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紺色の空に、ウェディングベールのような薄い雲のかかった三日月がくっきりと浮かぶ。そんな夜。
真っ白な三角屋根の建物は壁の半分ほどが緑に覆われていて、クラシカルだけどどこか可愛らしさも感じさせた。
「雪。扉開けるね」
繋いでいた手を一度離し、ガラス張りの扉をゆっくりと開ける。
「…きれい…」
吐息混じりに雪がつぶやいた。
ふわりと香るお花の匂い。アーチ型の高い天井。まっすぐに伸びた大理石のバージンロードには、温かいオレンジ色のキャンドルの光が美しく映し出されている。
「雪」
もう一度手を繋ごうと右手を差し出せば、その手に雪の左手が重なった。
かつん、かつん、と雪の杖の音が響く。まるで真っ白なウェディングシューズを履いた花嫁が歩いているみたい。だけど今、雪が履いているのは、雪のために作られたあの茶色い靴だ。
長い長いバージンロードの先には厳かな空気に満ちた祭壇があって、その真ん中には白く輝く大きな十字架がそびえていた。その十字架の両脇にある大きな窓はステンドグラスが彩られ、ぼんやりとした月明かりが差し込んでいる。
「…きれい…」
十字架を見上げて、雪がもう一度つぶやいた。
そんな雪の横顔を見つめる。もう何年も、ずっと隣で見てきているのに。何度見ても息を呑むほどに雪は綺麗だ。
「雪。足元気をつけてね」
「うん。ありがとう」
祭壇への階段をかつん、かつんと2段上がり、ただ静かに見つめ合う。神父さんも列席者もいない。パイプオルガンの音も鳴らない。時計の音も、風の音も聞こえない。そんな静寂の世界で挙げるふたりきりの結婚式。
「雪。ちょっと待ってて」
祭壇の前に雪を残し、一度階段を降りる。そして列席者が座る椅子にこっそり隠しておいたあるものを手に取った。
「春、これ…」
「綺麗でしょ?」
手にしたのは雪のためにお花屋さんで作ってもらったウェディングブーケ。真っ白な薔薇だけを集めた丸いドーム型のブーケは清楚で可憐で。雪にぴったりだと思った。
かつてのヨーロッパでは、プロポーズをする男性が自分で花を摘み、花束を作って愛する女性へプレゼントしたそうだ。ウェディングブーケは女性が男性にプロポーズされた証。そして女性がそのブーケの中から1輪を選び出し、男性の胸元へ挿してあげるのがYESの答えだった。
結婚式ではこれを由来とした演出も多くされているようだけど、きっと雪は知らないだろうな。
「…春?」
結婚式で行われる様々な儀式にどんな意味があるのかなんて、そんなこと雪は知らなくていい。ただ俺が、どれだけ雪を好きでいるか。どれだけ雪を愛しているか。それだけを知っていてくれればいい。
「雪。俺は雪のことが大好きです。どんなに言葉にしても足りないくらい、雪のことを心から愛しています。これから先、どんなことがあっても。嬉しいときも、悲しいときも。雪の隣で、雪のことを一生大切に守りたい。俺の一生は、雪がいないと成り立たないから」
「春…」
「雪のことを必ず幸せにします。10年先も、20年先も。これからの人生を、ずっと、ずっと、俺と一緒にいてください」
これが雪への誓いの言葉。
雪の長い睫毛がばさりと揺れる。
なんて美しい光景だろう。
ぽたぽたと涙をこぼす雪の瞳は、まるで神様からの贈り物のようだ。
「…はい。ずっと、ずっと、一緒にいてください」
雪の左手がまっすぐにこちらに伸びてきて、そしてそのまま、俺の首筋に細い腕が回った。
「春、大好き。春のことが、大好き」
雪の体を抱き止めて、そのまますっと膝を曲げる。
「雪。ぎゅってしててね」
「え、わ…っ」
軽々と雪の体が浮いて、驚いた雪の両腕がぎゅうっと首に巻きついた。
「なに…?」
突然お姫様抱っこをされて恥ずかしいのか、雪の頬がみるみる赤く染まっていく。雪を抱っこしたまま、祭壇の前の階段に腰を下ろした。
神様なんて信じていなかった。それどころか、神がいるなら、どうしてあなたは雪にこんな運命を与えたんだ。どうして雪にこんな世界を生きさせたんだ。どうせ助けてくれないくせに…と、神様を恨んでさえいた。
だけど今、会ったこともない、どこにいるかも分からない神様に、こうして雪への愛を誓い、雪との永遠を願っている。
「雪。左手、出して?」
差し出された雪の左手。その細い薬指に、ふたりで選んだ結婚指輪を嵌める。
この指輪はうちの両親が嵌めているものとほぼ同じデザインだ。指輪を決める前、雪に「美咲さんと誠司さんとお揃いにしたいな…」と言われ、ふたりで実家に帰って両親の指輪を借りてお店に持って行った。
俺は両親がどんな指輪をしているのかなんて全然知らなかったけど。雪は前々から素敵なデザインだなぁと思っていたみたいで。それを聞いたお母さんは子どもみたいにぼろぼろ泣いて喜んで、お父さんは「雪は本当に可愛いなぁ」と雪の髪を両手でくしゃくしゃと撫でた。
とてもシンプルなプラチナリングだけど、少しカーブがかかったデザインで。これはふたりを結ぶリボンをイメージしているそうだ。
両親と違うところは、内側に俺と雪の名前が掘られていること。そしてお互いの誕生石が埋め込まれていること。
雪の指輪には俺の誕生石のダイヤモンド。そして俺の指輪には、深く神秘的な青紫色をした雪の誕生石のタンザナイト。
「俺にも嵌めてくれる?」
「嵌めて、いいの…?」
「うん。雪に嵌めてほしい」
雪の手が小さく震えている。雪は一度両手をぎゅっと握りしめ、そしてまだ震えたままの手で俺の左手を取った。
雪のよりも少し大きめの指輪。それがゆっくりと薬指に嵌められていく。
「春も、ぴったりやね」
雪の目がふわりと柔らかく弧を描いた。それはまるで今日の夜空に浮かぶ輝く三日月のように。
美しく月の浮かぶ夜も。キラキラ星が輝く夜も。何も見えない真っ暗な夜も。何度も何度も夜がやってきては同じ数だけ朝が来る。
この社会はまだ、俺と雪のことを決して家族とは認めてくれない。
だけどこの夜が明けたら、俺たちふたりは家族になる。
同性同士で恋に落ちて、愛し合って、家族になることを誓った。自分なんかにこの社会を変える力があるなんて思わないけれど。それでも雪とふたりで選んだこの道を、恥じることなく、憂うことなく、胸を張って生きていく。
いつか必ず、男性同士であっても、女性同士であっても。性的マイノリティと呼ばれる人々も、そうでない人々も。この世界を生きる誰もが、人生を共にしたい愛する人と家族になれる。そんな朝が来ることを信じて。
朝がまた来る
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クロニクル2 完結となります。
読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。
このあとおまけのお話を公開する予定ですので、もし良ければそちらもお付き合いいただけると嬉しいです。(すこし未来のお話です)
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