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紙飛行機を飛ばす。
出来るだけ遠くに飛ぶように。
昨日飛ばしたヤツより、今日の方がより遠くに飛ぶように。
紙飛行機は次第に高度を下げ、やがてはパサっと、軽い音を立てて落ちる。
毎日やっていると、コツを掴み、腕が上達する。
最近では飛ばしたヤツを目視で追えないくらいだ。
俺の幼なじみのその仕草を何十回も見てきた。
最近では折り畳み、飛ばす仕草にこなれ感が滲み出る。
「落ちた場所が、境界線ね。…サン。」
「境界線?」
「そ。俺達の世界の境界線。」
「前に飛ばしたヤツは俺らの視界の外に行っちゃたんじゃない?」
「この星の反対側かも!…そしたら、そこに行ってさ、俺たちの旗立てようよ!俺たちの土地だよって、目印。」
「…俺たちの…旗?…なんてあったけ?」
「…できるまでは、仕方ないから一族の側、立てといてやる。」
「………いつも通り、行き当たりばったり案なんだ……」
「…そ。平常運転だろ?」
「ぷっ。。はははっ…そうだね。安心した。。」
「何だよ?サン…いつもどおり説教してこないの?」
「説教なんて言わずに、諭しているって言ってよ。…それよりもいいの?…それ、お父さんからの手紙でしょう?」
「そうだよ?」
「そうだよって………悲しむと思うよ。…紙飛行機にされて遠くに飛ばれてさ。」
「読み終わったヤツ、飛ばしているんだよ。」
「そう言う問題?」
「読み返す事ないからいいの。…一枚毎に額縁に入れて飾っておけっての?」
「…」
「カビ臭い説教ばっか…無駄だってわかっている癖にね。」
「…」
「…毎日毎日、やれ、お友達を大事にだとか、慈愛の心を持てとかさ!」
「…」
「挙げ句の果てに落ち着きが無いから、毎日15分は読書を習慣にしろとかで、興味ない中身を読まされる……」
「…」
「何で黙ってんだよ?…いつものサンの説教は?」
「…」
「…なんだよ!…俺だけ平常運転⁉︎」
「…」
「…ぶっちゃけ、ついていけないって思っている?」
「思ってないよ!……怒らないでよ。」
「悪い。」
「…」
「…勝手にヒートアップしちゃった。…ごめん。」
「……」
手紙の差し出し主はサンの父親。
つまり、父親から貰った手紙をサンは、紙飛行機にして遠くに飛ばしているのだ。
最初は、お父さんの心配が滲んだ説教から、案の上、口喧嘩に発展。
俺や、おばさん…サンの母親が仲裁に入っては、いた。
当初、僕やおばさんは少しうんざり気味だったけど、それは未だ「マシ」な状況だった。
段々、2人共お互いを避け始め、お父さんの口から放たれていた説教は手紙になる。
だけども、彼女にとっては、お父さんの説教は音を伴う言葉から紙の上に記された文字になっただけだった。
厳しくも愛情の籠もった手紙は我が子の手元に届いても、本人の心には届かない。
僕とサンは幼なじみ。
だから、サンの父親の人となりは分かっている。
人徳の高く、真面目で優しい。
孤児になった俺を、我が子の様に慈しみ、サンと分け隔て無く、情を注ぐ。
自分より小さき者へは慈しみを注ぐのが普通だとでも言う様に、俺や周りのチビ達にも優しい。
そんな人だからこそ、過激な事ばかり口にし、周囲の大人の言う道徳やら常識に耳を貸さない我が子に手を焼いている。
…俺らの生きるこのコミュニティは完全な村社会だ。
そこを慮ればこそ、村の常識や道徳のテンプレートにハマるよう、必死だ。
おじさんは心配なんだ…つまり、怖いのだ。
サンの未来が。
「怖いんだと思うよ。」
「?」
「出る杭ば打たれる。傷ついて欲しくないから、防衛してるんだよ…お父さん。」
「…知っている。…母さんと話しているの耳にしっちゃったから」
「……どんな?」
『…我が子ってもっと可愛いもんだと思っていた…本当は自分がもっと俺に向き合わなきゃいけないのに…全部、面倒な事は母さんに押し付けてしまっている』
「…」
『僕はズルイねって』と締め括っていた。
「…」
「…それでも、俺は自分に嘘はつきたくない。」
「…」
「…俺は、外の世界も知りたい。…狭い内地の世界だけでは終われない。」
