鬼多見奇譚余話 猫のいざない

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 白猫は団地内を横切り、近くを流れる新川(しんかわ)へと向かった。その川沿いにある遊歩道を猫は進んで行く。周りは田んぼばかりで自分以外の人の気配は無く、聞こえる音は川の流れる音だけだ。空は曇っており月も星も見えず、送電線の鉄塔に(とも)る赤いランプだけが火の玉のように光っている。全ての人が死に絶えたかのような静かな空間を朱理は白猫の後を付いて歩いて行く。  普段の彼女なら、暗闇に脅えて足が(すく)んでいただろう。しかし、白猫と一緒だと不思議と恐怖心は湧いてこない。むしろ母の胎内に戻ったような安心感がこの闇にはあった。  白猫は遊歩道をそれ、河原の草叢(くさむら)に飛び込んだ。朱理も迷わず後に続く。 「ここは……?」  そこは見知らぬ住宅地の道だった、間違いなく朱理は草叢に飛び込んだはずなのに。 「え? どうして……」  夜中で寝静まっているのか、周りの家からは灯りも漏れておらず物音もしない。しかも、外灯も()いておらず、町を照らすのは月明かりのみだ。 「あれ? 曇ってたはずじゃ……」  別世界に来てしまったのだろうか。朱理が戸惑っていると、ニャーと猫の鳴き声がした。 「ネコちゃん?」  朱理は声が聞こえたほうに駆け出した。 「どこッ? どこにいるのッ?」  夜中なので余り大きな声は出せない。分かれ道に出てどちらに行くか悩んでいると、一方からまた猫の声がした。朱理は声の方に向かう。  今度は十字路に出た。また猫の鳴き声が聞こえてそちらに向かう。それから分かれ道が現われる度に彼女は猫の声に導かれ、見知らぬ町の奥へ奥へと向かって行った。 「あッ」  どれぐらい走ってきただろう、ハァ、ハァと息を切らせていると、塀の上から三毛猫が見下ろしていた。 「ミケちゃん、シロネコちゃんを知らない?」  朱理の問いに三毛はニャーと応えた。すると別の場所からもニャーと猫の鳴き声がする。三毛猫がいる反対側の塀の上に黒猫がいた。さらにニャーと別の猫が鳴く。今度は道の奥からチャトラの猫が鳴いたのだ。ニャー、ニャー、ニャー……猫の鳴き声は続き、朱理はいつの間にか(おびただ)しい数の猫に取り囲まれていた。 「え? な、なに……」  普段は猫好きの朱理だが、数十匹……いや、数百匹の猫に取り囲まれると恐怖を覚える。しかも、その数百の眼すべてが朱理を凝視しているのだ。闇の中、本来猫の瞳孔は拡がり、愛らしい丸い形になるはずだ。だが、何故かここの猫たちの瞳孔は鋭い爪のように細くなり、どこか魔物染みている。  突然、一匹の猫が朱理の前に飛び出して来た。それは、あの白猫だ。 「ネコちゃん……」  先程までとは何かが違う。瞳もそうだが、攻撃的な気配を感じる。 「あの……わたし、帰るよ……」  後退(あとずさ)ると、右手の甲に痛みが走り思わず悲鳴を上げた。見ると痛みを感じた処が切れて血が(にじ)んでいる。側にいたシマ猫が引っ掻いたのだ。  朱理はこの場所から逃げようとしたが、道は猫達によって塞がれている。 「あ、あの……」  傷口を押さえながら猫達を説得する言葉を考えようとするが、何も思い浮かばない。  と次の瞬間、白猫がシャーッと鋭い声を上げた。その場にいる猫達が、一斉に朱理に飛び掛かる。咄嗟に彼女は両腕で身体を(かば)った。 「オン・アロマヤ・テング・スマンキ・ソワカ!」  呪文のような言葉が聞こえ、猫の悲鳴のような声が上がる。恐る恐る眼を開けると、自分の周りに光の壁が出来ており、猫達はそれに阻まれていた。 「朱理ッ、こっちだ!」  見えない壁を通り抜け、誰かの手が朱理の腕を(つか)んだ。   この声……  聞き覚えがある。朱理は自分の腕を引く人物の姿を確かめようとしたが、何故か良く見えない。暗いからだろうか。しかし、月明かりで猫達の姿はハッキリと見えていた。不思議に思いつつも、今は逃げることが最優先だ。彼女は腕を引かれるまま、必死に走り続けた。
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