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2023.06.14 読了したので考察(要約?)するよ
「ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則」、読了しました。
これはめちゃくちゃ良書でした。いやー、本当に読んでよかった。
これまで不明瞭だった物語の設計、登場人物の造形、感情の構築、葛藤→決断→行動→結果→次なる葛藤、伏線の貼りかた、オチ、プロット・サブプロット、ストーリークライマックス、三幕構成の説明、観客(読者)の作品に対する心構えを配慮し逆手に取って利用する、など内容が盛りだくさんでした。
一度も文章で作品を仕上げたことのない人には、理解が追いつかない内容かもしれないなと感じました。
おそらくですが、小説を書いていて、まだ己の文章力に疑問を持ったことがなく、「オレ最高!!!」と実力を疑わずにすらすら書けるひとにも必要ない内容とも言えます。
もともとは2000年になる前にアメリカで行われたセミナーの内容であり、映画の脚本をより上質にしあげる方法をまとめた一冊なので、小説を書く、という面では必要としない記述も多く含まれています。
その必要不必要、出来不出来を見極めるにも、何作か作品をしあげていないと判断が難しいと思われます。
この本の前提は、映画の脚本の書きかた、出来上がった脚本のブラッシュアップです。
120分の映画を分数で分割して、展開を構築するにはどのように物語を進めて、メインプロット(主となる主人公の物語)と同時進行するサブプロット(主の物語を対比する物語や、補完する物語)をどう設計して構築すれば、(映画の脚本なので)観客を惹きつけて最後まで飽きさせずに見せ、面白かったと言わせられるか、を突き詰めています。
学問として、芸術(音楽や絵画)は基礎の方法を教わってからはじめるにもかかわらず、文章については国語という教科がありながら、どのように物語を作り上げて書くか、という方法を学びたいと望んでも、まず機会がない。
本来、物語を生み出すには才能ではなく、形式さえ覚えれば誰でも書けるものなのに、それを教えないのはなぜなのか、という問いかけから始まっています。
全体を読まないと伝わらないことは多々ありまして、正直にいえばどこまで書いて良いのか迷います。
重要なことだけ、すこし抜粋してみようと思います。
まず、なぜ人間は物語を必要とするか。
『人間は安全なところに居続けると飽きて、退屈する』
↑ ↑ ↑ !!!ココ、最重要!!! ↑ ↑ ↑
いいですか? 一番重要ですよ???
人間は、『飽きる』と『退屈』するんです。
現代において、危険なことはふつうの生活を送っているかぎりは生死を左右するような選択に迫られることはまずない。
安全であるから、刺激を求める。
刺激の求めかたにはさまざまだが、そのひとつが物語である。
しかし、人間は飽きるんです。
退屈な話には興味を無くすのです。
なぜ退屈するか、飽きるから。
なぜ飽きるか。
同じレベルの葛藤が延々と続き、大した決断にも迫られず、安直な選択で悩まない主人公がダラダラと日々を過ごすから、です。
通常の会話でも、意味のない羅列を聞いていたら興味をなくします。
会話の上手い人、下手な人の違いもそうです。
興味のある話題を投げかける。なになに? と思わせる。
物語というのは、登場人物がなにかしらの問題を起こすか、なにかしらの問題に巻き込まれるかして、それまでの自分の生活が続けられない状況に陥ることで展開が開始します。
そして、そのときに登場人物がなにかしらの選択をすることで、先の段階へと話が進みます。
物語は、登場人物がなにかをすることで展開します。
登場人物が行動をしないと話が進みません。
行動とは、
・なにかの葛藤に対し、
・いくつかの選択肢が生じ、
・そのときに最適と思われるか、ベストではないけれどいくつかのなかでは一番まし、というものを登場人物が考えて、
・決断を下し、
・実際にやってみること、です。
選択した行動で、次の展開が起こります。
この後、選択した行動に対し、周囲からのリアクションが望んだこと(プラス)であれ、望まなかった結果になる(マイナス)にしても登場人物の選択で、さらなる葛藤が起こるようにしなくてはなりません。
・人間(観客)は飽きるから、同じレベルの葛藤の展開では満足しない。
この葛藤の結果、次の展開ではプラスだった場合はマイナスの展開に、マイナスの展開だったらプラスに、と上下の振り幅を設計しなくてはいけません。