「…」
俺は、サンが握り締めていた紙飛行機を彼女の手から引き抜く。
そしてそれを、助走をつけ思いっきり遠くへ放った
サンが少し驚いた顔で俺を見つめた。
俺達はその紙飛行機が遠くに飛ぶ様をジッと見つめた。
紙飛行機は、偶然強く吹く風に乗じて遠くまで機体を加速させ、やがて視界から失せた。
気づくと、お互いの繋いだ手の汗のせいで、手の平は湿ってた。
それでも、俺は彼女の手をより強く握り、言った。
「いつか、紙飛行機探しに行こう」
「…え?」
「…だから、見つけに行こう、境界線」
…「…え……ええ!?」
「旗立てるんでしょう?…どんなヤツにするか考えようよ。」
「…」
本当は分かっている。旗を立てたいと言っている場所なんて何処でもいいんだ。
自分だけの居場所が欲しいだけって。
手を繋いだまま、俺らの家に帰ろうとした時、
「一族の…旗でいいよ…俺は。」
サンがポソっと行った。
「うん、そういうと思った。」
サンは旗を立てた所に大好きな人達と居たいんだ。
大好きな一族の皆と。もちろん喧嘩ばっかりしているお父さんとも。
叶えばいい…
少なくとも、俺はサンを裏切ったり、しない。
そう心に誓った。
*********
それから、俺は先に言い損ねた入学おめでとうをサンに伝えた。
予想に反してシイはブスッとした表情を見せた。
「サンと離れる事になるんでしょ?…おめでとうなんて言うなよ」
あれまあ…
乳離れ出来てない発言をくらわされる。
出会った頃は俺の方が、甘えん坊だった…らしい。
今では逆転してしまったみたいだ。
俺は生まれた時から、この一族にいた訳ではない。
物心ついた頃には母と言う存在は無く、父に育てられた。
しかし、俺の体は父と暮らす環境の空気が体に合わなかったらしい。
よく呼吸器系の発作を起した。
ある日、大きな発作を起こし生死の境を彷徨い、父は育てる事を断念した。
で、自分の出自である一族に俺は託された、らしい。
他人事の様な言い方だけど、俺自身は余りその辺りの事は断片的な記憶しかない。
一族の年寄り達が皆そういうんだから、そうなんだろう、、と思っている。
三途の川から生還し、目を開けると知らない風景、知らない人達。
俺は暫くの間、癇癪を起こして泣き叫んでいたらしい。
昼間は、それなりに落ち着いてはいたけど、夜になると何物か憑依した様に癇癪を起こす。
これも他人事みたいな言い方だけど、薄らとしか覚えてない。。
覚えているのは、何か民謡だか、子守唄だかを口ずさみ俺を抱きしめてくれる子。
シイの存在だけ。
不思議とそうしてもらうと、癇癪は治った。
転がる様に眠りに落ちる感覚。
それだけ鮮明に覚えている。
後で、シイが俺より1つ年下と知り、驚いた記憶がある。
歳が近いとは言え、泣き叫ぶ年上をあやすって難しそうだ。
『そこは気にならなかった…ただ、体が大きいから、かさばって抱きしめるのが大変だった』
なんてケロっと言われた。
かさばるってなんだ。。
物か俺は。。
気恥ずかしそうに「側にいて」と、言うシイに俺が「お互い様だからそんなの当然さ」と、癇癪に付き合ってくれた過去を引き合いに出すと予想外にドライな反応を示される。
シイは偶に気まぐれだ。。
そんなこんなを足して引いたりなんかしても…俺とシイの繋がりは特別。
そう思っている。お互い半身の様だ。
あれからずっと…今でも俺達は抱き合う様に眠る。
********
「…あんた達!…いつまで寝てるの!!」
おばさんの声で目を覚ます。
目を開けると、テントの隙間からの差し込む眩しい朝日。
逆光の中でも、俺の視界に飛び込むおばさんの顔がしかめっ面してるのが分かる。
俺は慌てて体を起こす。
ハンモックが揺れが大きくなる。
その刺激でも俺の半身…シイは眼を覚まそうとしない。
俺はシイの体を揺らしながらおばさんに謝る。
「…ごめんなさい…ねえ…ねえ、起きてよ!」
シイが夢現の状態で大きく寝返りを打つ。
その衝撃でハンモックが大きく揺れ、被っていたタオルケットが床に脱走する。
引きずられるようにシイも落ちそうにり、条件反射で俺に抱きついてきた。
