36人が本棚に入れています
本棚に追加
第23話 天雲の「ミールミィ」
宝泉院を出たあとのことは、よく覚えていない。昼食を取り、バスに乗って大原を去った。必要最低限の言葉を交わし、わたしたちは別れた。晴れていた空が突然どしゃぶりになるように、心の色は行きと帰りでがらりと変わってしまった。撮影した写真を間崎教授に送ると、「ありがとう」とだけ返事が来た。それ以来、連絡は取っていない。
かすかに春が香り始める頃、久しぶりにみっちゃんからメッセージが来た。海外旅行に行ってきたから、土産を渡したいという。
春休みということもあり、大学のキャンパスは閑散としていた。制服姿の高校生を見かけ、今週末が大学入試だということに気づいた。受験生が下見に来ているのだろう。大して年齢は変わらないのに、彼らの顔つきはどこか幼い。10代と20代、高校生と大学生。身にまとっている服で、肩書きで、こんなにも差が出るものだろうか。高校生の頃と比べたら、わたしも少しは変わったのかもしれない。
時計台の下にあるカフェに入ると、先に到着していたみっちゃんが「よっ」と手を上げた。金色だった髪が、落ち着いた黒色に変わっている。心にすきま風が吹いた。どれだけ目を逸らしても、いやおうなく未来はやってくる。
「はい、お土産」
チャイティーを買って席に着くと、みっちゃんが手提げ袋を差し出した。
「ありがとう。お菓子?」
「カリソンっていうの。『幸せのお菓子』ともいわれてるんだよ」
「初めて知った。フランス旅行、どうだった?」
「すっごいよかったよ。もうね、日本と全然違うの。写真見る?」
みっちゃんはそう言うと、携帯電話の画面をわたしに見せた。
「行きたいところがありすぎて、全然時間足りなかった。これ、エッフェル塔ね。もっとおしゃれに撮ればよかった。変なポーズしちゃった」
「楽しそう」
日本の風景とはまったく違う、テレビや雑誌でしか見たことのない街並みが広がっている。帰ってきたばっかりだけど、もう一回行きたいなぁ。みっちゃんは思い出に浸るように頬杖をついた。
「琴子は? 間崎教授と大原行ったんでしょ。どうだった?」
「ああ、うん」
急に話題を振られ、思わず口ごもった。楽しくなかったわけではない。でも、楽しかったと言えば嘘になる。
ためらいながらも、大原での出来事をみっちゃんに話した。大学院に進もうとしていると教授に言ったこと。それを教授に反対されたこと。
話し終えると、みっちゃんは「そっかぁ」と一言だけ言った。わたしもそれ以上何も言えず、黙ってチャイティーを飲んだ。スパイスがぴりりと舌を刺激する。
「ちょっと出かけない? 寒いけど」
え、と聞き返す。みっちゃんが「行こ行こ」と立ち上がった。強風に背中を押されるように、わたしはみっちゃんのあとに続いた。
最初のコメントを投稿しよう!