愛を知るとき

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愛を知るとき

22歳の誕生日から、1年。 俺と雪が家族になるまで、あと1年。 * * 左手の薬指に嵌めた婚約指輪を、右手の人差し指でなでるように触れる。 (ゆき)に指輪を贈ってから、これはよく見る光景だ。初めは今まで指輪なんて嵌めていなかったから違和感があるのかな?まさかサイズ合ってない?とハラハラもしたけど、どうやら違うらしい。 「雪。指輪サイズ合ってない?」と聞いたとき、雪はどうして?と言いたげに首を傾げてこちらを見つめてきた。水分を多く含んだ、キラキラと輝く紅茶色の瞳。 「よく指輪触ってるから。なんか変な感じなのかなって」 すると雪は、頬をほわっと赤く染めて、視線をきょろきょろと泳がせ始めた。 「…安心するの」 「安心?」 「ここにいつも、(はる)がいてくれるみたいで」 ふにゃりと目尻を下げて、愛おしそうに指輪をなでる雪。可愛い。可愛いけど…。 「実物の俺が目の前にいるでしょ?指輪じゃなくて俺をなでてよ」 自分が贈った指輪にまで嫉妬するなんてどうかしてる。そう思うけど、これはもう仕方がない。雪のことはいつだって、どんなときだって、俺が独り占めしたいんだ。 「俺がそばにいないときはいいけどさ、一緒にいるときは指輪ばっかり触ってちゃだめ。ね?分かった?」 子どものように駄々をこねれば「分かった」と雪は笑ったけど、時すでに遅し。指輪をなでるのはすっかり雪のクセになってしまった。 そして今この瞬間も、雪は俺の隣でなでなでと指輪に触れている。そんな雪の右手をとり、自分の指を絡めた。 「雪はさ、結婚指輪、どんなのがいい?」 「結婚指輪…?」 「うん。そろそろどんなのにするか決めたいなって」 雪がプロポーズを受け入れてくれたあと、本当はすぐにでもパートナーシップの申請をしようと思っていた。だけど雪に大学を卒業するまで待ってほしいと言われてしまって、まだおあずけ状態だった。俺は学生結婚も全然ありだったんだけど。 そんなわけで先に大学を卒業した俺は、モデルや俳優の仕事を続けたまま、今か今かと雪の卒業を待っている。 大学4年生になった雪は、実は今も卒業後の道を決められずにいた。何度も何度も「焦って決めることはない」と伝えている。今のところ俺の仕事は順調だし、雪とのふたり暮らしなら、それなりに貯金もして、ちょっぴり贅沢をしたってお金の問題はない。 正直に言えば俺は無理して働くこともない、とさえ思っている。とにかく就職しなきゃって、焦って変な会社に入って、変な上司にパワハラセクハラでもされたら…。たぶん俺はその会社に殴り込みに行くと思うから。 雪の通う学部だと半数以上が大学院に進学すると聞いていて、「進学もありなんじゃない?」と勧めてみたけど、やっぱりお金のことを気にしているんだろう。進学には消極的だった。 来年の今頃、雪がどんな道を選んでいるのかは分からないけど、どんな道を選んだとしても俺と雪の未来は変わらない。 これからの1年。どんなことがあっても、ふたりで一緒に”家族”になるための日々を過ごすだけだ。 (こう)にデザインしてもらった婚約指輪は、プラチナのリングに雪の結晶をかたどったダイヤが埋め込まれている。大きくて派手なものではない。 3.5ミリ幅のリングに控えめに煌めくダイヤモンド。大きなダイヤがついているものだと、普段使いは雪恥ずかしがるんじゃない?って、功に言われてそう決めた。 俺としてはどんなときでもこの指輪を嵌めていて欲しかったけど、さすがに学校に付けて行くのは恥ずかしいみたい。でも家に帰るとすぐに指輪を付けてくれるし、休みの日やデートのときも必ず指輪をしてくれる。 「結婚指輪もデザインとか素材とか、色々選べるから」 「…春は?」 不安げに揺れる雪の瞳。 何を食べたい。どこに行きたい。 どんなに些細なことでも、雪は何かを”決める”ということが苦手だ。いや、決めることが苦手と言うよりも、本当はこうしたいという想いがあるのに、それを伝えることが苦手なんだと思う。 そんな雪を見るたびに、胸がぎゅうっと苦しくなる。守ってあげたいという思いが強くなる。心の奥の方にある雪の想いを汲み取って、その願いを叶えて、そして雪を笑顔にする。それが俺の役目だ。 「俺はね、いかにも結婚指輪!って感じのがいい」 「…それ、どんなん?」 「これとおんなじプラチナで、細めのストレートのリングかなぁ。シンプルだけど、これぞ結婚指輪ってやつ。あと内側にふたりの名前は絶対入れたい!」 「ふふ、絶対?」 「うん、絶対」 「それええね」と雪は嬉しそう。よかった、笑ってくれた。 結婚指輪のこと。そして、もうひとつ。 俺は雪とふたりで話をしたい、とても大切なことがあった。 * * それは突然のことだった。 久しぶりに蒼佑(そうすけ)くんから連絡がきたと思ったら、ちょっと話したいことがあると言う。それも「一旦、雪には内緒で」と。一旦て何?と不思議に思いながらも言われるがまま蒼佑くんの部屋に行くと、そこには笹原さんの姿があった。 「春くん、久しぶりだね」 「笹原さん。お久しぶりです」 笹原さんに会うのはいつぶりだったか。雪は時々大学から帰る途中に会いに行ってるみたいだけど。 「ごめんね、急に。仕事忙しいでしょ?」 「いえ、全然大丈夫です」 蒼佑くんの部屋に来るのも久しぶりだ。物が少ないさっぱりとした部屋。 テーブルを挟んで笹原さんと向かい合うように椅子に座ると、「ほい」とコーヒーを運んできた蒼佑くんが俺の隣に座った。 なんだろう。なんだか居心地が悪い。妙な緊張感がある。 こく、と一口コーヒーを飲んだところで笹原さんが口を開いた。 「実はね、(ゆい)が、…雪の母親が出所することになったんだ」 「…出所?」 思いがけない言葉にパッと笹原さんの顔を見る。 もう一度“出所”と頭の中で繰り返してみてもすとんと心の中に落ちてこない。現実味がない。だってそれは映画や小説の中の話だったから。 「…それ、雪は?」 「まだ、伝えていないんだ」 雪のお母さんがどんな罪に問われたのか。 あの当時、蒼佑くんから話を聞いてはいたけど、法律や刑罰の難しいことはよく分かっていなかった。ただ弁護士さんがかなり尽力してくれたと言っていたから、いくらか減刑されていたんだろうか。 「それでね、結はうちで、もちろん(ゆう)も一緒に、3人で暮らそうと思ってる」 「…そっか、そうですよね」 他に行くところなんてないはずだ。ひとりきりになんてできないし、笹原さんのところに行くのはとても自然なこと。 「それで、雪は、どう思うかな?…雪にも伝えなきゃとは思うんだけど、雪の顔を見ると、どうしても言えなくなってしまって」 「春くん」 「はい」 「…雪は、結のことを恨んでいるかな」
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