「…落ちる…!…目、覚まして!!」
俺の叫びはシイの耳に届かず、さっきの言葉通り二人で逆さまに落ちる。
下のクッションに頭から着地した時、シイが目を覚ました。
視界に逆さま仁王立ちの母親が目に映る。
「…あれ…?…おはよう、、母さん」
「…おはよう…じゃないわよ!いつまでも一緒に寝るのやめなさいって何度も言ってるでしょ!先の事も考えなさい!!」
朝イチで、おばさんの雷が落ちる。
おばさんは基本的に大らかな人だ。
ギャロップ事件でも、そういう部分出ていた。
シイが物事をこじらせても、最終的には「どうにかなる」って構えている。
むしろ、おじさんの方が神経質で、思い通りに事を運ぼうと奮闘するタイプだ。
おばさんが、ここ最近、唯一目くじらを立てる案件が俺らが一緒に丸まって寝る事だ。
『何がきっかけで性別分化するかわからないでしょ!…いつまでも子供じゃないの!』
添寝が見つかる度、おばさんは判で押したの様にその言葉を口にする。
俺たち一族は、生まれた時は性別は未だ決まってない。
基本は女に近いが、生殖適齢期が近づくと男女それぞれに分化していく。
性別分化の完了は人生の大きな節目として一族皆でお祝いをする。
俺やシイももちろん、同じ同胞のお祝いに参加した事がある。
その時におばさんや、周りの年寄り達に性別分化について話を聞くことがある。
だから、おばさんが口を酸っぱくして苦言を言う気持ちは理解できる。
『生殖の対象として意識が芽生えた時に分化する事が多いの…何がその刺激になるかわからないわよ』
俺たちは、そうなる前に身につけなきゃいけない事、勉強しなきゃいけない事がごまんとある…つまりは、マセガキなんて一族にとっては以ての外なのだ。
そのせいだろうか…
俺たち一族は、他の民族や他国の人達に比べるとスキンシップは少ない。
一族の大人たちが、俺はシイに対し微笑ましく見守る気持ちと、厳粛な気持ちが押しくら饅頭している雰囲気を感じ取る事は多々ある。
シイの学校行きは諸々思う所あって決定した部分も多いんじゃないか、と思う。
それはシイも薄々気付いていて、
「どうせさ…最終的には一族の人間と結婚して次世代に繋げる事を期待されるんだし…色々神経質過ぎない?」
と、けんもほろろな言い草だ。
*********
サンの学校生活が始まると同時に、俺らは離れ離れになった。
サンは俺達一族の庇護者である北氏の館に居候の形を取っている。
通学圏内に北氏の屋敷がある事が理由だ。
この北氏は、俺らの住む山を含む一帯を所有する名家の金持ちだ。
因みに、おじさんの友人でもある。
サンは俺達一族の中でも、頭が良かった。
この一帯の様々な氏族の子供達が通う学校ももちろん存在する。
しかし時間や、気が向いた時に通う運営レベルだ。
北氏が不憫に感じたのだろう。
友人の好意や我が子の将来等の観点から心配する親の意向により、良い学校へ通わせてもらえたという状況だ。
サン本人は、
『シイと離れるのは嫌』
『どうせ俺は厄介払いされた』
とか言ってはいたが、元より外の世界への好奇心は強い事もあり、ワクワクを隠しきれない所もあった。
俺がそれを指摘すると、照れくさそうにはにかみつつ、こう言った。
「だってさ…全く別の所だけど、シイだって外の世界を知っているし…俺だけ遅れてる感じではずかしいって思ってたんだ」
なんて白状された。
俺のいた外の世界って…羨ましがられる環境でも無いけどな。。
「長い休みには絶対に帰ってくるから」
ギュッと抱きつかれ胸に顔を埋めて来る。
今夜から俺たちはお互い抱き合いながら寝る事もない。
この温かい温もりと、サンの匂いも一年もお預けだ。
まだ学校生活が始まってもないのに俺の心に寂しい隙間風が吹く。
俺もギュッとサンを抱きしめ返した時だ。
「サンっ!…何処にいるの?…迎えが来たよ?」
おばさんの声が遠くから聞こえた。
新しい門出に怒られてはいけないとお互いぱっと離れた。
皆でサンを見送り、日常に戻る。
俺の日常のルーティンにサンの帰省日カウントダウンが加わる。
だけど、指折り数えて待っていた日は最初から出鼻を挫かれる。
