2022.11.14 結婚相談所のお話 1. 婚活の経緯

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2022.11.14 結婚相談所のお話 1. 婚活の経緯

結婚相談所。 昔々ならば『見合い相手を探す場所』なんだろうけど、最近のアプリでは『気の合うデート相手を見つける』の意味合いに近いんだろう。 およそ30から20年前の体験談となるんだけど。 まずは、当時の入会の状況をちょっと(とは言ってもかなり長くなるけど)説明してみる。 今でこそ考えにくいんだけど、当時新卒で企業入社に縁故の枠があって、短大卒業後、父親のツテでM商事の子会社に入り込めたのだった。 その親会社であるM商事は、関連系列&子会社を含めて社員を大量に抱える福利厚生の一環として、結婚相談所も抱えていた。 20代前半に、なかば無理やり親に入会させられて、なんとなーく結婚相手を探しなさい状態になったのだけど、我々の世代はまだ女は男に仕えて家族を支えるみたいな風潮があり、なおかつ結婚したら趣味なんて(あきら)めろ、30歳過ぎたら行き遅れ、なんて雰囲気がヒシヒシと感じられる状況で、結婚したら好きなことはできないよ、と断言されたも同然だったのである。 べつにそんなとこ入らんでも、自分で探せばいーじゃん、と思うじゃん? でもね、我が家は正直なところ、ちょっと変わってたんよ。 我が母は、とにかくめっちゃ引っ越し魔だった。 趣味=部屋の模様替え→模様替えしても使いづらい→家自体が気に食わなくなる→家を買い替えて、引っ越し(ついでに不用品片付けにもなるし一石二鳥) ふんわり説明すると、こんな感じだったと思う。 ちなみに夫も一戸建て購入したけど、あのやり取りを毎回してたかと思うと、胆力スゲーなとは思う。(ぶっちゃけあの資金集めと義務感負わされる緊張感、二度とやりたくねー) 過去の引っ越し経歴は以下のとおり。 1、ちょうど高度成長期に最初の家を茅ヶ崎の奥に初めて一軒家を購入、8年くらいで引っ越し、 2、茅ヶ崎の駅近(現在はすごく発展して、いまそこに住んでいたらさぞかし便利だったと思う。現在はアパートが建っている)に移るが、線路側でうるさい&揺れる、隣二軒に問題アリで3年ほどで引っ越し、 3、横浜の相模鉄道沿線に転居、 自宅購入者は会社を辞められなくなるため、そのまま父は中国の北京に単身赴任、ここも居住期間3年ほど、 4、続いて、父親の帰国後に兵庫県西宮に転勤決定。 駅近の借家(野球選手の家だったらしい)に3年間住み、 5、少し場所の離れた古い一軒家に引っ越して一年間居住、 6、転勤期間の満了で横浜に戻る。 借家として貸し出していた家に戻る。 だが、住んでいた相手がめちゃくちゃな使い方をしていた(補強もしてない床の上にグランドピアノを置き、トイレのタイル目地を剥がし、ポスターを貼りまくって壁や天井が画鋲の穴だらけ、風呂場はカビだらけ等々)ので、新居だったのにボロボロ中古になった惨状に失望した母がすぐに引っ越しを決め、隣駅に引っ越すことを決定。 子ども心にも『アレはねぇな』と思うほど酷かったので、気の毒に思って風呂のカビ取りやトイレ掃除を手伝った記憶がある。 他人の家だからって庭木は枯れて荒れ放題、部屋はしたい放題に汚して知らん顔て出て行く無責任な人種がいることを知った。 この後、親の話では関係会社の社員同士だからとなあなあにしてあったのが、契約事項に現状復旧が追加され、転勤期間に自宅を会社系列間で貸し出しても経年劣化より酷い扱いが発覚した場合、損害賠償しなくてはならなくなったらしい。 この頃には社会人だったので、引っ越しても別に実生活自体は変わらず。 7、同地でようやく両親と弟は二十年以上暮らす。 そして、私が結婚して横浜の別地に転居、同地で別のアパート→新居購入で現在に至るので、結局自分としては10回引っ越しをしている(両親は老後となって、小さめの家を買い替えたので8回)。 ので、自分はもう絶対に! 二度と!! 引っ越ししたくない!!! と考えている。 ぶっちゃけ引っ越し荷物をまとめるどころか、面倒すぎて部屋の模様替えだってやりたくない。 とはいえ、二度目以降の引っ越しの理由が、子どものいじめ関係と周辺地域の治安不安だったので、仕方がないとも言えるかも。 そして、あまりにも家を変えるたびに転籍をしていたので、親は(今では絶対問うてはならない)部落を疑われたり、土地転がししてるとか言われた、と後に語っていた。 事実は全然関係ないので、過去の笑い話だけど。 で。 こんなふうに3年くらいで引っ越ししまくっていたため、私は同じ学校で卒業できたのは短大だけ、となった。 親が転勤族でもないのに、『流浪の民』という妙な経歴を持っているせいで、自分の根底には多大な影響を残している。 つまり、見知らぬ土地で知り合いや友人を作っても、その場所から離れると縁が切れる、という体験が、面倒があれば学校や職場、居住地を移動すればゼロからの出発になる、という価値観を形成していったのだった。 自分には、その場その場で出会って仲良くなった友人と、いつのまにか縁が切れての連続だったため、過去を思い返す友人が誰ひとりとしていない。 小学校の高学年から中二まではイジメの対象だったので、いい思い出もなく、記憶から消去されている期間がある。 親には『女は、生まれた家は居場所ではない、結婚した先で義両親が他界してから初めて自分の居場所ができる』と言われて育ち、私自身に目の障害があるために一人でいてはいけないと重々断じられてきた。 自分の世代は、女の子は結婚したら家に入るんだし、大学行かせるのは金がもったいない、という時代の雰囲気に浸かっていたので、売りにできる学歴も経歴も持たなかった。 子会社の事務職は、結婚までの腰掛けとして女性を入れていたので30歳を越えるとなんとなく居心地が悪くなる。(ダブルインカムなんて死語ができたのも、入社後十年を経った頃だったと思う) 事務職が合わないと思い立ち、貯めた給料を夜学に突っ込み、デザイン学校を卒業して印刷業界に入ったものの、女性はいわば使い捨ての労働力で最低賃金のままだった。 なので、実家にいないととても生活できない(税金引かれて、家にいくらか入れると諭吉5人も残らないなか貯金したりすると日々手弁当で外食もできない)し、結婚しないかぎりは自立もまず不可能だった。 過去の友人は皆無、そもそも高校と短大は女子校だったし、まあ弟がふたりいたから異性と対話できるスキルは持っていたものの、労働環境に同世代の異性は皆無、唯一追っかけてたバンドで知り合った友人関係が唯一の繫がりながら異性との知り合いはいなかったから、とにかく知り合うには外部に出るしかなかったのである。 結婚相手を見つけるのに、一番の見込みがありそうだったのが結婚相談所だった。(やっと前フリからここにたどり着けた……長かった) 続く。
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