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一.
今はもう、淡々とした蟻の行進の如き、黒い行列。
すすり泣くような声は既に無い。
それは二日前、突然の訃報を聞かされ、病院で彼の遺体を確認した時が佳境であっただろう。
翌日の通夜では、その嗚咽は遠方から飛んできた親族や、親しい友人、彼の経営するレストランの従業員たちへと移り、棺桶を火葬炉へと収めようとしている本日現在においては、皆、一通りの儀式と感情・思考の巡りを終え、うつむき、あるいはややぼんやりと、最後列では互いに耳打つ小声なども漏らしながら、ただ目の前の作業に付き従っていた。
彼は若い頃から世界中の高級な店やホテル厨房を回り、各所で多大なる信頼と称賛を浴びてきた、伝説のフレンチ・シェフだった。
某国においては国王御用達、しかしそれすらも彼のスケジュール次第では二年待ちになることもあったという。
彼は香辛料、とりわけハーブへの造詣が非常に深く、世界中のありとあらゆる香草にあまねく精通し、納得の行く香りを生み出すためにオリジナル品種のハーブをも自ら生み出すなどしていたため、いつの頃からか『ディユ・ディ・ゼルブ(ハーブの神)』と呼ばれるようになっていた。
齢七十五にしてなお第一線の現役、六人の子供に十九人の孫、経営するレストランを始めとして、世界各地に多くの門下生を抱えていた彼だったが、多忙が原因か、いや、多忙はむしろ彼にとっては日常的な清涼剤、ならば元々持病でも抱えていたのを、周囲に隠していたのか、自分でも気付かずにいたのか。
来週開催される国際サミットの晩餐を試作している最中、彼はふいに心臓を押さえて床へと倒れ込んだ。
間際、意識を失うまいと必死に調理台に身を預けた彼だったが、数十のガラスの小瓶を並べたボードに肘が触れ、ボードが傾き、跳ね上がり、小瓶が宙を舞い、仰向けに虚空を見つめる彼の全身を、小瓶からこぼれ出たハーブが香ばしく包み込んだ。
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