**********
「ただいま」
少し大人びた声でサンが挨拶をする。
一族の人間殆ど皆、サンの顔を見に来ているようだ。
家の入り口には人集りができていた。
毎日同じ日常が展開される俺たち一族にとってチョットした事がイベントだ。
やれ、
物資の買い付けの旅から戻ってきた、
誰が、隣の近所の集まりに行った、、等等。
サンの帰省も例外じゃない。
俺は人集りを掻き分け頑張ってサンの側に行こうと試みる。
「おかえりサン…爺様に挨拶した?」
おばさんがサンに先に声をかけた
「まだ。何処にいるの?」
「さっきまで父さんといたよ」
「あ、、父さん!」
父親の姿を見つけ、サンが歩み寄ってきた。
「…ただいま。…俺、爺様に挨拶した方が…」
「…俺ではなく、私、と言いなさい」
父親に諭される。
サンがムッとした表情を見せた。
「…南だって、俺って言ってるし!」
「南さん!…さんをつけなさい。お世話になってる方だ。…彼はフォーマルとインフォーマルをちゃんと使い分けているよ。…君は意識しないとその点曖昧になりがちだ。」
サンがより険しい表情を見せた。
「だから常にフォーマルである練習を…」
サンがプイっと顔を背けて出て行った。
おじさんがタメ息を吐く。
「…御もっともね。あなたな立派よ。。だけも今このタイミングで言う必要ある?」
おばさんは、諭すようにおじさんに言うと、俺を呼んだ。
「シイ、サンをお願いできる?」
俺はコクリと頷き、サンが姿を消した方向へ歩を進める。
と、ここで、
俺がサンに追いつくまでの間に新しい登場人物について説明しよう。
「南さん」は、北氏に雇われてる身分の男性。
俺たち一族の諸々の事をお世話してくれている。
彼は、北氏同様に俺たち一族を気に入っており、俺たちの独特の文化も研究している。
そしてもう一人の新人物「爺様」。。
俺たち一族の守りの部分…一族を国で例えると国防を担う家系の当主みたいな人。
別に王様とかではない。
とは言え、少し前までは一族の中でも一目置かれた存在だ。
今の俺たち一族は、開かれた未来として他との交流を主眼に置いている。
爺様が絶対的なゴットファーザーであった時代は閉鎖的で保守的な一族だった、らしい。
全部、おばさん談だけど。
因みに、爺様は俺にとっては血の繋がりの本当の祖父だ。
背丈よりも高い草を掻き分けてサンがズンズン歩いて行くのが見える。
サンは不貞腐れて一人になりたい時はよく沼の辺りに行く。
沼地の前に密集する高い草へ、飛び込む様に分け入る。
高い草を傲慢に押し分けてるのはサンの方だ。
だのに、後ろから追う俺は、草がサンを飲み込んでしまう錯覚を起こす。
俺の歩みが速くなる。
「ついてくんな」
振り向きもせず抑揚の無い声で、拒否される。
トゲが喋った様な、痛い声色だ。
俺は、後ろから腕を回してサンをギュッとホールドした。
サンが崩れる様に座り込む。
つられて俺も一緒に座り込む。
その俺たちの上を、背の高い草達が覆い尽くす。
このままこうしていたい。
皆、俺たちを放って置いてくれればいいのに、と我ながら独り善がりな事を思った時、
「埋もれる気?」
サンが抑揚ない声で、サンがたずねる。
同じ抑揚無い声でも、トゲがすっぽり抜けた声だった。
「うん、気の済むまでね。。喋りたくないならこれでいいと思う。」
「…」
「…おばさんはいい顔しないね。」
「…ふふふ」
「…でさ、後で爺様の所行こう。」
サンがコクリと頷く。
「俺も明日、父との面会日だから、挨拶しなきゃ、だし」
サンが振り向いて少し赤くなった目で俺を見つめた。
「折角、帰省して一緒に入れると思ったんだけど」
俺はつぶやき、父を思い出す。
幼少期はあんなに願っていた父との再会。
今では失望と億劫さで一杯だ。
そしてその面会事件がきっかけで、俺ら一族の運命は大きく変わる。
漏れなく、俺とサンもそも運命に飲み込まれる事になる。
**********
俺の父。
俺やサンの属する一族と同じルーツを持つ人。
今では「地下水路」の住人。
その場所は、何らかの事情に依りドリップアウトした人間やアウトロー系列等…の身の寄せ場となってる。
