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月の輝く土曜の夜。一台のバイクが東京の街を駆け抜けていった。 「こんばんは。みなさん、しあわせですか。DJシンジローです。今週もあなたに素敵な音楽としあわせをおくる『トークアンドミュージック』始まります。今日の一曲目。シリウスの新曲『いつか』です」 ♬ もしも 離れていても 心は そばにいるよ もしも 遠くにいても 気持ちは わかりあえる さみしくても つらくても かなしくても 泣きたくても いつか きっと 会える いつか きっと 幸せになる  シンジローは土曜の夜のラジオDJ。人気フォークデュオ「シリウス」として活躍し、数年前からラジオ番組のDJを担当するようになった。いまではシリウスよりもDJシンジローとしての知名度が高い。リスナーの悩みや疑問に答えるコーナーの人気が高く、若者から絶大な支持を得ていた。 「では、今日のメールを紹介します。静岡県のショウタ君、高校2年生からの相談です。 僕は将来ミュージシャンになるのが夢です。そのために貯金しようと近くのハンバーガー屋さんでバイトを始めました。仕事は楽しいのですが失敗ばかりで悩んでいます。シンジローさんのバイト時代の苦労話を教えてください、というメールです」 (俺のバイトの話か……) シンジローも笑顔で読み上げる。 「そうですね。若い頃はバイトやりましたね。引越、ファミレス、電気工事。たくさんやりました。早朝から出かけたり、夜遅くまでやりましたよ。大変でしたが楽しかったですね。その経験が、今の仕事に生かされてるのかな。ショウタ君のようにバイト先でミスして怒られたこともありましたよ。でもそこは反省して同じ失敗しないようにがんばりました。ショウタ君も今きっといい体験をしてると思うから、がんばって。それではショウタ君のリクエストで、シリウスの『ミライ』です」 ♬ がんばる がんばれ がんばっちゃえ がんばる がんばれ がんばっちゃえ 夢は そこにある 君も そこにいる 雲の向こうにある 未来の空へ  毎週ラジオ番組で質問に自分の経験をもとにシンジローが思いを伝える。リスナーたちのアニキのような存在となっている。 だが、シンジロー自身、何か心にわだかまりがあった。 「シンジローちゃん。よかったよ。今日のオンエアも最高だね。メールもガンガン来ているから来週もよろしくね」 とディレクターは毎度毎度、調子のいい事しか言ってくれない。 「おつかれしたー」 とシンジローは一人放送局を後にする。 スラリとして背は高い。白いTシャツに黒い革のジャケットをはおる。 無言でバイクに跨り自宅のアパートへ帰っていく。  カンカンカンと階段を駆け上がる。彼を待っているのは真っ暗な汚い部屋だけ。 「寒い、寒い」 と言いながらお湯を沸かしカップ麺を作る。 「男の一人暮らしだからね」とつぶやく。 ズズズー、ズズズーっとカップ麺をすする音が部屋中に響き渡る。 食べ終わると、ベッドの上にゴロリと横たわり、スマホの写真を見る。 写真は小学生ぐらいの女の子。 「まりあ」 とつぶやき、そのまま眠ってしまう。 今のシンジローはそんな日々の繰り返しだった。 天野神次郎 四十二才。 職業・ミュージシャン、ラジオDJ。わけあって一人暮らし。 若い頃はイケメンでモテたが、最近は小じわも目立ってきた。 シンジローは売れないころバイトをいくつも掛け持ちしていた。 「おいっ。シンジロー。何やってるんだ。はやく運べよー。午前中に荷物を移動させないと午後の作業が遅くなるんだぞ」 バイト先の先輩からよく怒鳴られていた。当時のシンジローは気が短く注意されるとすぐにカッとなっていた。 「わかってますよ。何回も何回も。こっちも懸命にやってるんですから」 と言い返していた。 「なんだと。もう一回言ってみろ」 バイトの揉め事は日常茶飯事だった。あちこちでトラブルを起こして辞めていた。シンジローはバイト先では全く信用されていなかった。放送ではよかった時のことしか話していない。そんな彼をリスナーは「カッコいいアニキ」だと思っている。シンジローは何かすっきりしない、モヤモヤした思いで番組を続けていた。
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