白い世界で会いましょう 

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 わあ、積もったね。    うん、積もったね。  私は窓の側まで来て白い世界を見ていた。  シロも私の側まで来て一緒に眺めた。  2人の吐く息が窓に当たって小さくそして丸く曇っては消え、また小さく曇っては消えた。  昨日の夜から一晩中降り続いた雪は見事に街全体を真っ白に仕上げた。  白銀の世界。  今年の冬は厳しい、そう聞いていたけれど正にその通りだった。  年明けから冷え込みが厳しくなり、私の住む町にも雪がちらつき始めた。  滅多に雪が積もらない地域だったから、あまり雪を見たこともなかった。  上空から舞い降りる白い雪に私は少し興奮していた。  私は外の凍えるような寒さを眺めながらブルっと身震いを一つしたあと、シロの暖かい肩の側に顔を埋めた。  シロは頭をこちらにグリグリとこすりつけてきて、二人で暫くまた外を見つめた。  そろそろ部屋に戻ろうか。  うん、そうしよう。  シロと私はリビングルームに戻ってまたコタツに入った。    あぁ、温い、幸せ。  これを幸せと呼ばずに何が幸せと言える?  私が問いかける。    シロは言う。  これ以上の幸せを知らないし、知る必要もない。  コタツ布団から少しだけ顔を覗かせてまた外の冷たい空気に触れる。  パラりと横で新聞をめくる音がする。   コタツに入りながらいつものようにおじさんが新聞を読んでいる。  真剣な眼差しでひたすら黙読を続けている。  お茶に手が伸びる時も文字から一切目をそらさない。   そして暫く黙々と新聞を読んでいたけれど、例のごとくコタツに入ったまま横になりうたた寝を始めた。  手は乾燥でカサカサになっており、小指にはしもやけが出来ている。    一人でこの家に住むおじさんが私とシロを拾ってくれたのはもう十数年前。 ちょうどおじさんの奥さんが倒れて介護施設に入った頃だった。  雨の中、もう殆ど死にかけだった私とシロが入った段ボール箱をヒョイと抱えて軽トラの助手席に乗せた。  そこから私とシロのこの家での暮らしが始まった。  おじさんも一人で淋しかったのかもしれない。  本当に私とシロの面倒を良く見てくれた。  彼の子供たちは皆成人して町から出て行き、それぞれ元気にやっている。  以前はよく子供たちが家族を連れてこの家に訪ねてきていた。  だけど、この数年はおじさんの元に家族や親戚の人が誰も訪ねて来なかった。   世の中で新しい感染症が大流行し、人付き合いなんかも大分変わったらしい。    おじさんの元に届く年賀状の数も年々少なくなってきている。     それでもおじさんはお正月嬉しそうにその年賀状を眺めていた。  今日は火曜日、1時になったらおじさんはラジオをつけて歌謡曲を聞くはず。  それから奥さんの着替えを持って介護施設に行くけれど、この雪じゃ出かけられないかもしれない。  夕方になったらスーパーマーケットで買ったお惣菜をお米と一緒に食べて、お風呂に入って寝床に着く。  そんな一日を送っている。  私とシロはおじさんの家に来られて本当に幸せ者になった。  消えかけのロウソクだった私とシロに一生懸命ご飯を与えて、病院に連れて行って看病してくれた。  私とシロがようやく歩き出して元気に走り回るようになった時はおじさんも一緒に喜んでいた。    でも最近あまりおじさんが笑っているところを見ていない。  以前は年に数回、子供たちや親戚の人たちが訪ねてきていてその時は楽しそうにしていたけれど、それもここ最近は無くなってしまった。  私は急におじさんに同情した。  私たちはこの家に来て何不自由ない暮らしを手に入れた、本当に幸せ者になった。  でもおじさんは私たちと一緒に過ごせるようになったからってシロや私と同じぐらい幸せになれたのかな?   おじさんの抱えてる淋しさが急に私の中に飛び込んできたようで胸が痛くなった。  私はコタツから出てうたた寝を始めたおじさんの肩の横にピッタリとくっついて丸くなった。  シロも私の側にやってきてピッタリとくっつき丸まった。  おじさんはスースーと寝息を立てながらも、私とシロがくっついてきたのが分かったのか私たちの方に寝返りを打って片手で私の背中を軽くポンポンと叩いた。  ミャー  と一鳴きしてシッポをパタパタと畳に打った。  おじさんはうんうんと寝ながらゆっくりと頷いた。  私もシロもおじさんも皆歳を取った。      私とシロはここ最近よく話す。  何も思い残すことはない、と。  おじさんはどうだろう?  コタツで二匹の猫達とうたた寝をして一人で気楽に過ごしているようにも見えるけれど、どこか淋しそうにも見える。  おじさんの子供たちがまだ良く姿を見せていた頃、彼らが言っていた言葉を思い出した。  職場での人間関係が面倒くさい、もう会社を辞めたいと。  それからどうなったのかは分からないけれど、人間の世界には人間同士で巻き起こる複雑な社会があるらしい。   それに心を痛めて自ら死を選ぶ人も最近では多いと言っていた。    でも、そういった社会のしがらみから全て解放されて生きていれば幸せなのかな?  どうもそんな単純なことではないような気がする。   人間って大変だね。  私がシロに言うと  猫も大変だろ?  どんな生き物でも生きていくってこと自体が試練なんだよ。  生きるって過酷なことなんだ。   誰かに同情されても救われないさ。    シロがいつの間にかこんなに大人な考え方になってたなんて知らなかった。  どんな姿カタチでもどんな境遇に生まれてもどんなに辛くても、今を生き抜いていかなければいけない、それを辞めたら待ってるものは…死?   私はただ生きていくのに良い環境を与えてもらえただけなんだ。  その環境ってほんの些細なことで崩れるときもあるんだろうな。   まだまだ降り積もる雪を見ながらぼんやりと考えていた。    おじさんはまだポンポンと手をゆっくりと動かしながらスースーと寝息を立てていたけれど、やがて手の動きが止まって深い眠りに入った。  隣のシロもグルグル言いながら眠りについた。    皆の寝息が静まった後はシャンシャンと降り注ぐ雪の音だけが残った。  いつの間にか降り積もる雪で何もかも覆われてしまった外の世界は、白すぎるほど白く、まるで植物も生き物も何もかも無くなってしまったようだった。     それはまるで世界に私とシロ、そしておじさんだけが取り残されたみたいだったけど、シロとおじさんの温もりを感じて私はこの上ない幸せに包まれているような感覚だった。  これを幸せと呼ばずに何が幸せと呼べるのだろう?  目を閉じて幸せを抱きしめるようにうずくまった。  幸せはほんの些細なことで、こんな所にも転がっている。  人間のことは良く分からないけれど、本当は皆この安らぎが欲しいだけなのかもしれない。    真っ白に染まりゆく世界でどこまでも深い幸せに溺れていく。  このまま戻ってこれないような気さえした。  でも今はそれでいい。  そう思った。    白く何もない世界であの人の笑顔に会える、そんな気がしたから。      終わり         
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