父も何らかの事情によりそこの住人となった人だ。
父は俺たち一族の身体的特徴である「秋色の瞳」を持たずに生まれた。
降り積もる黄葉のイチョウ。
同じく降り積もる紅葉の紅葉。
黄と紅がまだらになった虹彩。
こげ茶色の瞳孔。
それが俺たちいろは族の持つ「秋色瞳」だ。
俺たち一族独特の身体的特徴。
「いろは氏族は秋色瞳の化け物」
周辺の別の一族からそう呼ばれていた。
だけども周辺の一族の連中だって個性豊かな身体的特徴を保持している。
尖り耳の、にほへ族。
青い皮膚の、とちり族
首の長い、ぬるを族…等だ。
こうやって羅列すると、俺たち氏族の身体的特徴なんて、抜きん出て特別視されるものでもない様に感じる。
しかし秋色瞳を持たなかった事は父の運命に大きな影響を落としたようだ。
一族の人間の中にも噂好きな人間と言うのは存在する。
一族の中でも父はマイナスな意味で目立った人だった、ようだ。
面と向かった形で父の人物像を一族の誰かに直接聞いた訳ではない。
…聞きたくなくても耳に入ってしまう。
頭の中に入ってしまう。
父が一族の中でどんな思いや、経験をしてきたかはわからない。
それについて、父は俺に一度も話しをしてくれた事が無かったからだ。
俺は大きな発作を起こして以来、父の出自である「いろは族」に育てられた。
しかし父との関わりがゼロになった訳ではない。
年に一度は父との面会を許可されている。
サンが帰省した翌日にその予定が入っていた。
正直、気が進まなかった。
遠慮なく、「行きたくない」と断ればよかった。
そうすれば、俺はやっと得た居場所を失わずに済んだかもしれない。
********
水に濡れたコンクリートの上を走る。
走る度、泥水ぺジャっと音を立てる。
跳ね上がる泥水が靴下と靴を濡らす。
泥水が靴に滲みる感触を気持ち悪く感じながらも、俺は走る。
少し離れた所に馬を繋げているのも気にしていた。
帰るまでに馬は無事でいるだろうか?
大人しい馬だから騒ぐ事で、周辺住民の気を引く事はないと願いたかった。
そして、ここはガラが悪い。
無論分かってはいる事だけど。
早く、用を済ませて帰ろう。
腐食し、崩れそうな小さな門に手をかける。
「…よおよお…!…何の用?…」
ガラの悪い場所ってのは必ずいる、こんな感じのやつ。
思わずタメ息が出た。
面倒くさい。
おれは早く戻らなきゃならないのに。
毛色が違うやつ…普段の自分らの視界に馴染まない奴を感知するアンテナだけ鋭い奴。。
…俺は少しだけここで過ごした時期がある。
だから、完全に他所様じゃない。
だけど、コイツらの目に、俺は完全に他所様に映ったらしい。
「お嬢ちゃん、、何処から来たの?!」
ニヤケ面を俺の鼻先まで、近づけてくる。
図々しくも、このチンピラの酒臭い息が俺の鼻腔の奥まで侵入してくる。
軽く息を止め、これ以上の体への侵入を阻止する。
舐めてかかる相手を呼び止める時は「お嬢ちゃん」
分かりやすいチンピラだ。
そんな事を思った時、
「…おい、何やってんだ?」
聞き覚えもある声が耳に飛び込む。
「おう!ハチ。…コイツ、お前の知り合いか?」
「まあな…おい、入れ」
腕を引っ張り、門の中にぶっきらぼうに放り込まれる。
「ハチ、お前、こういうのタイプ?いや〜ん、、ろりろり〜」
「…まあ、かわいい、わな。」
脇を通る瞬間、チンピラの一人が俺のほっぺを撫でた。
不思議な事に吐く息よりも、手の臭いの方が何倍も酒臭かった。
不快さに俺は思わず、ソイツを睨みつける。
「…俺のガキだよ。阿呆」
ハチ…父が俺の頭をぐいっと引き寄せ、ベチっと叩く。
それから顎で家の中に入るよう促がされる。
「似ねえな…!おい!」
「…母親に似たんだろう」
面倒くさそうに父が言うと、チンピラ達はゲラゲラ笑った。
「そりゃ正解引いたな!…お嬢ちゃん!」
***********
家に入ると父はさっきまで腰掛けていたのだろうと思われるソファに腰掛ける。
そしてタバコをふかし始めた。
さっきのやり取りと打って変わり、俺が目に入らないかの様な態度だ。
「何で来たか、聞かないの?」
「…タバコ…吸ってんだろよ。」
