第24話 人はこれを「京都御苑」

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太陽の光、空の色、道行く人の服装まで、気づかないうちにずいぶん春が染み込んでいた。学年が変わる、年度が変わる、一つ歳を取る。春は、いやおうなく変化を運んでくる。今までは何とも思わなかったのに、今年は変わることを急かされているように感じる。 京都御苑に行くと、赤と白の梅が咲いていた。見頃のものもあれば、蕾が膨らんでいるものもある。多くの人が携帯電話のカメラで写真を撮っていた。 「近くにこんな場所があるのって、贅沢ですよね」 散歩をしている人を見ながら言った。梅や桜、あじさいに紅葉。名所と呼ばれる場所がたくさんあって、行こうと思ったらすぐに行ける。それはきっと、あたりまえのことではない。 「長年住んでいると、忘れてしまう人もいるだろうけどね」 でも、と教授は言葉を続けた。 「何年経っても、京都はいいものだよ」 キャンパスで合格を喜んでいた、少年少女たちが頭をよぎった。府外から京都に越してくる子もいるだろう。あの子たちは、これから京都のすばらしさを知るのだろうか。京都御苑の梅や鴨川の桜、東福寺の紅葉を見て、心を震わせるのだろうか。 シャッターを切っていると、一つの木に赤と白の梅が咲いていることに気づいた。 「教授」 近くにいた教授を呼び、梅を指差す。これ、どうなっているんですか。 「思いのまま」 「何ですか、それ」 梅の品種。教授は答えた。 「赤いのも、白いのも咲く。思いのままに」 「ずいぶん自由な梅ですね」 「人間と同じだよ」 どこにだって行けるし、何をしたっていい。そう言いながら、教授は慈しむように梅を眺めた。 1回生の時も2回生の時も、教授と一緒に梅を見た。同じ写真は1枚としてなかった。梅だけじゃない。どの場所に行っても、新しい発見があった。 北海道の雪景色をわたしは知らない。沖縄の海も見たことがない。ヴェルサイユ宮殿も万里の長城も、ウユニ塩湖だってわたしは知らない。 フランス旅行について、楽しそうに話すみっちゃんを思い出した。行ってからも楽しかったけど、行く前も楽しかったなぁ。高校時代の友だちと、それぞれ行きたい場所について調べていったの。その場所にどんな歴史があるのか、どんな魅力があるのかプレゼンして、ルートを決めたんだよ。 わたしの地図はいつだって間崎教授だった。教授に教えてもらった場所に行き、その場所の歴史を知った。わたしは写真を撮ってさえいればよかった。 卒業したわたしの隣に、教授はいない。道しるべがなくても、ひとりで歩いていかなければならない。 目を、閉じた。京都のことを考えながら、京都ではない場所を思う。まだ見たことのない景色。これから出会う人やもの。シャッターを切るたび、増えていく写真を想像した。京都がすきなはずなのに、京都にいたいはずなのに、確かに胸が高鳴った。 得意なこと。苦手なこと。すきなもの。きらいなもの。やりたいこと。やりたくないこと。空白ばかりの自己分析シートが、少しずつ埋まっていく。写真がすきだ。絵がすきだ。本を読むのも、おいしいものを食べることもすきだ。 手帳を開くと、たくさんの「すき」が溢れていた。『山吹がきれいだった』『間崎教授と一緒に見れたらよかったのに』『教授と食べたあぶり餅がおいしかった』『虎の子渡しを教授に教えてもらった』 ――ああ、そうか。 ゆっくりと、目を開いた。 本当は、とっくの昔に気づいていた。変わってしまうのがこわくて、ただ目を逸らしていただけだった。京都を離れたくないと思う本当の理由を、この感情の本当の名前を、わたしはとっくに知っていた。 白い梅の向こうに教授がいた。わたしの方を振り向いて、早くおいでと誘っている。いつだってそう。わたしの景色には、確かにあなたの姿があった。 10年後も20年後も、美しい景色を一緒に見たい。知らないことを教えてほしい。わたしのことを知ってほしい。ずっと隣にいてほしい。 あたたかい春の風が吹く。わたしの体を貫いて、弱い心を震わせる。 この気持ちを、人は恋と呼ぶのだ。
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