたら、難易度が高いって言葉は完全に誤りだそうです。
Yahoo!の知恵袋にもそういう質問があって、じつは『受験産業が「偏差値」などとともに使い出した』のがはじまりで、いつのまにか世間に受け入れられてしてしまったそうです。
最近なぁ……アナウンサーですら平然と間違った使いかたしてるから、ものすんごく気になるんですよ。
「難易度が高いですよね!」って。
思わず、どっちが高いんやい!とツッコミ入れてしまうわー。
正確には「難度が高い」使いようによっては「難度が上がる」、もしくは「高難度」かな。
でも、反対語では、容易度が低い、とか、容易度が下がる、とかは言わんよなぁ……。言うとすれば、敷居が低い? うーん?
簡単にできるよ、という意味合いでは妙な言い方する必要もないから、「易しい」と言えばいいだけの話かもしれないね。
日本語はつねに変化する、とはいえ、キモチ悪い言葉だよなぁ、「難易度が高い」。
だって、完全に誤りだもん。
一度気にしたらとことん気になるので、ぜったいに使わないよう気をつけてます。
ホラーを書いていて、気をつけてること。
うーん、宗教観、というか、スピリチュアル感、っちゅーヤツかな。
どういうこと? と思うよね。
ホラーってね、死生観とかそこへ至る恐怖とか、彷彿とさせるグロテスク感とか、人間が抱く根本的な思想へと踏み込むので、登場人物の信じる教えに触れなくてはなりません。
コレがね、登場人物の信じる「宗教」ならばいいんだけど、ここへ執筆者の信じる宗教を感じさせると、途端に別のヤバさが伝わるようになる。
信心って、ある意味、狂気に感じることがある。
あ、別のもの(宗教以外も含む)を心の拠りどころにしている他人からすれば、ですよ。
だからこそ、人類の歴史で散々繰り返してきてる、「宗教が戦争の種になる」わけですし。
宗教に関わらず、信じるもの、熱狂するもの、というのは、少なからず人の心をかき乱すものです。
いわば執着して、「ふつう=平常状態」からズレた精神状態になるので、うまく肯定されなかったり面と向かって否定されたりすると、めっちゃくちゃ人が違ったように共有を勧めたり、食ってかかったりする。
他人からすれば、異常者に見えるんですね。
なんとなーく生きる指針として利用するくらいならいいんです。
信じているけど、他の方はお好きにどうぞ、という考えならば問題ないんですけど、周囲を巻き込もうとする目的で発信するようになると当然、周りから敬遠されるようになります。
いっしょにすんな、と言われるかもだけど、「推し活」もそう。
限度を超えると、人間は途端にヤバさが増すんです。
長年、熱狂する人たちを見てきたからよくわかる。しかも彼らね、仲間だと思ってたのに、ちょっと自分と違うとか気に食わない、という理由で、気がついたら排他思考で絶縁騒動にまで発展したりするから、おっかない。
ぶっちゃけ、楽しみや信じるものが面倒の種にしかなりません。
物事はあるていど、フラットに送受信できないと生活に支障が出ますからね。
熱狂のあまり、執着するものに自分を縛り付けていることに気づけない。
常日頃から、ずうぅーーーーーーーーーーっとそのことばっかり考えて、すんごいストレスを抱える行動で自分を追い込んでいるのに、信じてるあまりに離れることができないんですよ。
手を離してみ?
めっちゃ楽になるから。(されど、意外にそれまでの工程が難しい)
物語だと、熱狂&執着バリバリでトラブルに巻き込まれる話も多いですけどね、大抵はラストで執着を手放すか、手放せないとなれば、二度とそこから抜け出せないケースに至ります。
そこへきて、マジもんの宗教が絡んでくると、理解が追いつかなくなりがち。
そもそも娯楽を求めて物語を摂取してるのに、作家本人が個人的に信仰する宗教や究極の嗜好にまで、客は踏み込みたくないと思うのよね。
客が触れたいと思える(新たな扉が開ける)程度に留めておかないと、本気でドン引きされちゃう。
その世界観へと、いかに読者を頭からドボンと漬けさせるかは、執筆者の技量、腕の見せどころにかかってる。
ところが、作家側の経験として積み重ねてきた知識を、作中にこれ見よがしに押し出すと煙たがられてしまう。
なので、うまく作中に配置して隠し、好奇心を促すていどに留めておく。その世界観を信じさせるには、作者が作中の事柄を信じている必要は決してない。
むしろ、冷静に見通せているほうがうまくいくと思っています。
極力、押し出してしまわないよう、できるだけ悟られないよう、話のなかに馴染ませながら構築していけるようになりたいです。
物語を綴りながら、つねに努力しなくては、と感じます。
さまざまな事例を吸収し、解釈し、精緻に伝えて、自然に感じ取れるような表現方法に悩みつつ、日々、励んでいます。
なんでこういうことを書くかと言うと、後半戦に突入している「奇石婚」で行き詰まりそうになるからなんですよ……。
ぶっちゃけ、登場人物の宗教観やら感情やらにこっちが飲み込まれたら終わりですわよ……うまく行かないのが容易に想像できちゃうので。
きちんと最後まで制御できるかしら。がんばります。
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