Live like a Dance

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Live like a Dance

「あの、大丈夫、ですか…?」 「え…?」 学校からの帰り道。 バイト先へと急ぐいつもの道に見えたいつもとは違う光景に、ピタッと足を止めてしまった。 街づくりの一環とやらで、数年前から、街中にはおしゃれなベンチの置かれた通りが増えた。 そのベンチに高齢の夫婦や小さな子どもを連れたお母さん、コーヒーのカップを持っておしゃべりを楽しむ女性たちが座っているのはよくあることで、わざわざ様子を伺うことはない。 それなのに、思わずその人に声をかけてしまったのは。 黒い杖がベンチに立て掛けられていたから。重たそうな黒いリュックが置かれていたから。もちろんそれもあるけれど。何よりもそこに座るその人が、今まで見てきた誰よりも美しかったから。 え?と、視線を上げたその人を見て、私は息を呑んだ。こんなに綺麗な男の人がいるんだ…。 「えっと、あの、何かお手伝いできることがあったら…」 「あ、ありがとう。でも大丈夫。スーパーで買いすぎちゃった」 その人は横に置いたリュックをぽんぽんと叩くと、恥ずかしそうにはにかんだ。 「ちょっと休憩してただけやから」 東京の人じゃないのかな?関西弁みたいだけど、なんだか柔らかくて耳心地がいい。 「学校帰り?」 「あ、はい!今からバイト行くとこで」 「そうなんや。忙しいのに、ありがとう」 「え、あ、いえ。全然…」 ぶわっと、自分の顔が赤く染まったのが分かった。 学校にもかっこいいクラスメイトやみんなが憧れるバスケ部の先輩なんかはいるけれど。こんなにも綺麗で、可憐で、穏やかな笑みを見せる人はいなかった。 「あ、あの。私すぐそこのケーキ屋さんでバイトしてて。あの、イートインスペースもあるから、もしよかったら、うちのお店で休憩しませんか…っ?」 まさか自分が、初対面の人にこんなことを口走ってしまうなんて。熱に浮かされていたと言うほかない。 「…あ、すみません、急にこんな」 「行ってもいいの?」 「…え…?」 「ケーキ屋さん。行きたいな」 * * 「お待たせしました」 「わ、おいしそう」 「あ、はい!とってもおいしいです。あの、生クリーム、甘さ控えめで」 「そうなんや。ありがとう。いただきます」 その人が注文したのは温かい紅茶といちごのショートケーキ。ショートケーキはこのお店の一番人気商品だ。 いただきます、と手を合わせたその人に「ごゆっくりどうぞ」と声をかけ、私はレジに戻った。 レジに戻って他のお客さんの接客をしていても、ついチラチラとその人に視線を送ってしまう。 小さな口にケーキを運んではニコニコと嬉しそうにするその人は、なんだか無邪気な子どもみたいに可愛くて。大人の男性に可愛いなんて失礼かもしれないけど、どんな言葉よりも可愛いがぴったり似合う人だと思った。 年齢ってどれくらいなんだろう。30代後半?もしかしたら40代?でも29歳と言われれば納得してしまうような若々しさもある。 とにかく年齢不詳、なんだけど。目尻に柔らかく刻まれた皺が、これまで幸せな人生を歩み、たくさん笑って年を重ねてきたんだな、ということを感じさせた。 ことん、とその人がソーサーにカップを置くのが見えて。私の足は吸い寄せられるようにその人のもとへ向かっていた。 「ケーキ、いかかでしたか?」 「とってもおいしかった。ありがとう」 「良かったです。店長も喜びます」 その人はにこりと笑顔を見せたあと、パンパンに膨れたリュックを背負い、杖を手に取った。その杖にはなんとも可愛らしい雪だるまのキーホルダーがぶら下がっている。 「大丈夫ですか?荷物重そうだけど…」 「うん。大丈夫。ひとりのときはあんまり買いすぎないようにしてるんやけど…」 ひとりのときは、ということは。誰かと一緒に買い物をすることがあるということで。その誰かって…。 明らかに特別扱いしているとは思いながらも、少しでもその人の近くにいたくて。普段はこんなことしないのにその人より先に入り口へ向かって店のドアを開けた。 「ありがとう。バイトはよく入ってるの?」 「あ、はい。週5くらいで、土日も入ってます」 「そうなんや。偉いねぇ」 「いえ、全然。自分の、やりたいことのためなので」 そこまで言ってハッとする。自分でも初対面の人に何を言ってるんだと思うのに、「やりたいこと?」と首を傾げるその人を前にすると自然と口が動いてしまって。 「はい。あの、ダンスをやりたくて」 私がそう答えると、「ダンス?」とその人の目がキラキラと輝いた。