猫のノミ取り屋

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 大企業優遇税制を敷き、中小企業を切り捨てる政策の弊害を受け、勤め先が倒産し、已む無く産業廃棄物仕分け作業員に成り下がった照馬。給料が減って家計が苦しくなると、妻の知美は幼稚園児のバス送迎時、バスを待っている時間が殊に悩みの種となった。それと言うのが徒でさえママ友たちとの人間関係に苦しんでいるのに劣等感を感じるからで中でもボスママの夏美に会うのが嫌になった。  先日もバスを待っている間、夏美に息子の自慢話を聞かされ、5歳でバイオリンが弾けるだけでも凄いのにコンクールで入賞されるなんて本当に素晴らしいお坊ちゃまでございますねなぞと遜ってお世辞を言わざるを得なくなった。別れてから、バイオリン習わせてもらえるガキなんて金持ちのボンボンだけよ、そりゃ小さい頃からやってりゃあ私だって弾けたわと思うのだった。  今日もバスを待っている間、夏美の代わりにバスを待っていた夏美の母の夏子に、歳だからって諦めてはダメね、女は50からよと言われ、そうでございますね、奥様は肌が衰えるどころか一段と輝いてらっしゃいますわと一層遜ってお世辞を言わざるを得なくなった。別れてから、そりゃあ金持ちなら金に飽かして美容品やらヒアルロン酸やら鮫肝油やら色んなもん買って手入れしたりスポーツジムに通ったり出来るからそれなりに美しさを保てなくもないけど、一般人はそうはいかないし、不老不死じゃあるまいし、いつまでも綺麗って訳にはいかないわよと思うのだった。  そのことを照馬に話すと、そうだよな、男の立場から言わせてもらえれば、付け上がるんじゃねえ!お前は既に縦に皺よる唐笠ばばあ、横に皺よる提灯ばばあ、縦横無尽に縮緬ばばあの立派な糞ばばあに違いねえ!とまあ、そんなところだがねと言うので女として反感を持ちつつも確かにそうよと賛同した。 「結婚するのが当たり前だった曩時は兎も角、今時よ、結婚して子供を持てるだけでも大したことなんだ。だけど家みたいに子供を育てるだけで汲々としてる家庭が多くてさ。だから金持ちは特別でさ、金力に物を言わして何のかのとほざかれても羨ましがるんじゃないぜ」  結局それが言いたかったのかと知美は何だか情けなくなった。  ところが、幼稚園の運動会のかけっこで我が息子の一馬が夏美の息子を負かして1位になったので、その時ばかりは優越感に浸った。しかし、爾来、夏美に会う度に夏美の機嫌を損ねないように以前より気を使わねばならなくなり、益々バス待ちが苦痛になるのだった。  自宅で寛いでいる時に苦情を漏らす知美に照馬は言った。流石は俺の一粒種だ。馬と名がつくだけのことはある。何も習わなくても一流のサラブレッドだ。偉いもんだな、知美も何も化粧しなくても装飾品をつけなくてもボスママより綺麗だからボスママが機嫌悪くなるのは当然だよと。  ほんとにそう思ってるのか考えもんだ。矢張り羨ましがらせないように言ってるだけなんじゃないかと知美は思うのだった。  そして自分の膝の上で香箱座りする猫を撫でながらアナロジカルに思った。  夏美が高禄の武家の奥方なら差し詰め私は大名取り潰しのとばっちりを食って浪人に成り下がって猫のノミ取り屋という賤業に就くのを余儀なくされた夫の妻だわ・・・  その内、膝が痒くなって来て膝を掻いていると、照馬は言った。 「ブラッシングが足りなかったようだな。貸してみい」  知美が言われた通りにすると、照馬はノミ取り櫛で猫をブラッシングして櫛に付いたノミを粘着テープにくっ付けて行った。  江戸時代のそれとは違うとは言え、手慣れたもので、その様子を見ながらやっぱり猫のノミ取り屋だわと知美はシニカルに思うのだった。
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