ここで、中間の選択をさせてはいけない。なぜなら、物語に共感して次の展開に対して予測を立て、ともに立ち向かおうとする心持ちにある観客(読者)の期待に応えねばならないからです。
観客の心理は、登場人物が同じ程度以下の決断をし続けると、「それさっきもやったじゃん、また同じ行動をとるのかよ、こっちはもう予測できてるんだよ、結果は見えてるじゃん」と感じます。
観客はつねに共感した登場人物の決断と次なる行動の予測をしながら、物語と対峙していることを忘れてはいけません。
いつも「なんだよ、いつも予測どおりに話が進むじゃん」と感じても、「それでいいんだよ」ですむのは、それがお約束とされている世界観にある話(勧善懲悪を前提とした時代劇とか御伽話)だけです。
人間は、つねに飽きるようにできているから、です。
葛藤のレベルも常に同じ振り幅ではいけません。
ひとつの状況で、登場人物が感じる葛藤は前のシーンよりも大きくなければいけないし、選択して行動する結果も前のシーンよりも大きくなければ飽きられます。
つまり、登場人物の葛藤はすこしずつ難題に向かうシチュエーションへと変化し、その葛藤を解消するための決断と行動はプラスとマイナスを行ったりきたりするうちに、事態はどんどん大きく膨らんでとりかえしのつかないことになるようにしなくてはなりません。
・登場人物を取り巻く環境は厳しく、ぜったいに引き返すことはできず、悩んだ挙句にその時点で取れる行動の決断を下さなければ先に進めない。
・葛藤して選択肢、行動を起こして問題を解決したはずなのに、じつはそれは解決にならず、次に起こる問題はまえのものよりも深刻になる。
このとき、登場人物のまわりに取り巻く問題が、同じレベルの葛藤しか起こさず、選択して行動する決断も軽いか同程度で、リアクションも大したことのない場面が延々と続くとか、登場人物が、のらりくらりとどうでもいい選択を続けているような話は、読まされているほうは一向につまらない、ということになります。
この前提にハリウッド式の脚本で言われる、三幕構成の話が入ります。
・物語は二幕構成では安直すぎてしまう。
たとえば——
勇者は魔王を追い詰める。
なんなくチート技で無事やっつけた。終わり。
↓
勇者は魔王を追い詰めたが、思わぬ反撃を喰らった。
どうにもならないほどの力の差があって倒せない。
だが、それまでの戦いで弱点を見抜き、僅差で倒した。終わり。
当然、三幕構成だけでなく四幕構成やそれ以上も存在する。
ただし、三幕構成のクライマックスがプラスであれマイナスの方向へ進む展開であれ、その前の幕の終わりはその反対である必要がある。(その前の幕はどちらでもかまわない)
三幕構成が基本だと思っていたので、このくだりは意外でした。
同じフィルムアート社から出ている「映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術」を先に読んでいたんですけど、これだけではわからなかったことがこの本には説明してあって、こちらのほうが詳細でした。
うん、まっっったく理解できてなかったね。
だからあの長編、うまく設計できてなかったんだなぁ……。(恥)
もし書き直すとしたら、全体の構築から見直さなくちゃいけないと言うのがよく理解できました。
映画になる物語の展開のバリエーションは、設計の段階でいくつも(それこそ全体で三桁レベルも!)考え出さなければかいけない。
思いつかなくてもないところから考えだしてひねり出し、突然、それらが点から線につながってひとつの話になる時がくる。けれど、そこからさらに前後の矛盾を突き詰めて、その自ら作り出した世界観に安直な破綻が出ないようにしないといけない。
・物語の終わりのクライマックスは、その話のなかで主人公にとって最大の悩みをもたらす葛藤であり、解決するにも最大の決断をさせるものごとでなくてはならない。
・そのためには最大の葛藤をもたらす敵の存在もきちんと仕上げなくてはならない。(この「敵」とは人物だけにかぎらず、障害、障壁など、主人公が対峙しなくてはならない問題点をいう)
共感を得るための感情を書く、登場人物の造形などもさまざまなことが記載されていますが、このあたりはサラッと書けるものではなさそうなので、どうぞ本書を読んでみてくださいね。
物語の途中がダレるのは、主人公が人生を揺るがす問題に対し葛藤を抱え、悩み抜かせて、そこで最善か、もしくはあり得る選択肢のなかで一番マシなものを決断させ、行動を起こさせてないからです。