そうと決めたら、父は絶対変えない。
俺は嫌なくらいそれをわかっていた。
それは大人になって整理出来た事だ。
父と暮していた時期は物心つく前であり、自我なんて芽生える前だ。
自己主張しない俺は父イメージ内の家族として存在を許されていた。
だが、いろは族で育てられた俺は、父のイメージと乖離した家族になってしまった。
口うるさく、厳しいけども構ってくれる一族の人間。
サンを含むいろは族の皆との関わりで、俺の自我は竹の子の様にむくむく背を伸ばす。
面会の度、俺は父に意見し、鉄拳食らう。
意見の相違を露呈させるきっかけはゴロゴロある。
同じ空間で、共同で何かをする以上は。
サンとおじさんもケンカはするけど、ケンカの中にコミュニケーションがある。
…父は俺をぶっ飛ばす事で、コミュニケーションを拒絶し、己の殻に篭る。
そこには違和感しかない。
あんなに父を恋しがり、父を求めて癇癪を起こしていたことが嘘の様だ。
「ジジイは、お前の聞きたい事に全部答えてくれなかったのか?」
父の声で現実に戻される。
「爺様からだけじゃなく、父さん側からも説明を聞きたい」
俺がそう言うと、父は鼻でフンっと笑った。
誰の入れ知恵だよ、吐き捨てるように呟く父に俺は強い調子で言った。
「俺が…成人したら、、俺に…選ばせてくれるって約束だった!」
「…」
「ここにいるか、いろは族の一員になるかを!」
「…」
「爺様は、決まった事だから、何があっても覆さない、と…」
「…金がいるんだよ。」
「…」
「…ここを仕切っている連中が変わって、上納金がバカ上がりしたんだよ。」
「…」
「…違った。人頭税って名前だったな」
「…つまり、爺様に俺を売ったの?」
「…おいおい、家族分がっちり徴収されんだぞ、前の事で目立ってよ…」
「…」
「…お前は目をつけられた」
「…」
「二人分は払えねえ」
「…」
「…こんな所でも付き合いやら義理で金はかかる。それを蔑ろにして、住人でも無えが、家族であるお前を取れねえ。。俺の状況も汲み取れ。」
あまりにもナルシストな父らしい発言に俺は頭からの奥がじんわりと熱を帯びる。
深呼吸し、頭を冷やしてから俺は聞いた。
「…幾らで売ったの?…俺を」
父が薄ら笑いを浮かべた。
「これまでかかったお前のおまんま代…位は取立てたと思うぜ。」
父はツカツカと小さな戸棚に向かい歩くと引き出しを開ける。
「お前も手切金が欲しいか?…ほら、母親の形見だ」
鈍く燻んだ色のイヤリングをぞんざいに耳に付けられる。
「要らない、どうせ…」
俺の言葉は父の耳には届いていないらしく、父は言葉を続けた。
「門の所でも言ってたみたいに…似てきたな、母親に。」
おやじは目を細め、無表情で俺をじっと見つめた。
「独りでいる時には顔も思い出せねえのにな…」
「…」
「不思議とお前が目の前にいると思い出す、お前と同じくいつも俺を睨んでいた」
そしてソファに腰掛けると俺の顔も見ずに告げた。
「…ここには、二度と来るなよ」
**********
別に期待していた訳じゃない。
ましてや別れのハグなんて望むべくもない。
分かっていたじゃないか。
父があんな人間だと。
俺は馬を全速力で走らせながら、家路につく。
家路。
俺の家。
完全にあの内側の世界が俺の家になってしまったのだ。
もう二度とこの道をこの方向に走る事は無いだろう。。
馬を走らせながら、風を切る。
風の勢いが、耳に引っかかる。
馬を止めた。
耳元に触れる。
触れてから思い出した。
『母親の形見だ。』
父の声がリアルに蘇る。
乱暴にピアスを引っ張る。
手の中にちんまりと収まるピアス。
…俺に母親の記憶はない。
不意に父への怒りが込み上げた。
どうせ、奪った物だ、これも。
ピアスが収まった手を振りかぶる。
霞の掛かる遥か彼方に放り投げようと、した。
だけども、
その瞬間、頭が冷える。
振りかぶった手を下ろす。
ピアスを懐に仕舞い、俺は馬をトボトボ歩かせた。
「俺の家」が目に入ったからだ。
忘れよう。
そうだ、忘れよう。
それがベストだ。
頭が冷えたせいか、余計な事に思いを巡らせる。
成人後の俺はどっちを選んだのだろう?