その人の瞳はとても綺麗な色をしていた。色素の薄い茶色。まるでさっき飲んでいた紅茶みたいな色だ。 「はい。あの、この近くにすごい人気のダンススクールがあって。やっと体験の予約が取れたんです」 「そうなんや」 「もう絶対、そこに通おうって決めてて。…でも、うち、母子家庭だからそんなにお金の余裕もないし…。レッスン代とかは自分で出したくて」 「…そっか。それでバイト頑張ってるんやね」 眉を下げて優しくほほ笑むその人に、胸がきゅん、と甘い音を立てる。 「また来てもいい?」 「え、あ、はい…っ。ぜひいらしてください!」 「ありがとう」とひらひらと左手を振りながら、その人は店を去っていった。左手の薬指に嵌められた銀色の指輪が輝いている。…結婚してるんだ。そりゃそうだよね、あんなに素敵な人だもん。 「奥さん、どんな人なんだろう…」 私の小さなつぶやきは、雲ひとつない青空に溶けていく。チクッとした失恋の痛みには気付かないふりをして、とぼとぼとバイトに戻った。   * * 私がもう一度、あの美しい男性に会えたのは。バイト先のケーキ屋でもあのベンチでもなく、商店街の中にある雑貨屋さんだった。 ダンスの体験レッスンを週末に控え、完全に形から入るタイプの私はレッスン用の服と靴を買いに行っていた。そしてその帰り道。ずっと前からあるのは知っていたけど、入ったことがなかった雑貨屋さんになんとなく足を踏み入れると、そこにあの人がいた。 「いらっしゃいませー」と、明るい女性の声が迎えてくれた店内は、所狭しと商品が並べられていて、とてもカラフルだった。 その人はお店の隅のほうにいて、真剣な顔で何やら商品を選んでいる。 「こんにちは」 控えめに声をかけると、その人はぴくっと肩を揺らしてこちらを振り返った。そして私に気付くとすぐに「あ、ケーキ屋さん」と、可憐な笑顔を見せてくれた。 覚えててくれた…。それだけでドキドキと胸が高鳴ってしまう。 「お買い物、ですか?」 「あ、うん」 その人が手にしていたのは、大きな赤色のお弁当箱。 なんだか赤というのが意外だった。その人を色で表すなら間違いなく「白」だと思ったから。 もしかしたら奥さんの?と思ったけど、女性が持つにしては大きすぎる気もするし…。「赤が好きなんですか?」と聞いたのは、ほとんど無意識だったと思う。 するとその人は、「えっ?」とびっくりしたように大きな目を見開き、じわじわと頬を赤く染めた。 やっぱり、可愛い。もしかしたら私のお母さんとたいして年齢は変わらないのかもしれないのに。それなのに、まるで初めての恋をしている乙女のような、そんな可愛らしさがある。 「えっと、赤は、(はる)が…、」 もごもごと小さな声で言いながら、その人はとても優しい顔で左手の薬指に嵌められた指輪を見つめた。 緩やかにカーブを描いてるその指輪はシンプルだけどとてもおしゃれで。男性とは思えないほどに細くて長い綺麗な指にとてもよく似合っていた。 決して悲しいんじゃないのに。なぜか私はどうしようもなく泣きたくなった。その人が、まるでそこに大好きな愛する人がいるかのような、そんな顔をするから。大きな大きな幸せに包まれて、胸がいっぱいで。だから泣きたくなった。 そしてその人は今、少し高めの甘い声で「ハルが」と言った。きっとそれが愛する人の名前なんだろう。 「(ゆき)ちゃん。いつのまにこんな可愛い子と知り合ったの?」 なんとも言えない甘酸っぱい空気を破ったのは、店員さんのいたずらっ子のような声だった。 “ユキちゃん”と呼ばれたその人は、照れたように笑って「ケーキ屋さんでバイトしてる子なんです。この前とっても親切にしてもらって」と答えた。 そしてユキさんは「これください」と手に持っていた赤いお弁当箱を差し出した。 何も買わないのはなんだか申し訳なかったけど、「また来ます!」と店員さんに伝えると、彼女もまた「私もケーキ買いに行くね」と、あたたかい笑顔を見せてくれた。 店員さんに見送られ、ユキさんと一緒にお店をあとにする。 「今日はこれからバイト?」 「あ、はい!」 「ちょうど良かった。今からケーキ買いに行こうと思ってて」 「え、ほんとですか!?」 「うん。今日はお持ち帰りで」 ユキさんはふわりと笑ってそう言った。 そして私は、今日はお店で食べていかないのか…と少しの寂しさを感じながら、きっとユキさんは一番人気のいちごのショートケーキをふたつ買って、そして家に帰ってハルさんとふたりで食べるんだろうなと、そう確信した。
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