話の展開が進んでおらず、状況の説明に終始しているならば、スッパリ削除して、別のシーンとまとめることで解消したり、対比させる別の話を挟んだり等物語の設計を見直す必要があります。
ぶっちゃけ内容が濃すぎて、一言では語り尽くせないんですよね。
とにかく必要なもの、不必要なものを見定めて、うまく本筋の伏線を張り、無駄なエピソードは削り、力強く展開をさせる取捨選択を怠らないようにしなくてはならない、のだそうです。
読者を飽きさせないように、読者の想定を超え、驚きを与える最高のクライマックスを作者が用意するために。
長くなってきたので、最後にひとつだけ。
このクライマックスの驚きは、自分が作り上げた「その世界観」に相応の、破綻のない納得のいくものでなくてはなりません。
よくある間違いがあります。
唐突に主人公やその周りの重要な人物が無駄に死ぬ、とか、まったく脈絡もなく偶然が起こって緊迫の瞬間が解決してしまう、など——、吃驚、もしくは拍子抜け、とても納得ができないオチで終わる物語のなんと多いことか……。
人生において、偶然が物事を解決しないことを人間は嫌と言うほど思い知らされているので、絶対にやってはいけない。
読者は即座に登場人物に対して共感を失い、作品に興味を無くして見放すからです。
努力が水の泡となり、駄作となる瞬間です。(唯一、その世界観が許されるのは、すべてが偶然で話が展開して進み、偶然で決着する物語だけです)
すべては最高に緊迫したクライマックスのときに、主人公がくだす最大の決断とはなにか、真に手に入れたい人生の選択肢はなにか、それを作者が考え尽くしていないといけない。
・読者はつねに作家の意図の上をいく、先読みをしようとしている。
そこで思いつくかぎりのうえをいく、最高の結末を用意できるかどうか。
読者を満足させられるかどうかは、作家がどれだけ考え尽くし、葛藤に対する人生の答えを用意できるか努力を重ね続ける、そこにかかっているのです。
・物語とは、作家が自身の人生をもとに、道しるべを示すものである。
物語に出てくる登場人物は、作家が考える人生の方向性を表現するものです。
それを読者が心から楽しめるものに仕上げられるかどうか。仕上がっているかどうか。
作品を最後まで共感し、同化して得た「ストーリーの脊柱(作家の伝えたいこと)」に満足してもらえたなら、その作品は成功と言えるでしょう。
一部しか紹介できていないけれど、こんな感じでしょうか。
あとね、この本、翻訳者のかたの文章力が半端なくスゲェです。
漢字の開きかたが絶妙。小説書いている作家さんにとって、文章のお手本になると思う。
内容を要約して、ノートに書きつけていくのが難しいくらい。
心底、わかりやすく記述しようとして、めちゃくちゃ配慮されてるのが伝わってくる。
フィルムアート社の翻訳本って、かなりクセのある翻訳(マジでわけわからん翻訳日本語だったり、翻訳してる単語が本人も分かってねーだろ、と思うような造語が出てくる)だったり、翻訳そのものの硬い文章そのままだったりして翻訳者によっては読みながら頭抱えることもあるんだけど、この本は500ページを超える内容なのに、文章は極めて平易で読みやすいものになってます。
とはいえ、書かれている内容を自分のものとして理解するのに脳ミソをフル回転させないといけないんだけどね。
もうね、今まで自分が気がつかずにやっていたことだらけだったと気づかされました。
特に長編。
自分の作品を思い返してみると、短編や中編はダレるほどに人物も多くないし、共感の情報を内容に詰めこまなくてすむので、なんとなくうまくいってるケースが多いんですよね。
問題点が理解できたので、長編「ナイトステップ」を最初から設計の見直しをしようかなあ。たぶん間違いなく現状よりはうまく仕上げられる自信がある、と思う。(なぜか急にトーンダウンする)
けど、すごく時間かかりそう……な予感。
ひとまず今書きたいものを仕上げてから……なんて言ってたら、いつまでたっても手をつけられないんだろうな。^^;
ここを読むひとはほとんどいない(ページビューが数えるほどな)のですけども、なんか気持ちが盛り上がってしまっているので語りかけちゃいます。
物語をつむぐ方々!!!
おたがいめげずに、がんばって努力を重ねてまいりましょうね!!!!!
(*´▽`*)ノ〃
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