…地下水路で、父のコピーの様に過ごす己の姿は想像出来ない。
だが、
不思議な事に、この保守的な「いろは族」の村で、歳を重ねる己の姿も想像出来なかった。
サンがいてくれたらいい。
俺は何処だっていい。
周りの景色なんてなんだっていい。
サンが居てさえくれれば何処でもいいのだ。
サンが恋しかった。
俺は待ちきれなくて馬を再度を全速力で走らせる。
********
戻ると案の定、サンが駆け寄り、俺を抱きしめた。
そして、
「…思いの外早かったね」
字面で起こすと冷たい印象を与えるセリフをサンに吐かれる。
サンがそういうのも無理はない。
前の面会事件と比較して出たセリフだ。
前の面会日…
サンが最初に帰省した日の翌日の事だ。
父と過ごす面会日に俺は図らずも、父とトラブルになった。
原因は…覚えてない。
多分、些細な事。
同じ空間を同じ人間と共有してれば、衝突はある。
仲良し俺とサンだってそうだ。
だけど、この日の父は機嫌が悪かったのだろうか。
俺はぶっ飛ばされ、気を失った。
気付くと、暗い穴蔵見たいなとこに放り込まれていた。
薄暗いし。
狭いし。
寒いし。
殴られた所は勿論、痛いし。
見た事ないヌルっとしたでかい虫には刺されるし。
詰んだ、と思った。
どんなに父に出すことを懇願しても、父は完全放置を決め込んだようだ。
喚く事に疲れ、朦朧とした時、
父の居るだろうと思われる場所に喧騒が沸き起こった。
そこで俺は再度、気を失った。
そしてやっぱり、
死ぬ前に目にするのはサンの顔でありたいと思った。
最期に目に映るのが気色悪い虫等なんて、、、
俺は神と父を呪いながら、気を失った。
俺に恨まれた二人は俺の最期の願いを聞き届けてくれたらしい。
穴蔵は俺の墓場はならなかった。
*********
顔を勢い良く切る風で、俺は再度意識を戻す。
駆け足で走る馬の馬上で。
馬の長い立髪が俺の頬をくすぐる。
マトリヨーシュカの様に、俺は顔だけ出して布と動物の毛皮で全身を包まれていた。
うつ伏せ状態になり、ロープで馬の背にぐるぐる巻きにされる。
横を並走する人間に気づく。
サンのお父さんだった。
険しい顔で前方を注視している。
そして俺の馬の手綱を握りながら並走している。
良かった。
おじさんの存在に安心した俺は今度は眠りに落ちる。
後で聞いた話しだ。
約束の時間、場所に、父が俺を連れて現れない。
一族の大人も父に暴力に事は感づいていた。
数名で、地下水路の父の住処まで押し入る。
地下水路の他の住人達も、目立つ部外者にズカズカ押し入られ黙ってなかった。
父を含む地下水路住人vs招かざる「いろは族」
俺が穴蔵で聞いた喧騒はそれだったらしい。
後で、聞いた話だ。
そして、面会日事件から一年が経ち、「次の面会日どうする」という話になった。
で、議論された答えが「父との縁切り」だ。
間違いなく面会日事件のが影響している。
********
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